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第11話 翌朝も感じが悪い

 翌朝、美月は通知の振動で目を開けた。

 枕の横からスマートフォンを取り、画面へ顔を近づける。夜中に何度も見た名前が、また表示されていた。


『今日は十三時、受付前。入館証を忘れずに』


 美月は仰向けになった。

 恋人になって最初の朝だ。おはようでも、昨日の余韻でもなく、入館証。

 もちろん忘れない方がよいものではある。


『確認しました。おはようございます』


 少し待ったが、返事はない。既読になっているのに来ないのが気になり、顔を洗ってからもう一度見た。今度は「おはよう」とだけ届いていた。

 遅れて回収された挨拶を前に、美月は歯ブラシを口に入れた。


 集合には十分早く着いた。スタジオの入る建物の受付前で水野へ挨拶し、入館証を首から下げる。高城は先に番組側と話していた。

 目が合ったので小さく会釈すると、向こうも同じように返した。それだけだった。


「今日、髪を上げるので、耳の飾りを先につけるって」


 水野が支度の順番を説明する。美月は頷いて、ほかのメンバーと控室へ向かった。

 当たり前だ。職場なのだから、急に違う呼び方をされた方が困る。自分も昨日までと同じように挨拶した。

 分かっていることが、必ずしも嬉しいとは限らなかった。


 衣装へ着替え、髪を上げてもらっているとき、絵里香が隣の鏡からこちらを見た。


「今日、眠い?」


「ちょっと。アラームより先に通知で起きた」


「何の?」


「入館証、忘れないでって」


「お母さんだ」


 美月は笑いそうになり、髪を引かないよう首を固定した。高城をお母さんにするのは、いくら何でも違う。それでも、家に着いた連絡を欲しがったのも自分なら、朝の通知に勝手な期待を足したのも自分だった。


 支度が終わると、五人で公式の短い告知動画を撮ることになった。水野がスマートフォンを横向きに構え、絵里香が最初の挨拶を受け持つ。美月は隣で、紹介される番を待った。

 控室の扉が開いた。


「相沢、芹佳の紹介、出る前に一度確認しよう」


「はい」


 高城の声へ、先に顔が向いていた。水野が録画を止め、仕事の確認が済んでから撮り直そうと言った。

 絵里香は美月を見た後、閉まった扉へ目を向けた。


「今の返事、使えばよかったのに。台詞読んでるときより、元気だった」


「挨拶、まだ自分の番じゃなかったので」


「そうだけど」


 絵里香は笑って、次の挨拶の順を水野へ確かめた。美月もレンズへ向き直る。黒い小さな穴を見ていると、今度は口角を上げる速さまで気になった。


 今日の収録は五人の短いインタビューと、新曲ではない既存曲の披露だ。美月の個人の話ではなく、グループの持ち味を伝える。最近の変化を聞かれたときは、芹佳の歌のアレンジを紹介する役を引き受けた。

 本人に確かめると、芹佳は二番の入りを少し変えたと教えてくれた。美月はどこを話せば伝わるか相談し、短い言葉にまとめる。

 スタジオへ移る直前、高城が五人を止めた。


「芹佳の話から実演に入るとき、すぐ曲が出る。説明を足すより、聴いてもらう方へ渡して」


 美月は高城を見て頷いた。


「私が、ここからどうぞって振って、芹佳さんを見るので大丈夫ですか」


「それで」


 いつもの短い返事が来た。余分な笑顔もない。美月は足元の目印を見て、今日の自分の仕事へ意識を戻した。


 本番で芹佳の声が響くと、司会が身体を起こして耳を澄ませた。曲が止まり、都和が歌い方の変化を補足する。美月は今度、自分の説明を付け足さずに聞けた。

 控室へ戻ってから、芹佳が、紹介してくれてありがとう、と言った。


「私が歌ったのに、美月がいちばん嬉しそうだった」


「そうでした?」


「うん。モニターで、めっちゃ頷いてた」


 水野も頷き、あそこはよかったと教えてくれた。美月は自分だけの出来不出来を気にせず見ていた時間を思い出し、少し照れた。


 収録の合間、全員で歌の映像を確認する時間があった。美月は芹佳の紹介のところで、自分が頷き続けているのを見つけた。首を動かしすぎたかと思って止めてもらうと、画面の端の都和も同じように聴いている。


「ここは、そのままでいいよね」


 都和が水野へ尋ねた。水野は、話している人の声を邪魔しなければ、と頷いた。

 美月は映像の中の芹佳へ目を戻した。

 映像が終わってから、美月は芹佳に、今日の歌い方を後でもう一度教えてほしいと頼んだ。歌の話を始めると、朝の通知のことはしばらく頭から消えた。


 夕方、全員の仕事が終わった。美月は高城の姿を探したが、すぐには見つからなかった。水野に挨拶してからスマートフォンを見ると、私的な連絡が一つ来ている。


『少し話せる? この後、時間あれば』


 美月は文章を一度閉じ、もう一度開いた。仕事の確認なら、さっき皆へ話せば済んだはずだ。


『あります。二人でですか』


『うん。予約できる店を探す』


 昨日は自分から誘った。今日は高城からだった。その違いだけで、朝から思い描いていた不満の言い方が、いくつか使えなくなった。


 駅の近くの小さな店には、奥に仕切りのある席があった。予約の名を伝えて入り、軽い食事を注文する。仕事帰りの姿のままで、二日続けて向かい合った。


「今日は、入館証ありがとうございました」


 美月が言うと、高城は水のグラスを置いた。


「忘れなかったね」


「恋人としての連絡って、そういう感じなんですか」


「……ああ」


 高城が少し考える。美月は鞄からハンカチを出し、膝へ置いた。責めたいのか甘えたいのか、自分でもまだ混ざっている。


「集合確認は、仕事の連絡で送ってもらって大丈夫です。そっちは、ちゃんと見ます」


「うん。分けよう」


「それで、私的な方には、おはようとかあると、嬉しいです」


 言うと急に、おはようを発注したような気がした。


「強制じゃないですけど」


「言えるよ、おはようくらい」


「くらいって言いました」


「今のは、言い方が悪かった」


 高城がすぐ直したので、美月もそれ以上は追わなかった。欲しい言葉を一回言ったら、すべて自動で出てくると思うのは違うのだろう。朝の自分は、少しそれを期待していた。


 料理が届くまでの間、高城は背筋を少し伸ばした。


「仕事のことで、先に話したい」


 美月の指が、膝のハンカチを押さえた。


「昨日、言ってたことですか」


「うん。仕事の決め方は整理する。相沢の個人の起用とか、評価を、俺だけが決める状態にはしない。今まで全部一人で決めてたわけじゃないけど、もっと明確にする」


 美月は頷いた。言っていることは分かった。分かったのに、今ここで自分の担当をやめたいと言われたら、どう返せばいいのかと思った。

 高城は美月の顔を見て、言葉を切った。


「どう聞こえた?」


 いつもなら先へ進むところで聞かれ、美月は顔を上げた。


「……昨日のことを、もう困ってるのかなって」


「困る部分は、仕事にある。でも、付き合ったことを後悔してるって意味じゃない」


「後悔は、してないですか」


「してない」


 美月は息を吐いた。そこだけは短い返事でよかった。高城は続けた。


「断りたいことは、断っていい。仕事でも、俺と会う話でも。交際を続けないと活動できないなんてことにはしないし、逆も違う」


 美月は、その言葉を一つずつ聞いた。


「私も、仕事の結果と、私的な約束を引き換えにはしたくないです。何かできたら会ってくれる、とか」


「しない」


「何もできなかった日も、会ってほしいときがあります」


「そのときは、聞く」


 美月は小さく頷き、ハンカチから手を離した。

 仕事の話は部長へ相談する必要がある。高城は日程を確認して報告すると言った。美月は自分にも決まったことを伝えてほしいと頼んだ。ここで全部の配置が決まるわけではなかったが、何を話す必要があるかは見えた。


 運ばれてきた魚料理を箸で分けながら、美月は、さっきの収録の話をした。芹佳の歌を紹介しているとき、上手く説明しようというより、聴いてもらいたいと思っていたこと。

 高城はモニターで見ていたと言った。収録後に一緒に見た映像を、まだ個別には見直していないという。それでも、芹佳へ目を向ける位置がよかった、と話してくれた。


「仕事の感想、二人で食べながら聞くと、違って聞こえます」


「いい方に?」


「今のは」


「限定がついた」


 自分が前に言った言葉を返され、美月は箸を止めた。高城は何でもない顔で食べている。


「それ、覚えてたんですか」


「言われたことは、覚えてる方」


 美月は魚の骨を皿の端へ寄せた。そういう返事をするなら、朝ももう少し考えてほしい。けれど、その一言を聞けたので、今日の採点はまだ取り返しがつく。


 食事の後半、高城が自分の予定を開いた。


「十六日の午後、空いてる?」


「今のところ、お休みです」


「人の少ない展示、予約が取れそうなんだけど。仕事抜きで、一緒に行かない?」


 美月は箸を置いた。


「それ、デートのお誘いですか」


「そう」


「言葉、足りましたね」


 高城は少し口を結び、返事はどうなの、と尋ねた。美月は手帳を開いて、十六日の欄に小さく丸をつけた。


「行きたいです。仕事抜きで」


 初めて書く予定の名前を、何にするか迷った。美月は結局、展示、とだけ書いた。自分が見れば、それで何の時間か分かる。

 朝の通知を読み直すために開いていたスマートフォンは、いつの間にか鞄の底へ収まっていた。

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