↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
借金まみれのシスターですが、元悪魔の俺に愛されてもいいですか?  作者: ウイング神風


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

6/26

彼女が住む場所

 教会を出た俺は、ソフィアに案内され、裏手にある建物へと向かった。


 そこは、教会に併設された宿泊施設だった。


 白い石材で造られた、三階建ての建物。教会と同じような古風な造りだが、屋根に十字架はない。


 近づいてみると、壁のあちこちに小さなひびが走り、窓枠もところどころ色褪せていた。長い年月を経て、少しずつ傷んできたのだろう。


 それでも、冷房設備は整っているらしい。この様子なら、夏を乗り切ることくらいはできそうだった。


 俺は木製の扉に目を向けた。


 古びたドアノブも、扉の表面に刻まれた細かな傷も、建物の歴史を物語っている。


 おそらく、教会と同じ時期に建てられたのだろう。


 ソフィアはドアノブを回し、扉を開けた。


「こちらが、私たちの宿泊施設です」


「へえ。なかなか年季が入っているな」


「はい。少し古いですけど、みんなで大切に使っているんですよ」


 ソフィアはそう言って、にこりと笑った。


 建物の中へ足を踏み入れると、最初に目に入ったのはダイニングルームだった。


 中央には長い食卓があり、周囲には六脚の椅子が並んでいる。奥にはキッチンが設けられ、鍋からは白い湯気が立ち上っていた。


 ぐつぐつと煮える音に、スパイスの香りが混じっている。


「夕飯の準備か?」


「はい。今日は金曜日なので、カレーにしようと思っています」


「カレーか。悪くないチョイスだな」


「えへへ。褒められちゃいました」


 ソフィアは少し照れくさそうに舌を出した。


 ……こいつ、いちいち反応が素直だな。


 俺が何気なく建物の奥へ視線を向けた、そのときだった。


 視線を感じる。


 しかも、一つや二つではない。


 よく見ると、廊下の向こうから三人の少女がこちらをのぞいていた。


「ソフィア姉が彼氏を連れてきた!」


「来た来た!」


「……彼氏?」


 三人は、まるで新しいおもちゃでも見つけたかのように騒ぎ始めた。


「ち、違います!」


 ソフィアの顔が、一瞬で赤くなる。


「この方は、事情があって、しばらくここに滞在することになったんです!」


「なーんだ。つまんないの!」


「なんだー」


「……なんだ」


 三人は口々に不満を漏らすと、ぱたぱたと足音を立てながら階段の向こうへ駆けていった。


 ……騒がしい連中だ。


 だが、悪くない。


 子供というのは、どこにいても遠慮がないものらしい。


「ソフィア。あの三人は?」


「ここで暮らしている子たちです」


「三人とも、君の妹みたいなものか?」


「はい。みんな、清水神父に引き取られた孤児なんです」


 ソフィアは、少しだけ優しい表情になった。


「ここに来た子たちは、身寄りがない場合、神父様から『清水』という姓をいただくんです。だから、みんな同じ姓なんですよ」


「なるほどな。じゃあ、君のことを清水と呼ぶと、誰のことかわからなくなるわけか」


「そうですね。ですから、私のことはソフィアと呼んでください」


 ……ほう。


 なかなか面白い提案だ。


 確かに、ここでは清水と呼んでも、何人もの人間が振り向くことになりそうだ。


「わかった。ソフィア。それなら、俺のことも哲夫と呼んでいいぞ」


「えっ……哲夫、様?」


 ソフィアは、どこか恥ずかしそうに俺の名前を口にした。


 どうやら、異性を名前で呼ぶことには慣れていないらしい。


 初々しいものだ。


「はい。では、哲夫様とお呼びしますね」


「好きにしてくれ」


「そ、それで、さっきの三人なんですけど……」


 ソフィアは、少し慌てた様子で話を戻した。


「好奇心旺盛なのが洋子ちゃん。元気いっぱいなのが純子ちゃん。それから、おとなしいのが真美ちゃんです」


「了解した。あとで挨拶しておくよ」


「はい。みんないい子たちですから、仲良くしてあげてくださいね」


 ソフィアは、まるで自分のことのように嬉しそうに微笑んだ。


 ……本当に、他人のことばかり気にかける女だ。


 自分の置かれた状況を考えれば、もっと余裕がなくてもよさそうなものなのに。


 教会は三億円を要求されている。


 その問題が解決しなければ、ここで暮らす子供たちの生活だって、どうなるかわからない。


 それなのに、ソフィアは笑っている。


 まるで、自分が不安を抱えていることなど、誰にも悟らせないかのように。


 ……ますます、理解できない女だ。


     *


「では、こちらです」


 ソフィアに案内され、俺は建物の奥へと進んだ。


 階段は木製で、足を踏み出すたびにギシギシと音を立てる。


 手すりにも細かな傷があり、ところどころ塗装が剥がれていた。


 この建物も、そろそろ本格的な修繕が必要なのだろう。


 だが、そんな金があるとは思えない。


 孤児たちを受け入れ、食事を用意し、日々の生活を支える。


 それだけでも、相当な費用がかかるはずだ。


 そこに三億円の問題まで重なっている。


 ……なるほど。確かに、切羽詰まっているわけだ。


「二階は子供たちの寝室になっています。三階には、私たちの部屋があります」


「俺の部屋も三階か?」


「はい。空いているお部屋がありますから」


 階段を上り、三階へ。


 案内されたのは、廊下の奥にある一室だった。


 部屋の中には、年季の入ったベッドと本棚、机、椅子。それから、外の景色を眺められる窓が一つ。


 豪華とは言い難いが、寝泊まりするには十分だろう。


「ここを使ってください」


「わかった。ありがとう」


 俺は鞄を床に置き、窓を開けた。


 夜風が室内へと流れ込んでくる。


 見上げれば、夜空には月が浮かんでいた。


 ……忌々しい場所だ。


 神を崇めるための教会。そのすぐ隣で、俺は神の教えを覆す計画を進めようとしている。


 皮肉なものだ。


「では、私は夕飯の支度をしてきますね。できたら呼びに来ます」


「待ってくれ。もう少し話がある」


「お話、ですか?」


「ああ。契約についてだ」


 その言葉を聞いた途端、ソフィアの表情が引き締まった。


 先ほどまでの柔らかな笑顔が消え、背筋がぴんと伸びる。


「……はい。どのようなお話でしょうか?」


「昨日、約束しただろう。君の血も、肉も、髪も、すべて俺のものになる、と」


「はい。ただ……具体的には、何をすればいいのでしょうか?」


「俺の指示に従ってくれればいい」


 俺がそう答えると、ソフィアは目を丸くした。


「指示、ですか?」


「難しいことじゃない。俺が頼んだことを実行してくれればいいんだ」


「わかりました。では、私は何をすればいいのでしょう?」


「今は、まだ何もない」


 そう。今はまだ、様子を見る段階だ。


 最初から無茶な要求を突きつけたところで、彼女が警戒するだけだろう。


 果実は、熟してから味わうもの。


 焦る必要はない。


「必要になったら、改めて頼む。それまでは、普段どおりに生活していてくれ」


「はい。わかりました」


 ソフィアは素直にうなずいた。


「それで……三億円は、本当に用意していただけるんですよね?」


「ああ。お父様に用意してもらう」


 俺は鞄を開き、封筒を取り出した。


 中には、現金が百万円入っている。


「これは先払いの一部だ。受け取ってくれ」


「えっ……!」


 ソフィアは目を見開いた。


「こ、こんなにたくさん……!」


「約束を守る意思があるってことだ。受け取っておいてくれ」


 俺は封筒を差し出した。


 金は、人間の心を動かす。


 もちろん、全員がそうとは限らない。だが、金に困っている人間にとって、まとまった現金は強力な誘惑になるはずだ。


 ましてや、三億円を必要としている教会なら、なおさらだろう。


 ……さあ、どうする?


「ありがとうございます。でも、今は受け取れません」


「……あ?」


 予想外の返事だった。


 ソフィアは、差し出された封筒に手を伸ばそうともしなかった。


 俺は思わず、彼女の顔を見つめる。


 どういうことだ?


 金に困っているんじゃなかったのか?


 それなのに、目の前にある百万円を断るだと?


「どうしてだ?」


「三億円は、私ではなく、清水神父に渡していただきたいんです」


「神父に?」


「はい。教会のことは、神父様が責任を持って対応していますから」


「……その神父は、今どこにいる?」


「海外にいらっしゃいます。三億円を用意するために、いろいろと動いてくださっているんです」


「ほう……」


 俺は小さく息を漏らした。


 なるほど。神父も、ただ手をこまねいているわけではないらしい。


 俺が知らないところで、資金を調達する手段を探っているのだろう。


 これは、少しばかり計算外だった。


「わかった。この金は、いったんしまっておく」


「はい。ありがとうございます」


 ソフィアは、ほっとしたように微笑んだ。


 ……その顔が、妙に気に障った。


 まるで、金などでは自分の心を買えないとでも言いたげな笑顔だった。


 金で人を動かすことに慣れている俺にとって、それは理解しがたい反応だった。


 どうして、そこまで簡単に断れる?


 どうして、目の前の大金よりも、神父との約束を優先する?


 彼女は、本当に金よりも信仰や仲間を大切にしているのか?


 それとも、俺が何かを見落としているのか。


 ……まあいい。


 今は、まだ結論を出す段階ではない。


「では、私は夕飯の準備に戻りますね。時間になったら呼びに来ます」


「ああ。わかった」


 ソフィアは一礼し、部屋を出ていった。


 廊下を歩く足音が、少しずつ遠ざかっていく。


 やがて静寂が戻ると、俺はベッドの端に腰を下ろした。


「……さて。お父様に報告するか」


 スマートフォンを取り出し、電話をかける。


 数回の呼び出し音のあと、聞き慣れた声が返ってきた。


『どうした、哲夫』


「教会への潜入に成功しました。あとは、彼女の信仰を揺さぶるだけです」


『よくやった。あの場所は、神の加護が強い。悪魔である私が直接踏み込むには、いささか面倒な場所だからな』


「だからこそ、俺がいるわけですね」


『そういうことだ。お前には期待しているぞ』


「必ず成功させます」


 俺は迷いなく答えた。


 この計画を失敗させるつもりなどない。


 ソフィアを堕落させ、神の権威を傷つける。


 そのために、俺はここまで来たのだから。


『神に災いあれ』


「ルシファー万歳」


 短く言葉を交わし、通話を切った。


 俺はスマートフォンを手にしたまま、しばらく考え込んだ。


 清水ソフィア。


 彼女は、俺が思っていたよりも厄介な相手かもしれない。


 金を差し出しても、簡単には受け取らない。


 頼みごとをすれば、疑うより先に相手を信じようとする。


 それでいて、教会のことについては、神父の判断を尊重している。


 彼女の心を動かすには、金や甘い言葉だけでは足りないのだろう。


 ならば、別の方法を探すまでだ。


 俺はネットニュースを開いた。


 中東情勢は、さらに緊迫している。


 株式市場も不安定な動きを見せ、世界経済には不穏な空気が漂っていた。


 人間の欲望は、決して尽きることがない。


 金を求め、権力を求め、他人より上に立とうとする。


 そして、欲望がぶつかれば、憎しみが生まれる。


 悪魔にとって、それは格好の機会だった。


 世界のあちこちで、ハルマゲドンに向けた準備が進んでいる。


 俺も、与えられた役割を果たさなければならない。


 ふと、窓の外に目を向けた。


 月が浮かんでいる。


 雲の切れ間から差し込む光は、どこか赤みを帯びて見えた。


 ……不吉な月だ。


 世界が終わりへと向かっている。


 そんな錯覚を覚えるほど、静かな夜だった。


「……俺に、あの聖女を攻略できるのか?」


 思わず、そんな言葉が口をついて出た。


 すぐに、俺は自分の考えを打ち消す。


 何を弱気になっている?


 俺はインキュバスだ。


 女の心を読み、誘惑し、望む方向へと導くことを得意とする悪魔だ。


 これまで、何人もの人間を誘惑してきた。


 今さら、一人の聖女を相手に怖じ気づく理由などない。


 彼女の信仰を揺るがし、神の教えに疑問を抱かせる。


 そのために必要な手段を、一つずつ試していけばいい。


 たとえ時間がかかろうとも、最後には俺が勝つ。


「くくく……」


 俺は、喉の奥で笑った。


 聖女は、まだ知らない。


 自分の隣に、悪魔が潜り込んだことを。


 神を憎み、世界を覆そうとする男が、すぐそばにいることを。


 俺は窓の外の月を見上げた。


 この教会で始まる共同生活は、きっと退屈しないものになる。


 そして、ソフィアが俺の計画を知る頃には――もう、後戻りできなくなっているはずだ。


 少なくとも、俺はそう信じていた。

面白かったら、★やブックマーク登録をお願いいたします。

よろしくお願いいたします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。