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借金まみれのシスターですが、元悪魔の俺に愛されてもいいですか?  作者: ウイング神風


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聖職者の末路

 夕食を終えたところで、俺は一つのことに気づいた。


「……あれ?」


 清水神父がいない。


 食卓にはソフィアと三人の子供たちが揃っていたが、肝心の神父の姿が見当たらなかった。


 せっかく帰ってきたというのに、夕食にも顔を出さないとは。


 いったい、何をしているのだろう。


「なあ、ソフィア」


「はい?」


 ソフィアは流し台の前で、食器を洗っていた。


「神父様は?」


「ああ。神父様でしたら、礼拝堂にいらっしゃいますよ」


「礼拝堂?」


「はい。何か、大切なお仕事があるそうです」


「……こんな時間に?」


 俺は首を傾げた。


 そういえば、神父は展示会を開くと言っていたな。


 ゴッホの作品を売却して、教会の借金を返済する。


 そんな話だったはずだ。


 だが、あの人は本当にゴッホの作品を所有しているのだろうか。


 正直なところ、まだ半信半疑だった。


「……ちょっと様子を見てくる」


「はい。でも、神父様のお邪魔はしないでくださいね」


「わかってるよ」


 俺は軽く手を振り、宿舎を出た。


 ◇


 外は、すっかり暗くなっていた。


 五月の夜風には、湿った空気が混じっている。


 梅雨にはまだ少し早いが、季節は確実に夏へと向かっているらしい。


 街灯が、教会の庭を淡く照らしていた。


 芝生の上を歩きながら、俺は空を見上げる。


 雲に覆われた夜空には、星がほとんど見えない。


「……雨でも降るのかね」


 そんなことをつぶやきながら、礼拝堂へ向かった。


 重い木製の扉を押し開ける。


 ギィィ……。


 古びた蝶番が、低い音を立てた。


 礼拝堂の中は薄暗かった。


 祭壇の近くに置かれた照明だけが、一角を明るく照らしている。


 その光の中に、一人の男がいた。


「……ん?」


 清水神父だった。


 白いシャツの上に、絵の具で汚れたエプロンを身につけている。


 目の前には、大きなイーゼル。


 そこに立てかけられたキャンバスへ、神父は一心不乱に筆を走らせていた。


 ……絵を描いているのか?


 俺は、思わず足を止めた。


 神父は、こちらに気づいていない。


 筆を動かし、少し離れて眺め、また筆を動かす。


 その繰り返し。


 まるで、キャンバスの向こう側に何かを探しているようだった。


「……清水神父?」


 俺が声をかけると、神父はようやく振り返った。


「おや、坂井くん」


 穏やかな笑みを浮かべる。


「こんな時間に、どうしたんだい?」


「いや、夕食に来なかったからさ。何をしているのか気になって」


「ああ、そうだったね」


 神父は苦笑した。


「すっかり時間を忘れていたよ」


「……絵を描いていたのか?」


「そうだよ」


 神父は筆を置いた。


「少し、休憩にしようか」


 そう言うと、近くの長椅子へ腰を下ろした。


 俺も、その隣に座る。


 そして、改めてキャンバスを見つめた。


 黄色。


 濃い黄色。


 橙色。


 茶色。


 花瓶に生けられた、何本ものひまわり。


 ……見覚えがある。


「……おい、これ」


 俺は目を細めた。


「ゴッホの《ひまわり》じゃないか?」


「おや。わかるのかい?」


「そりゃ、さすがに知ってるよ」


 俺はキャンバスを指さした。


「美術の教科書にも載っているだろ。あの有名な絵だ」


「ははは。そうだね」


 神父は嬉しそうに笑った。


 しかし、俺には一つ、気になることがあった。


「……なあ、神父様」


「何だい?」


「これ、もしかして……」


「ああ」


 神父は、あっさりと答えた。


「今、描いているところなんだ」


「…………」


 俺は、しばらく固まった。


 ……描いている?


 ゴッホの《ひまわり》を?


「……ちょっと待て」


「ん?」


「展示会に出すゴッホの作品って……」


「これだよ」


 神父は、にっこりと微笑んだ。


「…………」


 俺は頭を抱えた。


「いやいやいやいや!」


「おや?」


「おかしいだろ! ゴッホの作品を持っているって言ってたじゃないか!」


「うん」


「それなのに、今描いてるってどういうことだよ!」


 俺が声を上げると、神父は楽しそうに笑った。


「ははは。驚いたかい?」


「驚くに決まってるだろ!」


 俺はキャンバスを睨んだ。


「……それ、贋作じゃないか」


「そうだね」


「認めるのかよ!」


「もちろん。私が描いたものだからね」


 ……駄目だ。


 この神父、思っていた以上に変わり者らしい。


 ◇


「坂井くん」


 神父は、キャンバスへ目を向けた。


「君は、ゴッホが描いた《ひまわり》について、どれくらい知っているかな?」


「……有名な絵だってことくらいかな」


「そうか」


 神父は頷いた。


「ゴッホは、生涯で何度もひまわりを描いている。特に有名なのは、南フランスのアルルで制作された、花瓶に生けられたひまわりの連作だ」


「……何枚あるんだ?」


「一般には、七点の連作として紹介されることが多いね」


「七点も?」


「ああ。同じひまわりでも、花の本数や配置、色彩がそれぞれ違うんだ」


 神父は、ゆっくりと立ち上がった。


 そして、キャンバスの前へ歩いていく。


「ゴッホにとって、ひまわりは特別な花だった」


「……特別?」


「南フランスの明るい太陽。生命の輝き。そして、芸術家たちが共に暮らす理想の共同体への憧れ」


 神父は、黄色い花を見つめた。


「彼は、アルルで芸術家たちと共同生活を送ることを夢見ていたんだ。その部屋を飾るためにも、ひまわりを描いたと言われている」


「……理想郷、か」


 俺は小さくつぶやいた。


 ユートピア。


 人々が争わず、幸福に暮らせる場所。


 そんなものが本当に存在するのか、俺にはわからない。


 だが、少なくとも。


 ソフィアたちが暮らす清水教会は、俺にとって小さな理想郷だった。


「……それで?」


 俺が続きを促すと、神父は頷いた。


「その七点のうち、一点は戦争によって失われてしまった」


「……戦争?」


「ああ。かつて日本にあった《ひまわり》だよ」


 神父は、どこか寂しそうに目を細めた。


「実業家の山本顧弥太が購入し、芦屋にあった山本家の邸宅で大切にされていた作品だ。けれど、第二次世界大戦の空襲で焼失してしまった」


「……そうだったのか」


「一度失われた絵画は、もう元には戻らない」


 神父は、キャンバスへ視線を戻した。


「だから私は、あの失われた《ひまわり》を、もう一度この世に描き出したいと思ったんだ」


「……つまり」


 俺は、ゆっくりと口を開いた。


「神父様が描いているのは、戦争で焼けた《ひまわり》の再現画なのか?」


「そうだよ」


 神父は、静かに微笑んだ。


「失われた《ひまわり》を、もう一度ね」


 ◇


「……でもさ」


 俺は腕を組んだ。


「それを描いて、どうするつもりなんだ?」


「展示会を開くんだよ」


「それは聞いた」


「そして、多くの人に見てもらいたい」


「……そのあと、売るのか?」


「できればね」


 神父は頷いた。


「教会を守るための資金にしたいと思っている」


 俺は、眉をひそめた。


「……でも、それって贋作だろ?」


「そうだね」


「ゴッホの作品として売ったら、詐欺になるぞ」


 神父は、しばらく黙っていた。


 そして、静かに答えた。


「……そのとおりだ」


「……え?」


「本物だと偽って売ることは、許されないことだよ」


 俺は、思わず神父を見つめた。


「……じゃあ、どうするんだ?」


「正直に伝えるさ」


 神父は、キャンバスを見上げた。


「これはゴッホ本人が描いた作品ではない。失われた《ひまわり》を、私が再現したものだとね」


「……それじゃ、高く売れないだろ」


「そうかもしれない」


「一千万円なんて、とても……」


「そうだね」


 神父は、あっさりと認めた。


「でも、だからこそ考えてみたいんだ」


「……何を?」


「絵画の価値とは、何なのかを」


 俺は、首を傾げた。


「……価値?」


「ああ」


 神父は、穏やかな声で続けた。


「例えば、ある絵画がゴッホの真作だと信じられていたとしよう。多くの人が感動し、高い値段がつく」


「……うん」


「ところが、ある日、その絵が別の画家による作品だと判明した」


「……そりゃ、値段は下がるだろうな」


「そうだね。だが、その絵を見て感動した人の気持ちは、すべて偽物になるのだろうか?」


「…………」


 俺は、答えに詰まった。


 確かに、作者が誰であろうと、絵そのものが突然変わるわけではない。


 色も。


 形も。


 そこに描かれた風景も。


 すべて、同じままだ。


「……難しい話だな」


「ふふっ。そうだね」


 神父は笑った。


「もちろん、作者や来歴は重要だ。真作と再現画は、決して同じものではない」


「……ああ」


「でも、再現画にも、その絵を描いた人の願いや思いが込められている」


 神父は、胸に手を当てた。


「私は、それを信じたいんだよ」


 ……信じる、か。


 俺は、祭壇の奥にある聖母マリアのステンドグラスを見上げた。


 そこには、優しく微笑む女性が描かれている。


 だが、実際のマリアがどんな顔をしていたのか、俺は知らない。


 おそらく、この世の誰にも正確にはわからないだろう。


 それでも、人々はその姿に祈りを捧げる。


 ……なるほど。


 神父の言いたいことが、少しだけわかった気がした。


「……つまり、神父様は」


「うん?」


「ゴッホ本人が描いたかどうかとは別に、この絵を見て誰かが感動してくれれば、それにも意味があるって言いたいのか?」


「そういうことだよ」


 神父は、嬉しそうに頷いた。


「君は、なかなか理解が早いね」


「……褒めても何も出ないぞ」


「ははは」


 まったく。


 変わった神父だ。


 ◇


「ところで、坂井くん」


「……ん?」


「ゴッホが、もともと聖職者の道を志していたことは知っているかな?」


「……いや、初耳だ」


「そうか」


 神父は、懐かしそうに語り始めた。


「ゴッホは若いころ、宗教に強い関心を持っていた。伝道活動に携わった時期もあるんだよ」


「……へえ」


「だが、さまざまな挫折を経験し、やがて絵画の道へ進んだ」


 神父は、キャンバスを見つめた。


「本格的に画家として活動した期間は、およそ十年。決して長くはなかった」


「……十年?」


「ああ。その短い期間に、膨大な数の作品を残したんだ」


 俺は、思わず目を見開いた。


 十年。


 たった十年で、あれほど多くの作品を描いたのか。


「……すごいな」


「そうだね」


 神父は頷いた。


「生前のゴッホは、経済的にも苦しい生活を送っていた。弟のテオが、長年にわたって彼を支えていたことでも知られている」


「……売れなかったのか?」


「少なくとも、今のような名声や評価を得ることはできなかった」


 神父は、静かに続けた。


「そして、彼の作品が広く知られるようになったのは、亡くなったあとのことだった」


「……皮肉な話だな」


「そうだね」


 神父は、少し寂しそうに笑った。


「弟テオの妻、ヨー・ファン・ゴッホ=ボンゲルは、作品や手紙を大切に守り、世に広めるために尽力した」


「……弟の奥さんが?」


「ああ。彼女の働きがなければ、今のような評価に至るまで、さらに長い時間がかかったかもしれないね」


 俺は、しばらく考え込んだ。


 ゴッホ本人がいなくなったあとも、彼の作品を信じ、守り続けた人がいた。


 その結果、彼の絵は世界中に知られるようになった。


「……なんだか、不思議だな」


「何がだい?」


「絵って、描いた本人がいなくなっても残るんだな」


 神父は、静かに頷いた。


「そうだよ」


 そして、キャンバスへ視線を向けた。


「人の命には限りがある。でも、その人が残したものは、誰かの心の中で生き続けることがある」


「…………」


「私は、それが芸術の素晴らしさだと思うんだ」


 その言葉に、俺は何も返せなかった。


 ◇


「……それで、神父様」


 俺は、改めてキャンバスを見つめた。


「どうして、そこまでして《ひまわり》を描きたいんだ?」


「……うん?」


「教会を守るためなら、ほかにも方法があるだろ」


 俺は続けた。


「別の絵を描いて売ってもいい。寄付を募ってもいい。わざわざ、失われたゴッホの作品を再現する必要があるのか?」


 神父は、しばらく黙っていた。


 そして、ゆっくりと口を開いた。


「……約束したんだよ」


「……約束?」


「ああ。私の祖父とね」


 神父は、遠い昔を思い出すように目を細めた。


「祖父は、あの《ひまわり》を実際に見たことがあったんだ」


「……本物を?」


「そうだよ」


 神父は頷いた。


「まだ、あの絵が日本にあったころの話だ」


 その声には、懐かしさが滲んでいた。


「祖父は、よく私に話してくれた。あの絵の黄色が、どれほど鮮やかだったか。花が、まるで生きているように見えたことを」


「…………」


「そして、こう言ったんだ」


 神父は、ゆっくりと微笑んだ。


「『いつか、お前にも見せてやりたかった』とね」


 俺は、思わず息を呑んだ。


「……でも、その絵は」


「ああ。戦争で失われてしまった」


 神父は、静かに頷いた。


「祖父も、もうこの世にはいない」


「…………」


「だから、私は思ったんだよ」


 神父は、キャンバスへ目を向けた。


「祖父が見た、あの《ひまわり》を、もう一度描いてみたいと」


「……再現したいってことか」


「そうだね」


 神父は、優しく笑った。


「祖父が感動した景色を、私も知りたい。そして、できることなら、次の世代にも伝えたい」


 俺は、キャンバスを見つめた。


 黄色い花。


 古びた花瓶。


 まだ完成していない、一枚の絵。


 ……そうか。


 この人は、単にゴッホの真似をしたいわけじゃない。


 祖父との約束を果たしたいのだ。


 もう会えない人が、大切にしていたものを。


 もう一度、この世界に残したいのだ。


「……でもさ」


 俺は、神父の手元を見た。


「その手、大丈夫なのか?」


「……ん?」


 神父は、少し驚いたように俺を見る。


 俺は、彼の右手を指さした。


「さっきから、震えているだろ」


「…………」


 神父は、黙って自分の手を見下ろした。


 確かに、その指先は小刻みに震えていた。


 筆を持つだけでも、苦労しているように見える。


「……気づいていたのかい?」


「そりゃ、気づくよ」


 俺は眉をひそめた。


「無理しているんじゃないのか?」


 神父は、困ったように笑った。


「……年を取ると、いろいろ不便になるものだね」


「笑い事じゃないだろ」


「そうだね」


 神父は、ゆっくりと筆を置いた。


「正直に言えば、以前のようには描けなくなってしまった」


「…………」


「思い描いた線を、思いどおりに引けないんだ」


 その声には、悔しさが滲んでいた。


「それでも、描きたいと思ってしまう」


 神父は、キャンバスを見つめた。


「祖父との約束を、果たしたいからね」


 ……馬鹿だな。


 俺は、心の中でそうつぶやいた。


 もういない祖父との約束。


 失われた絵画。


 それを再現するために、震える手で筆を握り続ける。


 そんなことをして、何になる?


 金が手に入る保証もない。


 誰かが認めてくれる保証もない。


 それなのに、どうして。


 どうして、この人は諦めないんだ?


 ……いや。


 俺は、もう答えを知っているのかもしれない。


 ソフィアとの約束を守るために、何度失敗しても立ち上がろうとした自分。


 その姿と、どこか似ていたからだ。


「……なあ、神父様」


「何だい?」


 俺は、ゆっくりと立ち上がった。


「俺に、絵を教えてくれないか?」


 神父は、目を丸くした。


「……絵を?」


「ああ」


「君が?」


「そうだよ」


 俺は、キャンバスを指さした。


「その《ひまわり》、俺にも描かせてほしい」


「…………」


 神父は、しばらく俺を見つめていた。


 やがて、静かに尋ねる。


「……坂井くん。君は、絵を描いたことがあるのかい?」


「……いや」


 俺は、正直に答えた。


「ほとんどない」


「……そうか」


「でも、やってみたいんだ」


 俺は、キャンバスを見つめた。


「神父様が見たかった景色を、俺も見てみたい」


 神父は、黙っていた。


「それに……」


 俺は、少し照れくさくなりながら続けた。


「俺も、誰かのために何かを残してみたいと思ったんだ」


 今までの俺は、奪うことばかり考えていた。


 金を奪う。


 人の心を奪う。


 誰かの幸せを奪う。


 悪魔とは、そういう存在だった。


 だが、今は違う。


 俺は、何かを作ってみたい。


 誰かを笑顔にできるものを。


 誰かの心に残るものを。


 自分の手で。


「……だからさ」


 俺は、神父に向かって頭を下げた。


「俺に、絵画を教えてください」


 しばらく、沈黙が続いた。


 やがて。


「……ふふっ」


 神父が、小さく笑った。


「……何がおかしいんだよ」


「いや、すまない」


 神父は、目元を細めた。


「少し、嬉しくなってしまってね」


「……嬉しい?」


「ああ」


 神父は、キャンバスを見つめた。


「祖父から私へ。そして、私から君へ」


 その声は、どこか穏やかだった。


「こうして、誰かの思いが受け継がれていくんだね」


「…………」


「……坂井くん」


 神父は、俺に向き直った。


「絵を描くのは、決して簡単なことではないよ」


「……わかってる」


「思いどおりに描けないこともある。何度も失敗するだろう」


「……ああ」


「それでも、続けられるかい?」


 俺は、迷わず答えた。


「もちろんだ」


 神父は、しばらく俺の目を見つめていた。


 そして、ゆっくりと頷いた。


「……わかった」


 その顔に、優しい笑みが浮かぶ。


「では、明日の朝から始めよう」


「……本当か?」


「ああ。まずは、鉛筆の持ち方からだね」


「……そこから?」


「もちろん。基本は大切だからね」


 神父は、楽しそうに笑った。


「ゴッホだって、最初からあのような絵を描けたわけではないんだよ」


「……そりゃ、そうか」


 俺は、思わず苦笑した。


 まったく。


 これまで、悪魔の力を使えば何でもできると思っていた俺が。


 今度は、鉛筆の持ち方から勉強することになるとは。


 人生、何が起こるかわからないものだ。


「……よろしくお願いします、神父様」


 俺が頭を下げると、神父は穏やかに頷いた。


「こちらこそ、よろしくね。坂井くん」


 そして、彼はキャンバスへ目を向けた。


「一緒に、失われた《ひまわり》を探してみよう」


 ……失われた《ひまわり》。


 それは、戦争によって消えた一枚の絵。


 祖父との約束を果たすために、神父が追い続けてきた夢。


 そして、これから俺が挑むことになる、新しい世界だった。


 俺は、キャンバスを見つめた。


 そこには、まだ未完成の黄色い花が描かれている。


 不思議なことに、その花は、さっきよりも少しだけ明るく見えた。


 ……そうか。


 俺は、ようやく気づいた。


 今までの俺は、何かを手に入れることばかり考えていた。


 金も。


 力も。


 誰かの心も。


 だが、これからは違う。


 俺は、自分の手で何かを生み出してみたい。


 それが、どれほど小さなものだったとしても。


 誰かの心に、ほんの少しでも光を灯せるのなら。


 それだけで、十分なのかもしれない。


「……よし」


 俺は、小さく拳を握った。


「やってやるか」


 こうして俺は、絵画の世界へ足を踏み入れることになった。


 悪魔として、何かを奪うためではない。


 人間として、何かを創り出すために。


 そして、いつの日か。


 **ソフィアの笑顔を、俺自身の手で描けるようになるために。**

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