悪事の三つ目
表彰を受けた翌日。
俺は、次なる悪事について考えていた。
これまでの計画は、二度どころか三度も失敗している。
いい加減、失敗は許されない。
「悪事といえば……銀行強盗だな」
そうだ。悪事を働くなら、誰もが悪と認めるようなことをすればいい。
ちょっとした規則違反では、ソフィアの信仰を揺るがすことなどできない。ならば、警察が動くような大事件を起こせばいいのだ。
もちろん、俺自身が捕まるわけにはいかない。
悪事を働きながら、罪を逃れる。
それこそ、悪魔にふさわしいやり方ではないか。
「どうすれば、簡単に強盗を成功させられる……?」
正面から銀行に押し入るのは論外だ。目立ちすぎるし、警察に捕まる危険も高い。
もっと賢く、もっと確実に。
頭を働かせろ、坂井哲夫。
俺はしばらく考え込み、やがて、ひとつの計画を思いついた。
「ああ、そうか。その手があったか」
銀行に爆弾が仕掛けられていると通報し、行員や客が避難したところで侵入する。
実際に爆弾を用意する必要はない。人々が避難したあとなら、誰もいない銀行で目的を果たせるはずだ。
もちろん、そんな脅迫が許されるはずもない。
だが、俺が求めているのは、まさにそういう悪事だった。
金を奪えなくても構わない。警察沙汰になるようなことをすれば、ソフィアだって罪の重さを理解するだろう。
今度こそ、計画に抜かりはない。
俺は口元をつり上げた。
今回の標的は、街外れの古いビルに入っている花丸銀行だ。
準備を整えた俺は、ソフィアを連れて、その銀行が見える場所までやって来た。
「ソフィア。仕事だ」
「はい。何をすればいいのでしょうか?」
ソフィアは、いつもどおり疑いもせずに近づいてきた。
俺は道路の向こうにある銀行を指さす。
「そこの銀行に、爆弾が仕掛けられていると伝えてくれ」
「爆弾、ですか?」
「ああ。人がいるうちに知らせないと、危険だからな」
もっともらしい理由をつけると、ソフィアは真剣な顔でうなずいた。
「それは大変です。すぐにお伝えしないといけませんね」
「そうだ。頼んだぞ」
……本当に、扱いやすい女だ。
俺は笑いをこらえながら、彼女の様子を見守った。
もちろん、爆弾など存在しない。
ソフィアは俺の言葉を信じ、銀行に連絡を入れた。彼女の声には、相手を脅そうとするような響きなどない。ただ、誰かを危険から救おうとする切実さだけがあった。
その姿が、妙におかしかった。
嘘をついているのは俺だ。
しかし、その嘘を真に受けて行動するのは、彼女の善意だった。
これでいい。
あとは人々が避難したところで、俺が銀行に侵入すればいいのだ。
そう考えているうちに、銀行の周囲が慌ただしくなってきた。
行員たちが客を誘導し、建物から人々が出てくる。
やがて、銀行の中から人影がなくなった。
俺は満足げにうなずいた。
よし。計画どおりだ。
「行くぞ、ソフィア」
「えっと……どこへ行くのですか?」
「銀行の中だ」
「ああ。まだ誰か残っていないか、確認するのですね?」
「……まあ、そんなところだ」
違う。
強盗に入るためだ。
だが、いちいち説明するのも面倒なので、俺は訂正しなかった。
そして、一歩踏み出した、その瞬間。
地面が揺れた。
「……ん?」
最初は、気のせいかと思った。
だが、すぐに立っているのも難しいほどの揺れが襲ってきた。
「地震か!」
「哲夫さん!」
「慌てるな! まずは身の安全を確保しろ!」
俺たちは姿勢を低くし、周囲の様子をうかがった。
大きな揺れが続く。
古いビルが不気味にきしみ、遠くから何かが倒れる音が聞こえてきた。
やがて、地面の揺れは少しずつ収まっていった。
「……大きな地震だったね」
「ああ」
俺は立ち上がり、銀行のほうを見た。
まったく、とんだ邪魔が入ったものだ。
だが、地震が起きたからといって、計画を諦める必要はない。周囲の安全を確認したら、あらためて行動すればいい。
そう考えた直後だった。
ゴゴゴゴゴ……。
耳をつんざくような轟音が響いた。
「……は?」
銀行の入っているビルが、大きく傾いた。
次の瞬間、建物の一部が崩れ落ちた。
壁が砕け、窓が割れ、粉塵が周囲を覆い尽くす。
老朽化したビルは、地震の揺れに耐えられなかったのだ。
建物は次々と崩れ、あっという間に原形を失っていく。
そして、すべてが終わったとき。
花丸銀行が入っていたビルは、瓦礫の山と化していた。
「……うそだろ」
俺は、口を開けたまま立ち尽くした。
何が起きた?
いや、見ればわかる。
ビルが崩壊したのだ。
俺が強盗に入ろうとしていた、あのビルが。
「哲夫さん……!」
隣からソフィアの声が聞こえた。
「すごいです……!」
「何がだ?」
「きっと、哲夫さんは、このビルが危ないとわかっていたのですね。だから、爆弾があると知らせて、みなさんを避難させたのでしょう?」
「……は?」
「おかげで、たくさんの人が助かったんです!」
ソフィアは、感動したように胸の前で手を合わせた。
俺は何も言えなかった。
いや、言えるわけがない。
俺は人々を救おうとしたのではない。
人々を避難させて、誰もいなくなった銀行に強盗として押し入るつもりだったのだ。
それなのに。
結果だけを見れば、俺は大勢の命を救ったことになっている。
……どうしてこうなる?
俺たちが近づくと、避難していた人々の中から、銀行の行員らしき人物が駆け寄ってきた。
「あなたたちが、爆弾のことを知らせてくれたんですか?」
「ええ。そうです」
ソフィアは、ためらいもなく答えた。
「本当にありがとうございます! あのまま建物の中にいたら、どうなっていたか……」
「皆さんが無事でよかったです」
ソフィアは相手を気遣い、ほかの人々にも声をかけ始めた。
「お怪我はありませんか? 気分が悪くなった方はいませんか?」
その姿は、まるで聖女そのものだった。
いや、実際にそうなのだろう。
清水ソフィア。
神に愛された少女。
その幸運は、決して偶然ではないのかもしれない。
俺は彼女を見つめながら、奥歯をかみしめた。
また失敗した。
これで三度目だ。
いや、今回に限っては、失敗という言葉だけでは片づけられない。
俺は犯罪を企てたはずなのに、結果的に人々を救ってしまったのだから。
「くそ……!」
小さく吐き捨て、俺はその場を離れた。
もう、ソフィアの顔を見ていられなかった。
このままでは、お父様に報告することすらできない。
聖女を堕落させ、神の計画を打ち砕く。
そのために与えられた任務なのに、俺は何ひとつ成果を上げられていない。
お父様は、俺に失望するだろう。
そう考えると、胸の奥が重くなった。
俺は駅へ向かい、電車に乗り込んだ。
車内でスマートフォンを取り出すと、ニュースサイトを開く。
そこには、花丸銀行の入っていたビルが崩壊したという速報が流れていた。
負傷者の有無については、まだ確認中らしい。
……まったく、厄介なことになった。
俺は画面を閉じようとした。
そのとき、別のニュースが目に入った。
繁華街のラブホテルで、男性の遺体が発見されたという。
「……須美の仕業か」
俺は小さくつぶやいた。
須美美和子。
あいつはサキュバスだ。
人間の欲望につけ込み、ときには命さえ奪う。
俺が聖女ひとりを相手に四苦八苦している間にも、あいつはあいつで悪魔らしい仕事をこなしているらしい。
……腹立たしい話だ。
電車を降り、改札を抜ける。
高層マンションの最上階にある自室へ戻ると、部屋には誰もいなかった。
お父様は、またどこかで人間たちの争いを煽っているのだろう。
俺はスマートフォンを手に取り、お父様へ連絡した。
『なんだ、哲夫』
「申し訳ありません。任務に失敗しました」
『ほう。お前が失敗するとは珍しいな』
「……はい」
俺はうつむいた。
「清水ソフィアを堕落させることができませんでした。これまでの計画も、すべて失敗に終わっています」
『そうか』
お父様の声には、怒りも落胆も感じられなかった。
それがかえって恐ろしかった。
俺は恐る恐る尋ねた。
「お父様。俺は、これからどうすればよいのでしょうか。このまま計画を続けても、成功するとは……」
『もう迷う必要はない』
「と、いいますと?」
『小細工は終わりだ。聖女をこちら側へ引きずり込め』
その言葉に、俺は息をのんだ。
『お前には、そのための力がある。あの娘の意思を無視してでも、目的を果たせ』
「……!」
俺の額に、冷たい汗が浮かんだ。
それは、今までのように言葉で誘導したり、罪悪感を抱かせたりする方法ではない。
相手の意思を踏みにじり、力ずくで従わせろという命令だった。
ソフィアの信仰を揺るがすのではない。
彼女の尊厳そのものを奪い、二度と元には戻れない場所まで引きずり込む。
俺は、そんなことを本当に実行できるのだろうか。
『お前は私の血を引く子だ。自分の力を疑うな』
「……御意」
俺は、そう答えるしかなかった。
通話が切れる。
静まり返った部屋に、俺ひとりが残された。
俺はスマートフォンを見つめたまま、しばらく動けなかった。
お父様の命令は絶対だ。
逆らうことなど、許されない。
それなのに、胸の奥には、今まで感じたことのない重苦しさが残っていた。
「……何をためらっているんだ、俺は」
俺は自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
相手は聖女だ。
神に愛され、神の加護を受けた人間。
俺たち悪魔が勝利するためには、彼女を利用する必要がある。
それだけのことだ。
……そうだろう?
俺はテレビをつけた。
ちょうど、花丸銀行のビル崩壊について報道していた。
画面には、現場の映像とともに、銀行員へのインタビューが映し出されていた。
『最初は、爆弾があるという連絡を受けて、本当に驚きました。でも、あの連絡がなければ、私たちは避難していなかったと思います』
『結果的に、私たちの命を救ってくれたんです。本当に感謝しています』
『怪我人が出なかったことが、何よりです』
ニュースキャスターも、今回の出来事を「間一髪の避難劇」として紹介していた。
俺は、無言で画面を見つめた。
……なるほど。
崩壊したのは、花丸銀行が入っていたビルだけだったらしい。
つまり、俺の計画が失敗した原因は、地震によって建物が崩れたことにある。
運が悪かった。
ただ、それだけだ。
俺の頭脳が劣っていたわけでも、悪魔としての資質が欠けていたわけでもない。
そう考えれば、少しは気が楽になった。
「失敗は成功のもと、か」
俺は皮肉げに笑った。
今回の失敗から学べることはある。
少なくとも、古い建物を標的にするのは避けるべきだろう。
……いや、もういい。
銀行強盗など、どうでもいい話だ。
お父様から、次の命令が下されたのだから。
俺がやるべきことは、ただひとつ。
清水ソフィアを、神から引き離す。
彼女を利用し、悪魔の計画を成就させる。
たとえ、そのために彼女の心を傷つけることになったとしても。
「……今度こそ、失敗するわけにはいかない」
俺はテレビの電源を切った。
暗くなった画面に、自分の顔が映る。
そこにいたのは、いつもどおりの俺だった。
何も変わっていない。
そう思いたかった。
だが、どうしてだろう。
お父様の命令を受けたはずなのに、俺の胸の奥には、ソフィアの笑顔がいつまでも残っていた。




