2-気づいてくれたと期待しちゃった
おめでとうと言おう。
翌朝、家を出る前に三木は、自分に対してそう誓った。
確かに影の薄いぼっちだが、それでもクラスメイトだ。
そこはちゃんと返さないと失礼過ぎる。
それに……ちゃんと言えたら、昨日よりは少しだけ前に進めるよう気がする。
だから、三木は勇気を振り絞るようそう決めた。
そして幸運なことに、登校中に三木は彼女の背を目にする。
――教室より人の少ない今なら……。
そう思い慌てて声をかけるも、うまく声が出なかった。
「えあっは!」
そんな零れたのは情けない声が、『おはよう』の成れの果てだとは、流石に彼女の頭脳でも理解出来ないだろう。
恥ずかしくて、情けなくて。
だから三木が隠れようとしたその瞬間だった。
ぎゅいっと勢いよく、彼女がこちらに振り向いた。
まるで、ホラー映画の一シーンかのように、唐突に。
「あっ三木君じゃーん! おはよー! 奇遇だねー」
ぱたぱたと足音を立て、彼女――如月梨沙はいつものひまわりみたいな笑みを見せる。
自分なんかに笑ってくれている。
そう思うと、三木の胸は嫌な音を立てた。
自分が、酷く惨めな存在に思えてきて。
「そいえば三木君から声をかけてくれるなんて初めてじゃん! どしたん? あーしに用?」
「あ、え、いや……えっと……」
「あっ。もしかしてサイン? 三木君なら別に良いよ? あーしの初サインだから、大切にしてくれるなら……」
「そ、そうじゃないよ!」
「そっか。んじゃどしたの?」
「えっと、その……おめでとうって……言いそびれたから。賞なんて、すごいね」
彼女はきょとんとしたあと、顔いっぱいに喜びを浮かべた。
「もしかして読んでくれた!? どうだった?」
「……凄かった」
それは、三木の正直な感想だった。
面白かったとか、読後感がどうとか、そんな言葉では表せられない。
あの雑誌の中で、いや、どんな名作よりも熱があった。
読むだけで身体まで燃えている感じるような、そんな漫画だった。
けれど……。
「そっか」
彼女の笑顔が、わずかに曇る。
他人の心の機微など、ぼっちの三木にはわからない。
それでも、今自分の放った言葉で彼女から笑みが消えたということくらいは理解出来た。
言わなければよかった。
三木は会釈だけして、その場から離れた。
「あっ。ちょっ――」
後ろからの声を三木は無視する。
やっぱり、彼女は自分なんかと一緒にいたら駄目な人なんだ。
自己嫌悪ばかりが積み重なって、後悔ばかりが山になって。何もかも嫌になりながら小走りで逃げていると――。
「あいつが? 確かに良い女だな」
背後の声に、三木は足を止める。
壁に身を隠して振り返ると、ガラの悪い男が三人で彼女を取り囲んでいた。
一人は彼女を値踏みするように眺め、もう一人は道を塞ぐ。
そして中央にいる、一回り大きな男だけが、妙に楽しそうに笑っていた。
「……何の用事でしょうか? これから学校なんですが?」
彼女は、見たこともない冷たい表情をしていた。
「学校なんてつまんねぇだろ? 楽しませてやるから一緒に遊ぼうぜ?」
「結構です」
彼女が横を抜けようとすると、男が一歩ずれて道を塞いだ。
「まあまあ、ちょっと付き合ってくれよ」
「……止めてください」
「いいだろ? ちょっとだけ、ちょっとだけだって」
三人がげらげらと笑う。
彼女の顔が、露骨な嫌悪に染まった。
そうして彼女がスマホを取り出した瞬間、一人がその腕を掴む。
そして手馴れた仕草でスマホまで奪い取った。
「はい、これは没収。終わったら返してあげるね」
「な、なにをするんですか!?」
男は彼女を掴む反対の手で、届かないようにスマホを頭上へ掲げる。
必死に取り返そうとする彼女を、三人は面白がるように笑っていた。
「ほら、こっち来いって」
「やめ――」
「や、やめりょ!」
叫び、現れたのは三木。
よほど緊張したのか、その声は完全に裏返っていた。
三木は彼女を掴む腕に体当たりの要領で無理やり身体を挟み込み、引きはがした。
そして、男たちから庇うよう、彼女を背に向け彼らと相対する。
見上げるような、大きな三人を前に三木の身体はすくみ上る。
眩暈がする。
緊張と恐怖で、歯がガタガタと震えている。
それでも、三木はそこに立った。
ごめん。
怖くて、すぐに勇気が出なくて。
それでも、来れた。
警察には既に連絡している。
だから後は、時間を稼ぐだけで――。
「ほーん。ナイト様なんてねぇ、君、恰好良いじゃん」
三人の中で一番大きな男が、ぱちぱちと軽く拍手をする。
そして大男は数歩前に出て――何の前触れもなく三木をぶん殴った。
三木の腰より太そうな腕から放たれた拳は、身体ごと三木を吹き飛ばす。
あまりの唐突なことに、何が起きたのかさえ三木には理解出来なかった。
「みーくん!?」
彼女の悲鳴が轟いて、それでようやく自分が殴られたと三木は知った。
「よっわ」
大男が嘲笑うと、彼女は大男をきっと睨みつける。
それで、大男の顔から笑みが消えた。
「……なんだ? その反抗的な目はよ? あぁ!?」
大男はいらだった様子で、彼女を脅す。
それでも睨むのを辞めない彼女を見て、大男は彼女の髪を掴み上げようと手を伸ばす。
その手が、ぱしっと弾かれた。
三木が、再び彼女を庇うよう立っていた。
痛みからか、膝をがくがくと震わせながら。
大男はそれを見て、こめかみをぴくぴくと動かし顔を歪ませる。
けれど、すぐ笑みに戻した。
「ヒュウ♪ かっこいいじゃん」
大男は楽し気な様子でどこからか小さな酒瓶を取り出し、ぐいっと呷る。
舌を出し一滴まで飲み干した後、空き瓶を三木の頭へ叩きつけた。
心地よい音と共に、細かなガラスが煌めき舞い散る中、三木の身体がぐらりと揺れる。
さらに追撃で、丸太のように太い足が三木の身体にめり込んだ。
ぺきょっと、カエルが潰れるような音の後、三木はボールのように吹き飛び、地面に倒れる。
そのまま、みじろぎさえせず三木は動かなくなった。
その光景があまりにも突拍子がなくて、彼女は絶句する。
取り巻きの二人でさえ、顔を引きつらせていた。
「これ、不味いんじゃ……」
「はっ! 知らねえよ。つかさ、死んだところで、どうでもよくね? 俺みせーねんだし」
げらげらと、大男は一人で楽しそうに笑った。
周りがどうなろうと、自分さえ楽しければ構わない。
そんな態度だった。
別に構わない。
世界なんて、そういうものだ。
みんな同じ、誰だってそう。
自分だけが良ければいいという考えを、三木は否定しない。
それでも――。
鉛のように重たい身体を支え、三木はゆっくりと立ち上がる。
彼女は、違う。
彼女は、この先を生きる価値がある。
自分なんかより、ずっと。
ゆらりと近づく三木に、彼女は泣きながら懇願した。
「もう止めて! もう良いから! お願い……本当に死んじゃう!」
三木は服が赤く染まるほど、頭部から血を流していた。
どうりで、前が見づらいわけだ。
それでも、三木は彼女を庇う。
これは別に、愛なんて高尚なものじゃない。
ただの、価値の話。
何物でもない自分と才能も情熱も、何でも持っている彼女。
どちらに価値があるかなんて、言うまでもないことだ。
そしてそれは、何者にも成れない三木にとって、命を捨てるに値する。
そう――三木は、彼女、如月梨沙が……羨ましかった。
男の顔が怒りに歪む。
自分より弱いくせに、何度も立ち上がってくる。
それが、気に入らなかった。
「てめぇ……そんなに死にたいならぶっ殺してやるよ!」
男は彼女から目を離し、三木へ飛び掛かった。
「やめ……止めて! お願い! 何でも言うことを聞くから、だから……だから!」
彼女の声は、三木にも大男にも届かない。
その巨体が、三木へ迫る。
そして――。
パァン!
乾いた紙風船のような音が、一つ鳴る。
静寂が広がり、皆の動きが静止する様子はまるで時間が止まったかのよう。
そんな静寂の均衡を崩したのは、大男。
三木に覆いかぶさるよう立っていた大男は一瞬ぐらりと身体を揺らし、その場に崩れ落ちる。
立っているのは、三木の方だった。
彼は、まっすぐ右拳を前に突き出していた。
皆が呆然とする中、サイレンの音が響く。
その音を聞いて安堵したのか、三木も続くようぱたりとその場に倒れた。
ありがとうございました。




