3-みーくん
一人の男の話をしよう。
その男は、善意の塊のような父と、慈愛そのものというような母から生まれた。
厄介な親戚もいなければ企業や宗教とのかかわりも持たない一般家庭。
極めてしがらみの少ない、愛に溢れた核家族。
誰もが羨むような理想の在り方。
幸せは、約束されたようなものだった。
父は、他者と交流することが大好きだった。
幼稚園の頃から保護者会のリーダーを務め、小学校ではPTAの長となる。
祭りのようなみんな好きなものだけでなく、草むしりや掃除なども喜んで駆け付けた。
中でも、子供の倶楽部活動を父は好んだ。
特に父の好みだったのは運動系。
バスケ、サッカー、野球等々。
少年スポーツに関わるものは、概ね網羅したと言っても良い。
そして自分が遊びに行くたびに、息子にも倶楽部活動に参加させた。
完全なる、善意で。
自分が運動でも勉強でもある程度出来て、人付き合いを苦と思ったことがないから、それは本当に単なる善意だった。
その結果、小さなうちから『僕は駄目なんだ』とネガティブなことしか考えられない存在を生み出した。
運動不足でコミュ力不足。
周りに迷惑をかけないわけがなかった。
失敗ばかりで落ち込んだ息子を見て、父は反省した。
『そうか、集団生活は苦手だったか。だったら個人競技だな!』
この時の少年の絶望が、どれほどのものだったかわかるだろうか?
能力なんて低くても良い。
大切なのはチャレンジする心意気。
昨日の自分に勝てば良い。
まったくもって正しい。
正しいけれど、正しいだけで幸せになれるなら少年のようなネガティブな存在は生まれてこない。
陸上系、テニス、ゴルフ、果てには遠征してボードなどのウィンタースポーツまで。
何をやってもダメダメで、自己嫌悪が加速するだけの日々。
そしてその果てに――。
ついに、ついに見つけてしまった。
少年の、黄金の才能を――。
体育館に響く破裂音は、静寂を生む。
子供が百人以上集まり騒いでいたのに、誰もが言葉を失っていた。
全員の視線が、少年に集まる。
少年は何かを殴ったわけじゃない。
ただ、指導されるがまま拳を放っただけ。
たったそれだけで、少年は体育館中に響く音を叩き出した。
それは足先から頭のてっぺんまでを一つの動作としなければ成し得ない極致。
基礎練習の答えとも言える奥義を、少年は生まれ持っていた。
父は、喜びに涙を流した。
やっと息子に出来ることが見つかった。
息子の生きる道が見えた。
だってそうだろう?
何も出来ない息子に、得意があったんだ。
そう思うのは普通なことだ。
お前はこんなに凄い奴なんだ。
お前は俺たちの自慢の息子だ。
そうして、少年は空手の道に入門する。
はじめて、諸手を挙げ歓迎された。
父も我が息子は止まり木を見つけたのだと満足し、少年のサポートを惜しまなかった。
あらゆる道具を最高級であつらえ、教本やDVDも先生に言われるまますべて買って。
息子の幸せのため。
息子の成功のため。
そう思うと、どんな苦労も苦ではなかった。
父もまた、必死だった。
出来ない我が子に、出来る楽しさを教えたかった。
人生は幸せなんだって伝えたかった。
少年が空手を始めて半年。
父はようやく、自分の節穴に気づいた。
母もまた、正しさがイコール成功だという勘違いを思い知った。
けれど……気づくのが、二人とも遅すぎた。
その時には、息子の体重が十八キロなんて数字になって、円形脱毛症を幾つも抱えていた。
繊細な息子が、どれほど我慢強かったかを彼らは知らなかったのだ。
両親は共に、他者より失敗を振り返る回数が少ない人生だった。
もっとはっきり言えば……両親とも、成功者過ぎたのだ。
善に生きることが当たり前なくらいに。
乗り越えられる程度の挫折と失敗しか、彼らは知らなかった。
そう――両親は、間違えた。
父が伝えるべきは、『お前は出来る子だ』ということじゃない。
『お前は、そのままで良い』
それだけで、良かった。
それを理解したのが、あまりにも遅すぎた。
それでも、二人は必死に伝えた。
無理をしなくても良い。
父も母も、あるがままのお前を愛していると。
何も出来なくても、得意がなくても、関係ない。
お前に、幸せになって欲しいんだと――。
肉体がどれだけ格闘技に向いていようと、心はそうじゃなかった。
たった一言、嫌と言えば良かった。
けれど、それが出来なかった。
少年は誰よりも内向的で、そして両親の正しさを信じていたから。
父も母も苦しんだ。
自分の所為で苦しんだ。
だから少年は、記憶に蓋をした。
自分の所為で両親を苦しめたことよりも、ただ出来ない無能であった方が、遥かにマシだったから。
そう――向いてなかった。
誰かを殴ることも、殴られることも辛くてしょうがなかった。
だから、彼が誰かを殴ったのは、模擬戦も含め生涯でただ一度――いや、今回の騒動を含め、二度だけだった。
幸か不幸か、事件はとんでもなく大事になった。
センセーショナルな内容に加え、犯人側の余罪や社会を舐めきった態度。
そして暴行未遂を受けたのが漫画賞受賞の若き女子学生であったこと。
様々な要素が加わり、情報は一気に拡散された。
全国紙に載り、マスコミが現れ、一時は学校封鎖の危機さえあった。
けれど、三木がそれに巻き込まれることはなかった。
入院という閉鎖された空間は彼のプライバシーを守るのに都合がよかった。
病院と警察は連携し、面会謝絶によって最後まで事件と三木の接点を隠しきった。
同時に、如月梨沙が記者会見を開き自分が被害者だったと告白した。
女性で、暴行未遂を受けた。
その事実を公表するのは大変勇気がいる行いであるし、マスコミに好き放題書かれ一生の傷にもされかねない。
それでも、万が一にも三木が巻き込まれたことを漏らさないため矢面に立った。
一方、加害者三人には相応の末路が待っていた。
彼らは『二十歳未満なら少年法で守られる』と勘違いし、何をやっても大したことにはならないと思っていた。
余罪も多く、また十八と十九という年齢もあって、事件はさらに大きくなった。
しかも彼らは何を思ったか逮捕後に捕縛する警察を振り切って、自ら撮影陣の前に飛び出し、警察を馬鹿にした後出所後の犯行予告まで口にした。
それが、彼ら自身の首を絞めることとなる。
顔を晒してイキった発言に加え、少年法の誤解。
世間の関心は被害者の『美少女高校生ギャル漫画家』ではなく、三人の犯人へ移った。
ネットの玩具となるのに十分過ぎるほどのキャラクター性を、彼らは獲得していた。
そして三木の退院により、被害者たちの日常は取り戻された。
おおよそ一月ぶりに、学校への登校。三木は自分の教室の前で、立ち往生していた。
もともと教室に入るのに緊張していたのに、一月の隙間に悪目立ち。
怖くないわけがなかった。
それでも、いつまでも逃げるわけにはいかなくて……三木は勇気を振り絞り、教室のドアを開ける。
ガラガラという音と共に、場の空気が固まった。
自分が入るまでは楽しそうに話していた複数のグループさえ、会話を止めている。
以前は空気扱いだった三木を、誰もが目視していた。
「あっ。お……おは……よう……ございます」
視線に耐え切れず、目を逸らし、三木は呟く。
沈黙が続いた。
そんな三木の方へ、男が一人近づいてくる。
それは良く三木をオタクいじりしていた、山口だった。
山口は三木の前に立ち――その背を、とんと叩いた。
「ようミスターヒーロー! 名誉の帰還ご苦労様!」
「……ふぇ?」
きょとんとする三木の周りに、クラスメイトが集まってくる。
「おはよう三木君。怪我は大丈夫?」
「やるじゃないか! お前、如月さん守ったんだろ? かっこいいじゃん!」
「ガッツあるじゃねーか!」
わいやわいやと取り囲まれ、男子は称賛を、女子は心配をして、三木はただただ混乱するばかり。
そう――わかるわけがない。
壁を作っていたのは、いつだって自分の側。
最初から、彼らにそんなものはなかった。
山口だって、いじめたかったわけじゃない。
ただ、仲良くしたくて空回っていただけだった。
そんなことを知るよしもない三木は、急に彼らとの壁が消えたように感じ、おろおろとすることしか出来なかった。
ただ、混乱の中でも一つ、どうしても気になることがあった。
「あの……ミスターヒーローって……」
三木の言葉に、山口はニヤっとした顔で笑い、再びその背を叩いた。
「いや、だって如月さんを助けたら……なぁ?」
ミスターヒーロー。
それは、彼女が描いた漫画の主人公が物語中で呼ばれたあだ名だった。
「いや、そんな失礼なことを……」
「如月さんも否定してねーぞ。……むしろ満更でもなさそうな感じだ。お前、実は惚れられたんじゃないの?」
山口が小声で囁く。
「そんなわけないよ。僕なんて何もないのに……」
「何もないなんてことはないだろ? 人の命を救っておいて。むしろ俺は、お前こそが如月さんの漫画のモデルかと思ってるくらいだぜ?」
山口の言葉に、他の女子は溜息を吐いた。
「あんた時系列めちゃくちゃよ。漫画が公開されて賞取った後の事件じゃない……。ほんと山口は山口だなぁ」
やれやれと、女性たちは溜息を吐く。
山口に空気が集中したタイミングで、三木は彼女に目を向けた。
いつもは真っ先に来るのに、彼女は自分の席に付いたまま、遠巻きにこちらを見ていた。
しかも目があうと……三木が反らすよりも早く彼女は目線を反らした。
人見知りのようなその態度はらしくなく、けれど同時にどこか懐かしいものだった。
「君に嫌われてないか怯えてるのよ。巻き込んで怪我をさせたから」
女生徒が小声で囁く。
なるほどと頷くと、女生徒はしかめっ面になり、見えないよう三木の腕をつねった。
「慰めろって言ってるのよ、鈍感馬鹿」
他のクラスメイトも同感なのか、皆が三木の背中を押す。
そして彼女の前に立って、三木は――。
「えっと、おはよう、ございます」
「うん。おはよう。あと、ごめん。私の所為で……」
「いえ、大丈夫です。如月さんに、怪我なくて良かった」
「……良くないよ。みーく……三木君が、あんな怪我をして――」
彼女の顔は泣きそうだった。
どう慰めれば良いのだろうか。
自分なんかが何を言っても、きっと彼女を悲しませてしまう。
三木はいつものネガティブな苦悩のスパイラルに陥る。
そんな時だった。
こんこんと、幼少期の封じていた記憶がノックをしている。
何かを思い出しそう。
だけど、それが何かわからなくて――。
『みーくん』
「……あっ」
ぽかんと間抜け面で、三木は呟いた。
「……三木君。どうしたの?」
「えっと、その……もしかしてなんだけど……うん。えっと……その……」
「良いよ。ゆっくりで」
「あの……髪の色って、染めてない?」
彼女の髪の色は、金に近い、派手な茶色。
ギャル風の外見も含めそれは染めているものだと三木は思っていた。
「へ? いや、どして? ちな染めてないよ。これでも地毛。証明書も取ったし」
「えと、昔はもっと、薄かった?」
「そだねー。ハーフに間違われる程度には薄かったよ」
彼女の言葉で、封じていた記憶が揺り戻される。
忘れていた。
かつて三木は、金髪の小さな女の子と出会ったことがある。
その子が――如月梨沙だった。
それに気づいた瞬間……今までのすべてが繋がった。
幼い頃の金髪の少女。
何故かずっと自分に良くしてくれている一軍女子のギャル。
マイラブマイヒーローという、最高の愛を注いだ物語。
すべてが――。
「……どしたの三木君? 顔真っ赤だよ?」
「にゃ、にゃにゃにゃ、にゃんでもないです!」
慌てて三木は離れ、自分の席に着く。
如月梨沙は、首を傾げることしか出来ない。
そう、一致した。
一致してしまった。
今回の騒動以外にも、過去に一度だけ暴力を振るったことがある。
外国の子供と間違われ、誘拐されそうになっていた如月梨沙を助けるために。
気づいたら、考えないわけにはいかなかった。
彼女の描いた漫画のモデルが誰か。
そして――彼女が向けていた情熱や愛が、どこに向いているかを――。
考えすぎて、恥ずかし過ぎて、ドキドキしすぎて――。
三木がのぼせ倒れるまで、大して時間はかからなかった。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。
楽しんでいただけましたでしょうか?
もし楽しんでいただけましたなら、ブクマ高評価などで応援のほどなにとぞよろしくお願いします。
星のように膨大な本棚からこのお話を手に取ってくださったこと、心より感謝お礼申し上げます。
そして再び、巡り合わせが重なりいつかどこかで私と巡り合うその時を、心より祈りお待ちしております。
では、またどこかで――。




