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9.弟はどこに

また夢を見ているんだってすぐにわかった。だってあの子の姿が見えたから。

小さな背中を追いかけるようにその後ろについて歩く。小さなあの子の歩幅は小さくて、それに合わせるようにゆっくり歩いた。すると、突然前を歩いていたあの子が足を止めた。


・・・どうしたんだ?


声をかけるが俯いたまま反応がない。視線を上げると白い神官の服をきた数人がこちらを見てひそひそと何かを呟いている。それが何を意味しているか、声が聞こえなくてもわかった。


行こう。


立ち止まって黙り込んだままの彼の手を取って歩き出した。握った手があまりに小さくて儚くて、壊れてしまいそうだ。向かった先は神の像が祀られているあの場所だ。そこに他の人の姿はなかった。


「・・・・綺麗だ」


静かなその場所にぽつりと小さな呟きが響いた。視線を向けるとあの子は床に映っているステンドグラスのカラフルな光を食い入るように見つめている。その姿が微笑ましく、つい笑みがこぼれた。


そうだな・・・望むなら、もっと色んな綺麗なものを見に行こう。


「・・・そんなこと、許されるわけがない」


私が見せるよ。君に世界の美しさを知ってほしいから。




少しの悲しさを含んだありふれた日常だ。目覚めたばかりのぼんやりとした意識のまま天井を見上げた。


「・・・あの景色は・・」


部屋に鎮座していた神の像、ステンドグラスに彩られた床。夢で見たあの場所は見覚えのある場所だった。意識がはっきりとしてからハッとして起き上がった。隣で寝ていたらしいレアがピィと寝ぼけたような声をだす。


「・・・あの子はここにいるかもしれない」


夢に見ているあの光景はきっと過去の出来事なのだろう。会えるかもしれないという可能性に喜びと切なさで胸が痛んだ。


『ダメです。あなたも身をもってわかったでしょう?印象に残る記憶が甦ろうとするとあなたに大きな負担がかかります』


まるで警告のようにレイモンドの言葉が頭をよぎった。身体にかかる大きな負担、彼の言葉をついこの間身をもって知ったばかりだ。けれど、わずかに思い出した弟の手がかりを諦めきれない自分がいる。


(会うことで記憶が戻る心配があるのなら、ただ遠くからその無事を確かめられればいい)


現に元恋人であるというアルフレドに関する記憶はその姿を見ても思い出さなかったから。忠告に少し言い訳をして正当化しているとわかっていたけれど、居ても立っていられなかった。





夕刻には帰るとレイモンドが仕事に向かって少ししてから、ひっそりと出かけるための準備をしていた。

人目をさけるためにローブを羽織り、顔が見えないようにとしっかりとフードをかぶる。扉を開けて頭だけ出して周囲を見渡すと、幸いなことに人の姿は見えない。


「よしっ行こう!」


記憶が正しければ弟は聖堂に足を運んでいた。もしかしたら偶然あの子を見つけることができるかもしれない。けれど問題は私には聖堂までの道のりがわからないことだ。聖堂は教団へやって来た初日に来て以来行っていないし、しかもあの時はレイモンドに引かれるまま歩いていたからどの道を進んでいたのかもはっきりしない。けれどそれでもかまわなかった。目的地は聖堂だけれどその行く先で出会うかもしれない。期待に胸を膨らませて教団の本館の廊下に足を踏み入れる。目指すは聖堂だ。




「・・・・・・見つからない・・やっぱりそう上手くいかないよね」


辺りに正午を知らせる鐘が鳴り響く。目立たないようにと人目を避けながら目的の人物を探すことは骨が折れるだろうと覚悟していたけれど想像以上だ。時間の経過よりも気力がすり減っていく。

レイモンドが帰ってくるのは夕刻のはずだからまだ時間があるけれど余裕があるというわけでもない。ぐるぐると本館を回ったあと、渡り廊下を抜けて庭園に来ていた。構造自体は似ているけれど、レイモンドの居住地ではない。


「・・ここは・・・どこだろう」


茫然としながら周囲を見渡した。


(やっぱり手あたり次第に探すのは無謀だったかな)


ため息をついて後悔するけれどすでに遅い。気が付くと帰り道もわからなくなってしまった。辺りには綺麗な薔薇が咲き乱れている。真っ白で堅牢なイメージの教団内にはあまり合わないようなその花はもしかしたら誰かの好みで植えられているのかもしれない。


(・・・・まさか誰かの居住地に入っちゃったのかな・・)


嫌な予感がして来た道を引き返そうかと周囲を見渡したとき、少し遠くに東屋があるのが見えた。薔薇に囲まれた東屋、美しい光景のその場所に人が佇んでいるのが見える。


(・・・あれは・・)


騎士を従えて優雅にお茶を飲んでいる。その人物が誰なのか理解した瞬間、生垣の裏に勢いよくしゃがみ込んだ。その勢いで生垣が揺れ、葉がこすれる音が思いのほか大きく響いた。


「・・・誰?そこに誰かいるの?」


たった一度会っただけだけれどその姿と声を忘れられない。東屋でお茶を楽しんでいたらしい聖女は物音に気付くと誰何の声をかけた。両手で口をふさぎ、できるだけ小さく身を縮める。夫がいても明らかにレイモンドに好意を寄せているのがわかる女性だ。ここで婚約者である私が鉢合ってしまえば十中八九大変なことになってしまう。


(・・・・見つかりませんように・・)


祈るようにして息をころしていると背後からがさりと生垣を揺らす音がした。背後から明らかな人の気配がしている。恐る恐る振り返ると少し驚いたように見開かれた水色の瞳と目があった。見つめ合いながら少しの緊張感が漂った。


「アルフレド、何かあったの?」


聖女の声で我に返ったのだろう、驚いた顔で私を見下ろしていたアルフレドは何事もなかったかのように聖女へと視線を移した。


「・・・・猫です。ネズミを置いかけてきたようです」


淡々とした口調で私の存在を隠した。その嘘に聖女は気づかなかったらしい。


「何ですって?私、獣は大嫌い。部屋に戻るから駆除をしておいて」


「かしこまりました」


本当に嫌いなことがわかる、不快感をあらわにした声だった。忌々しさを含んだ口調でアルフレドに命じると、聖女は急ぎ足で東屋を出て奥にある建物へと入っていった。その姿を生垣の隙間からこっそりと覗いていた。あれが彼女の家なのだろう。聖女の姿が見えなくなったことを見届けた彼は再び私を見下ろした。


「こちらです」


ただ一言、それだけ言うと背を向けて歩き出してしまう。どうやらついてこい、ということらしい。


(・・・ついて行っていいのかな・・)


とっさにその背中についていくことは躊躇われた。どちらにせよ、いつまでもここにいてはいけない。それならあの背中についていくのも、同じことだろう。戸惑いながらも意を決して足早にその背を追いかけた。




「あの辺りは聖女の居住地区になります。不用意に近づかない方が身のためです」


「・・・はい」


渡り廊下を抜け本館の建物内を進んでいるとそれまで黙っていたアルフレドが歩みを止めないまま言った。その声は淡々としていて表情の見えない今は特に何を考えているのかがわからない。


(助けてくれたんだよね・・)


フードの影からそっとアルフレドの背中を見つめていると、突然彼が足を止めて振り返った。


「クレール様の居住地はこの先になります」


義務的な固い声だったけれどむしろその様子に少しだけ安心した。あまりいい別れ方はしなかったようだし、前回会ったときもどう接すればいいのかわからなかったから。


「あの・・・ありがとうございました。ここまで案内してくれたことも、さっき助けてくれたことも」


義務的な対応にほっとして、俯いたままお礼を言った。


「・・・あなたは、本当にアリシアなんですか?」


お辞儀をして足早にその場を後にしようと彼の横を通り過ぎようとしたときポツリと呟いた声が聞こえた。


「え・・・?」


おもわず振り返るとアルフレドは眉をひそめて険しい顔をしていた。その視線は真っ直ぐに、けれど疑いを含んで私を見つめている。


「あなたは・・・今までどこにいたんですか?あんなことになって・・・あなたの消息は掴めなくなって・・・それに、その姿は一体・・」


わけのわからないことを言われて混乱しているのは私の方だ。けれど目の前のこの人の方が戸惑って苦しんでいるように見える。


「・・・どういう意味、ですか?」


「・・・私は・・・ずっとあなたを・・っ」


苦しそうだと思っていたら、痛みをこらえるように頭を押さえてぐらりとその身体が傾いた。


「えっ!あ、あの大丈夫ですか?」


傾いた身体に手を伸ばしてとっさに支える。熱でもあるのかと思ったけれど、その手は驚くほど冷たく顔色も悪かった。


(・・・・・貧血かな)


「・・・すみません。大丈夫です」


アルフレドはそう言いながら私の手を離して距離を取ろうとする。けれどその表情は今だに苦悶で歪んだままだ。額には少し汗が滲んでいる。


「・・・・何が大丈夫なんですか。ちょっとこっちに来てください」


倒れそうな人を前にしてさっきまでの戸惑いなんてどうでもよくなった私は、問答無用で氷のように冷たいその手を引いて歩き出した。



木陰に気持ちのいい風が通り抜け、思わず目を閉じた。穏やかな風はかすかな花の香りを運んでくる。

木を背にしてもたれかかるようにして座りながら、隣で目を瞑っているアルフレドの顔を横目で見た。初めはためらって休む気配がなかったけれどすぐに限界を迎えたらしく、少し険しい表情のまま寝息をたてはじめた。よく見るとその目元にはクマが浮かび、疲労の色が見える。


(あまり眠れていないのかな・・?)


複雑な心境で元恋人だという彼の顔を見つめる。妻である聖女は彼の体調を知っているのだろうか。


(・・・私には関係ない・・・でも、さっきの言葉・・・)


ふと、先ほどのやり取りのなかのアルフレドの言葉が頭をよぎった。


『・・・あなたは、本当にアリシアなんですか?』


私は事故にあって長い間眠っていた。でも、そうだとしても元恋人に対してその疑問が浮かんでくるのは少し変だ。


(まるで・・私がアリシアじゃないように思えるみたいな・・)


ぼんやりと考えながら綺麗な寝顔を見つめていると音もなく瞼が開かれた。まだ覚醒していないのだろう、ぼんやりとしたまま数度瞬きを繰り返した。


(見すぎちゃったかな・・)


騎士だから気配には敏感なのかもしれない。少し後悔したけれど、目が覚めてしまってはもう遅い。


「おはようございます」


申し訳なく思いながら声をかけるとぼんやりとしていた目が焦点を合わせたように私の姿を見て見開いた。


「・・・・・アリシア?」


まるで信じられないものを見たような表情だ。まだ現実と夢の区別がついていないのかもしれない。気の抜けたようなその表情が少しおかしくて苦笑いしてしまう。


「体調はどうですか?」


彼は私の言葉に答えずに身体を起こすと小さく息を吐いた。


「・・・・私は・・・まだ都合のいい夢を見ているんですね・・・っ」


アルフレドは痛むように頭を押さえた。どうしたんだろうか、その様子は体調不良と寝起きであることを考慮しても少し違和感があった。


「あの・・・お医者様に見てもらったほうが――」


「・・・・アル!・・・・・アルフレド!どこにいるの!」


遠くからアルフレドを呼ぶ声がしてとっさに声のした方を見る。その声は先ほども聞いた、聖女の声だ。命じたまま帰ってこない夫を心配しているのだろうか、その声には焦りが滲んでいる。


「行かなければ・・」


自分に言い聞かせるように、アルフレドは木を支えに立ち上がった。少しふらついているけれど眠る前

よりもしっかりした足取りだ。そのことに安心しながら歩き出したアルフレドに声をかける。


「あ、あの待ってください」


呼びかけるとアルフレドはゆっくりとした動作で振り返った。


「・・・1つ教えて欲しいことがあるんです。私の弟がどこにいるか知りませんか?ここにいるとおもうんですけど・・」


「アリシア・・・」


どうしてだろうか、悲しそうな表情をしている彼は少し戸惑ったように私を見た。


「・・・あなたに兄弟はいないでしょう?」


「え・・・?」


アルフレドはそのまま聖女の声に呼ばれるように背を向けて行ってしまった。

取り残された私はただ茫然としたままその場に立ち尽くした。

読んでいただきありがとうございます。

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