5.王都
「アリシア、ここを離れて王都に行きませんか?」
神妙な顔でレイモンドが切り出したのは夕食後に2人でお茶を飲んでいたときだ。遊びに行くのではないのだろうということはその表情を見てわかった。
「仕事のために王都に戻らなくてはいけなくなったんです」
「仕事って・・これまでもしていたでしょう?」
レイモンドは時々書類仕事をしている。具体的にどんな仕事をしているのかはわからないけれど今までどおりこの家でできないことなのだろうか。疑問を口にするとレイモンドは申し訳なさそうな顔をする。
「これまではこの家を拠点としていましたが、少々問題が起きて王都に帰らなくてはならなくなりました。ですが王都の俺の家は決して居心地のいいものではありません。特殊な場所なので制約も多く、これまでのように自由に出歩くこともできなくなります。それに何より・・・あなたにとって居心地のいい場所じゃない」
負の感情を露わにすることがない彼には珍しく最後の言葉には少し不快な感情が滲んでいた。
「私にとって居心地のいい場所じゃないってわかってるってことは、私にも関係のある場所なの?」
「・・・・はい」
制約が多いから、居心地が悪いとは言わなかったからわかった。私の言葉にレイモンドが険しい表情で頷く。
「それなら、私はあなたと一緒に行きたい。ここで1人で待っていても記憶が戻るとは思えないもの」
「アリシア」
笑顔で答えるとレイモンドに思いつめた表情のまま抱きしめられた。
「レイモンド?どうしたの?」
突然のことに驚いて少し声が上擦る。夜空の散歩をした日から触れることに少しためらいがなくなったようだ。けれど慣れない私としてはドキドキしっぱなしだ。
「・・・体のこともあります。ゆっくり記憶を取り戻していきましょう。あなたのことは、俺が必ず守りますから」
それは誓いの言葉のよう聞こえた。まるで私を害するものがそこにあるとでも言うようだ。この場所を離れて王都に行くことに不安がないわけではない。記憶を失ったほどの事故にあった王都に行くことも自分にとって精神的なショックがあるかもしれない。
(でも、王都にいる弟にも会えるかもしれない・・)
自分が持つ唯一の記憶の中の姿を思い浮かべた。まだ見ぬ失った記憶を取り戻せますようにとレイモンドの身体を抱きしめ返した。
*
王都へと戻る、そう決めてからはあっという間だった。主要なものは王都で揃えることができると言われて、2人分の荷物はトランク1つに収まっている。
「わぁ・・ここが王都・・・」
「はい。手前に見えるのが城下町、奥に見えているのが王城でその周辺には貴族の住む住宅街があります」
レイモンドの精霊魔法を駆使して空を飛びながら街並みを見下ろすと通り沿いには多くの店が建ちならんでいるのが見える。王都の城下町だけあって通りを歩く人の多さも段違いだ。自分が知らない、けれど知っているはずのこの場所のどこかに弟もいるのだと思うと不安よりも喜びで高揚した。私と同じように見知らぬ土地が楽しいのかピュイっとアリシアの肩でレアが嬉しそうに鳴いた。レアをあの家に置いていくわけにもいかなかったため、王都への旅にも連れてきていた。
「そして俺の職場は王城の次に高い建物、あれです」
レイモンドが指さしたのは王城から右手にある石造の大きな建物だった。豪奢な印象の王城とは打って変わってその建物は堅牢な印象を受ける。白で統一された外観には汚れ1つ見当たらず太陽の光を反射して少しまぶしい。人の出入りはそれほど多く見られないけれど、歩いている人は皆同じような白い服に身を包んでいる。
「降ります。しっかり捕まっていてください」
ふわっとした浮遊感に包まれたと思ったらあっという間に地面が近くなる。降り立ったのは教団の裏手側のようだ。整備されているが人の気配はない。
「これから先は教団の敷地内です。しっかりフードをかぶっていてくださいね」
「わかったわ」
事前に受けた説明によればレイモンドの住居兼職場だというこの場所はカトライアという神を崇める教団らしい。信仰する神、カトライアはこの世界に人間と精霊を作り出し人間のための神託は今なお続いているというから驚きだ。国を挙げてカトライアを崇め、神託に従うことで国民は豊かに暮らすことができているのが今のこの国の現状なんだとか。私の過去にも関係のあるというこの場所では、不用意に知り合いに会い記憶を取り戻すことで身体に負担をかけないようにと、レイモンドからローブをまとって姿を隠すようにと言われている。
レイモンドの言葉に頷いてフードをかぶり直すと手を差し出された。
「では参りましょう」
当然のようにエスコートをするつもりらしい。いくら勝手知ったる職場だとしても、外部の人と堂々と手をつなぐのはどうなのだろうか。戸惑ってレイモンドの顔を見るけれど綺麗に微笑み返されてしまう。
(・・でも婚約者として印象づけるためには必要なことだよね)
記憶がないとしても私たちは婚約者だ。レイモンドと一緒に住むためには周囲に関係性を示しておくことも大事だろう。そう考えてレイモンドの手を取った。
「ここは聖堂です。神の像が祀られ1日に1度、朝の礼拝が行われます。神聖な場所ですから外部の人間は許可がないかぎり立ち入りできません」
レイモンドに連れられてやってきた聖堂には空から見た白い服に身を包んだ人たちで賑わっていた。何かの集まりがあったのだろうか、結構な人数がいるけれど持ち場に戻るように抜けていく人もちらほらいるため終わったところなのかもしれない。
入り口から見て正面には白磁の女性の像が飾られている。あれが崇めているという神なのだろう。朝の陽の光がステンドグラスを通して真っ白な床に色とりどりの模様を描いている。
「私は入ってしまっているけど平気なの?」
外部の人の出入りを禁止しているというが、止められることはなかった。入り口の左右には騎士が待機しているのが見えたがこちらを見ても敬礼をするのみだった。今更ながらに心配になって尋ねるとレイモンドは綺麗な顔で微笑んだ。
「私の婚約者ですから」
何か問題がありますかと言いたげなその表情に苦笑いをしてしまう。許可など取った覚えもないし、ましてや私はローブをまとって顔も見せない不審者だ。こんな人物をすんなりと通してしまってもいいのだろうか。それとも、不審人物だったとしてもレイモンドがいることで問答無用で許可されているようなものなのだろうか。
(そういえば、レイモンドはここで何の仕事をしているんだろう)
この教団で働いているとは聞いているけれど、どんな仕事をしているのか聞きそびれてしまっていた。
「ねぇ、レイモンド・・」
教団の仕事について尋ねようと口を開いたとき、わぁっと人々の歓声が少し遠くに聞こえた。自然と声のした方へ目を向けると少し離れた人込みの向こうに騎士を従えた女性の姿が見えた。真っ白なレースの装いに緩やかにウェーブしたベージュの長い髪。儚い色合いなのに、そこにいるだけで視線が向くような存在感がある。
「アリシア、俺の傍に。少しの間声を出さないでください」
女性の姿を目で追っているとレイモンドが耳元で低く呟いた。何事かと問う前にレイモンドに腰を引き寄せられる。私と同じように驚いたらしいレアがパタパタと小さく羽ばたいた。それと同時に聖堂に響いていたコツコツとゆったりとした足音がピタリと止まった。
「レイモンド様?レイモンド様ではありませんか!」
神聖な場に弾んだ声が響き親しげにレイモンドの名前を呼んだ。軽やかな足取りが近づいてきて、それは私たちの前でピタリと止まった。
「神のお声に従って戻ってきてくださったのですね。お会いしたかった・・しばらく姿をお見かけしなかったので心配していたのです」
ただの知り合いにしてはやけに感情のこもった声だった。女性の言葉に引き寄せられている腕に少しの力がこめられたのがわかった。
「・・・・・俺はお前に名前を呼ぶことを許した覚えはない。少し会わないうちに物忘れまでひどくなったらしいな、聖女」
低く、はっきりと苛立ちをあらわにした声。それは今まで聞いたことがないほどに冷たいものだった。その感情を向けられていない私でも思わず息をのむ位のただならぬ雰囲気。けれど明らかに歓迎されていないにもかかわらず聖女と呼ばれた女性は臆さなかった。
「申し訳ありません。・・・クレール卿にお会いできてうれしかったものですから」
謝罪しながらも好意を言葉を口にした。同じ女性でも少しドキッとする言葉だ。真っ向からの好意に男性ならいじらしく、守ってあげたくなるのかもしれないと思ったけれど、レイモンドにそれは通じなかったらしい。
「・・・・1つ忠告しておこう。仮にも夫のいる女性が他の男を名前で呼ぶことはくだらない憶測を招きかねない。君の身勝な行動で聖女という役割と俺に泥を塗りたくないのなら、よく覚えておけ」
夫がいるという聖女の言葉に取り付く島もなく冷淡に突き放した。
「・・・ご忠告痛み入ります」
レイモンドの正論はさすがにこたえたらしく少し気落ちしたのが声からでもわかった。フードの影からちらりと聖女を見る。正面で見るとより綺麗な人だ。ふんわりと巻かれた髪に少し伏し目がちなオレンジ色の瞳、私よりも少し年上なのかもしれない。興味本位で見つめていると聖女のオレンジ色の瞳が私へと向けられ、慌てて視線を外した。
「・・・・ところで、そちらの方は?教団の方ではないようですけれど」
「俺の婚約者だ」
「婚約者・・・ですって?」
私の代わりにレイモンドが答える。するとそれまで甘えるような声色だった聖女の声がガラッと変わるのがわかった。
「まさか高名なクレール卿のお心を射止めた方がいるなんて・・・初耳です。ねぇ、あなた顔を見せてくださらない?幸運な女性にぜひとも挨拶したいわ」
少し渇いた笑いを含みながら聖女は私に話しかけた。
(・・・どうしよう)
なんとなく嫌な雰囲気がして、どう答えるべきなのか迷っているとつかつかと近寄ってきた聖女が顔を覆っているフードに手を伸ばしてきた。思わず身を引きそうになるけれど、レイモンドの腕が私の腰を掴んだまま離さない。肩にとまっているレアが警戒したようにピィっと小さく鳴いた。聖女のその指がフードに触れることは無かった。
「俺の婚約者に触るな」
地の底から響くような低い声と共にバチンッと思わず身がすくむような音がした。驚いて反射的に身を固くするとそれは聖女も同じだったらしい。伸ばしていた手を引っ込めて驚いた表情でレイモンドの手を見つめている。バチッバチッと小さな音がして、視線を向けるとレイモンドの手からは触れるものを拒絶するような雷が弾けていた。
(魔法だ・・・)
風の魔法とはまた違う、明らかな警告を含む雷の魔法が聖女を牽制した。聖女の行動はレイモンドの怒りに触れてしまったらしく、一歩間違えれば攻撃に転じてしまいそうな険悪な雰囲気だ。隣で守られている私も声をかけることをためらうような、初めて見る姿だった。そんな一触即発の雰囲気に、聖女の後ろで控えていた騎士が前に歩み出た。
「どうか怒りを鎮めてください」
「・・・シュヴェリエ」
傍で控えていた人とは思えないような、落ち着いた声だった。シュヴェリエと呼ばれた騎士は聖女をかばうように前に出ると恭しく頭を下げた。レイモンドが少し警戒したように、腰から手を離し私の前に出た。
「聖女様の代わりに謝罪いたします。ご無礼をお許しください」
「聖女の管理は夫であるお前の仕事のはずだ。最低限の礼儀も守れない奴を俺の前に出すな」
「申し訳ございません」
レイモンドは冷たく言い放つと用はないとでも言うように早々と2人に背を向けた。
「行きましょう」
手を取られ促されるまま、足早にその場を離れようとするレイモンドについていく。こっそりと振り返ると頭を下げたままの騎士の隣で聖女と呼ばれた女性が苛立たし気にこちらをにらみつけているのが見えた。
(・・・・気のせい?)
聖女の背には黒い霧のようなものが漂っているのが見えた気がした。
**********
「アリシア、驚かせてすみません。大丈夫ですか?」
聖堂を抜けて渡り廊下に出たところで気遣うように声をかけられた。先ほどまでの怒りはなく、これまでの彼と同様の穏やかな雰囲気に戻っている。そのことに少しだけほっとした。
「私は大丈夫。・・・それより、あの人は・・?」
戸惑いながら問うとレイモンドはすっと温度が下がったような無表情になる。
「先ほどの聖女と呼ばれていたのはモニカ・シュヴェリエ。信託によって選ばれた聖女です。ですが、聖女といっても与えられた役割も果たさず遊びほうけているだらしない女です。・・・彼女には近づかないでください。もし声をかけられても無視して結構ですから」
「わ、わかった。」
有無を言わせない雰囲気にアリシアは頷いた。何よりもレイモンドが毛嫌いしているのがひしひしと伝わってくる。聖女と呼ばれる人だから人格者なのかと思ったけれど、そうではないらしい。
「ここから先が俺の居住地になります。」
レイモンドの声に顔を上げた。渡り廊下の先には広い庭園と小さな屋敷が見えた。一階建てのその屋敷はシンプルだけれど教団の施設に合わせて品のある造りになっている。レイモンドが扉を開けてくれて中へと足を踏み入れる。レアが解放されたかのようにいち早く肩から飛び去って部屋の奥へと飛んでいいった。扉を開けた先はすぐに応接室だったらしい。まるで主人のようにくつろいでいたカイルが、やって来た私たちに気づくと手を挙げた。
「おっ!やっと来たな。待ちくたびれたぜ」
「カイル・・。人が不在の間に勝手に入り込むな」
レイモンドが少し呆れたように咎めるがカイルは気にすることなく笑う。先ほどの聖女との出会いが険悪だったからか、カイルの笑顔を見るとなんだか安心する。
「いいじゃねぇか。あんたが留守の間だって俺も仕事で通ってたんだからよ。それより予定より遅かったじゃねぇか、何かあったのか?」
「聖女と鉢合わせた」
レイモンドの一言でカイルは納得したような呆れたような顔をする。どうやら聖女の存在はカイルにとってもあまり良くない認識らしい。
「あー・・・そういや、今日あたりあんたが復帰するってお達しがあったからな。どうりで普段見向きもしない朝の礼拝に参加するって息巻いていたわけだ」
「迷惑な奴だ。結婚して少しは落ち着くかと思ったが以前と何も変わらない」
「まぁ、それには全面的に同意だな。それにしても・・大丈夫だったか?」
最後にかけられた言葉は私に向けてのものだった。カイルは少し真剣な表情で私の顔を覗き込んだ。初対面でインパクトのある出来事だったから心配してくれたのだろうか。
「はい。少し驚いただけです」
たしかに想像と違う聖女の姿であったけれど特に何かされたわけではない。安心させるように笑って頷き返すとその様子を見てカイルも穏やかな表情になる。
「・・・そうか、それならいいんだ」
カイルは安心したように私の頭を撫でまわすと暗い雰囲気を吹き飛ばすように快活に笑った。
「それにしてもさすが枢機卿だな、相変わらずの人気だ。これだけ無愛想だっていうのにな」
「迷惑してるのは俺の方だ。無愛想にしてても向こうから寄ってくるんだから」
カイルがからかうように小突くとレイモンドは心底迷惑そうな顔をする。普通だったら婚約者が困るくらいにモテるとこが気になるところなのかもしれないけれど、それよりも違う言葉が気になった。
「・・・枢機卿?」
言葉を反芻するとカイルが怪訝な顔してレイモンドを見た。
「何だ?まだ言ってなかったのか?」
「これから言うところだったんだ」
その言葉はまるで聖女と鉢合わせなければ説明できたのに、とでも言いたげだった。レイモンドの様子にあぁ、と納得した様子のカイルが得意げにドンと胸を叩いた。
「なら俺が教えてやろう。レイモンド・クレールの名前を知らない者はこの国にいないって言われてるくらいだ。なんたってこの教団のナンバー2、実質的に教団を治めている枢機卿。そしてこの国1番の5属性の精霊と契約した魔法剣士でもあるからな」
「え?」
驚いてぽかんとした表情のままレイモンドを見ると彼は少し困ったように微笑んだ。
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