4.記憶?
パシンッ パシンッ パシンッ
どこからか音が聞こえてくる。
何かを勢いよく叩きつけているような、そんな音。
パシンッ パシンッ
音がどんどん大きくなっていくにつれて別の音が聞こえてきた。
「・・・・・・い」
か細くて小さなその音は子供の声のようだ。
音に紛れて聞こえるその声は今にも消えてしまいそうなほど弱々しい。
「・・・なさい。めんなさい。ごめんなさい。
もう失敗しません。もう間違えません」
その声は規則正しい音と声は止まない。
つぶやきがはっきりと聞き取れても私の身体は動かなかった。
「どうして・・・どうしてこんな酷い仕打ちを・・」
なんで私は動けないのだろう。心がこんなにもあの子を救いたいと思っているのに。
「私が・・・私が必ず――」
胸が焼けるように痛い。
*
「・・・・・・夢?」
ぼんやりとした意識のまま瞼を擦る。辺りは薄暗く枕元のクッションにいるレアも丸くなって寝息をたてている。眠りについてからあまり時間が経っていないらしい。窓の外はまだ真っ暗だった。
気持ちを落ち着かせるようにふーっと息を吐く。夢に見ていたのは弟の声だった。はっきりと覚えているわけではないけれど弟は酷い扱いを受けていた。その証拠に覚えている姿はどれも悲し気だ。それを思い出すだけで胸が痛んだ。
(・・・このまま眠れそうにないな・・)
夢の中の感情に引きずられたまま膝を抱えたそのとき―――
カタンっと控えめな音がした。
(・・・レイモンド?)
眠っていれば気づかないくらい小さな音だった。
窓から下を覗くとちょうどレイモンドが玄関の扉を開けて外へと出ていくところだった。
(こんな時間にどこへ・・)
どうせこのままベッドにいても眠れる気がしない。だったらと椅子にかけていたショールを手に取るとそっと部屋を抜け出した。
「・・・・・そうだな。だがこのままでは・:・。
・・・わかってる、一刻も早く・・・・さないと」
慎重に階段を下りて玄関のへ扉と音を立てないようにそっと近づく。誰かと話をしているのだろうか、途切れ途切れにレイモンドの声が聞こえる。
(誰と話してるんだろう?もっと近くに行かないと聞こえない・・)
好奇心のままドアに寄り添うように一歩踏み出したとき、体重のかかった床板がギシっと音を立てた。
「・・・アリシア?」
「あ・・」
軋む音で気づかれてしまったらしい。外から呼びかけられてしまい、観念して扉を開けた。
「どうしたんですか?」
予想に反してドアの向こうにはレイモンドしかいなかった。月明りに照らされたレイモンドだけが微笑んで佇んでいる。
「目が覚めて、あなたが外に出るのが見えたから・・」
「起こしてしまいましたか、すみません」
申し訳なさそうに謝るレイモンドの言葉に首を振る。
「それよりも先に目が覚めていたの。・・・その・・夢を見て・・」
「夢・・あまりいい夢ではなかったんですか?」
その言葉はほとんど確信をもって問われた。
「どうしてそう思うの?」
「少し悲しそうな顔をしています」
「あ・・・弟の夢を見ていたの」
「弟・・・」
レイモンドには時々弟の夢を見ることを話していた。だからそれが気分のいい夢ではないことも察したのだろう。少し何かを考えるようにレイモンドは呟いた。
「それよりレイモンドは1人?誰かと話していたようだけど・・・」
気を遣わせてしまうことが申し訳なく、場の空気を換えるため少し明るく振舞った。突然話題を変えた私にレイモンドは
「彼らと話していたんです。姿を見せなさい」
レイモンドが声をかけるとまるで星が生まれたように、レイモンドの周囲に5色の光が現れた。ふわふわとしたその光はそれぞれの意志を持っているように違った動きをしている。
「わぁ・・きれい」
「俺の契約精霊です。精霊は契約している主とだけ話しができるんですよ」
5つの光はレイモンドの声に応えるように私のもとへとやって来てをくるくると回る。幻想的なその光に思わず目を奪われる。
「眠れないなら、少し散歩しませんか?」
「散歩?」
「はい。今日は月が綺麗ですから」
レイモンドの視線を追って空を見上げると満月が夜空に輝いている。闇にまぶしく光るのではなく黄金色の月は暖かな光で私たちを照らしている。月を見上げているとレイモンドの手が差し出された。
「俺の手にしっかりつかまって」
穏やかな声に誘われて差し出された手を取った。その瞬間に身体が重力から解放されたようにふわりと浮く。
「え?わっ・・・すごい、浮いてる」
「風の精霊の力です。このまま夜空を散歩しましょう」
まるで見えない翼が生えたように私たちの身体は舞い上がる。満月は地上で見ていたものよりも大きく見え、満月の光に負けない明るい星が身近に見える。まるで自分が夜空に溶け込んだみたいに。
見渡すと遠くに海が見えた。真っ黒な海面に月の道が出来ているのが見える。日常の中にありながら夢を見ているような美しい光景に思わず息をのんでいるとレイモンドが少しためらいがちに口を開いた。
「聞いてもいいですか?あなたから見た弟のこと・・・・覚えている範囲でいいので」
気落ちしていた私を気遣っているのだろうか。少しの遠慮が含まれた口調で尋ねられる。気を遣う必要はないというようにわざと明るい声で答えた。
「覚えてるって言ってもほんの少しだけ。時々夢にも見るんだけど、それが夢なのか忘れてしまった記憶なのかはわからないの。・・・けど弟を思い出すといつも思うことがあるの」
「それは、何ですか?」
「私がこの子を守るんだって。どうしてか思い出せる姿はいつも泣いていて、泣いていなくても悲しそうで私の方が苦しくなるの」
「・・・」
「早く会いたい。あの子は・・泣いてないかな、寂しい思いをしてないかな。笑って楽しく過ごしているかなって心配になるの。・・・変よね、顔だってちゃんと思い出せないのに」
「・・・大丈夫です。彼は元気に暮らしていますよ。だから、安心してください」
レイモンドの顔を見つめるとそっと彼の頬に手を伸ばした。
「アリシア?どうしたんですか?」
突然のレイモンドが目を瞬かせる。驚いたからだろうかその頬はかすかに朱色に染まっているように見える。
「今はあなたの方が、泣きそうな顔をしていたから」
「っ・・・・俺は、幸せです。あなたがここにいてくれるから。何も悲しいことなんてありません」
(・・・少しだけ泣き虫な弟に似てる)
自然と笑顔になっているとレイモンドにぎゅっと抱きしめられた。
「わっ!」
「アリシアっ」
きつい位の抱擁にされるがままになる。戸惑ってレイモンドの顔を見ようと身じろぎをするけれど、それも叶わない。
「どうしたの?」
「愛しています。誰よりも、あなただけを。もう二度と俺を置いていかないで」
「え・・?」
一瞬言っている意味がわからなかった。私はここにいるし、レイモンドを置いていくことなどない。それなのにまるでどこにも行かせないというようきつく抱きしめられる。
(・・・事故にあって目が覚めなかったから、不安にさせたのかな)
レイモンドの不安の全貌はわからないけれど、それが一因となっているのは想像がついた。申し訳なさを感じて、安心させるように彼の背を撫でる。
「ここにいるよ。私は、あなたの婚約者なんでしょう?」
婚約者、自分で口に出しておきながら空を飛んでいる今のように現実味がない。けれど、レイモンドがここにいて婚約者として私を呼ぶことが私の現実だ。それを教えてくれて、アリシア・ヴァレットという存在をここに繋ぎとめてくれたのは他でもないレイモンドだから。
「・・・・はい。どこにも行かないで、俺の傍にいてください。俺が必ずあなたを守りますから」
それでもレイモンドはきつく私の身体を抱きしめる。まるで幻のような今を逃さないとでもいうように。
読んでいただきありがとうございます。




