26.憎しみとの決別
真っ暗な闇に囚われていても自然と恐怖はなかった。周囲を警戒して見渡していると、前方にぼんやりと子供の姿が浮かび上がった。真っ黒な髪、身の丈に合わない真っ白な神官服。その姿には見覚えがある。
(あれは・・・)
幼いころ、アリシアに出会うよりも前の自分だ。
「父上ー!」
幼い自分が走り出した先には神衣に身を包んだ男がいた。振り向いたその男の顔は紛れもなく、若き頃の父のものだった。
「レイモンド」
振り向いた父の足に駆け寄って抱き着くと手に持っていた花を差し出した。
「父上、見てください!きれいな花がさいておりました。これを父上にさしあげます!どうか、いそがしい父上の心がやすまりますように」
手渡したのはどこにでも咲いているような野花だ。教団内は手入れされた見事な花ばかり。当時小さな野花は珍しいと勘違いをしていたため、多忙な父のためにと探しまわってようやく見つけたものだった。それを受け取った父は見せつけるように花を手放すと地面に落ちたそれを踏みつけた。
「レイモンド、こんな無駄なことをしている暇があったら勉強をしろ。まったく・・・まだ聖典の暗記すらできていないというのに・・」
「ご、ごめんなさい、父上」
「ほら、来い!今日は暗記できるまで食事は抜きだ!」
無理やり手を引かれて教団の建物の中へ連れていかれる。この後のことはいつも通りだ。わずかな失敗でも罰を受け、できるようになるまで食事をすることも部屋を出ることも許されない。
「父上・・・いたい・・・くるしいよ・・」
真っ暗な独房のような部屋のなか、自分の声だけが響いている。もう周囲に人の気配もなく自分の声に応えてくれるような人は誰もいない。鞭で打たれた腕よりも、身がよじれるような空腹よりも心が痛くて苦しかった。まるで世界に取り残されてしまったような寂しさの中で、月明りだけが自分を照らしていた。
「あの方が教皇様のご子息・・・随分とみすぼらしいのね」
「しっ聞こえてしまうわ。生贄になるんですもの、気にかける必要もないわ」
ひそひそとすれ違うたびに自分の姿を見て大人たちが何か言っていた。幼心にもそれが良いことではないことはわかっていたから下を向いて歩いていた。
「ぼくは・・神さまにえらばれたんだ。みんなのために死ねる、とくべつなにんげん」
お気に入りの絵本を開いて何度も読み返した。そして父に言われたその言葉を自分の宝物のように本にも書き残した。
「ぼくが死ぬとみんながしあわせになるんだ・・・そしたら、みんなぼくを好きになってくれるかな?」
本を掲げて夢を見た。自分が死ぬことで大勢の人が幸せになって、生贄になった自分を好きになってくれる未来を。今にして思えばなんて馬鹿げた考えだ。
(俺が生贄になったところで、覚えている奴なんか1人もいない)
せいぜいその死にざまに感謝するだけだ。彼らが感じるのは安堵だろう。自分の代わりに生贄が死んだこととその死によってこれからも安寧がもたらされることへの。俺の死は記憶の片隅にも残りはしないだろう。
冷めた感情のまま見つめていると景色が切り替わった。これはアリシアが俺を救うために神に逆らったすぐあとだ。先ほどよりも幾分か成長した自分がそこにいた。その瞳は暗く澱んで、自分以外の全てを嫌悪しているように憎しみに顔が歪み絶えず涙を流している。
「この国の全ての民を裏切った大罪人を許すな!」
「神は私たちを見捨ててしまったの?!」
「俺たちは悪くない!全部あの大罪人のせいだ!」
「なんとしても神への崇拝を示すんだ!!大罪人に出来うる限りの処罰を下せ!!」
「アリシア・ヴァレットの名を大罪人公書に記す!」
大罪人公書、それは大量殺人や国家転覆など歴史的な犯罪を犯した者の名前を刻んで後世にもその悪行を残すための記録だ。死後も続く不名誉の烙印。死者に対する最大限の冒涜。教団だけでなくこの国全体がアリシアを大罪人として認め、その名を刻んだ瞬間だった。絶え間なく聞こえてくるアリシアへの侮辱、軽蔑、憎悪の声。耳をふさいでもその現実から逃れることはできない。
「・・・・許さない、許さない」
幼い自分がぎりっと歯を噛みしめた。怒りに握った拳が小さく震えている。呟いているのはとめどなくあふれる怨嗟の声。
「アリシアを侮辱することも、僕を生贄に望んでのうのうと生きているお前たちも・・・人間の全部が憎い!」
握りこんだ手からは血が流れていた。けれどそれも気にならないくらいに、負の感情が幼い頃の自分を飲み込んでいた。
―――憎いだろう?
憎かった。俺を救ってくれたアリシアに大罪人の烙印を押した人間が。
―――殺してしまいたいだろう?
この手で消してしまいたかった。アリシアを侮辱する言葉を口にする人間たちを。
―――それなら、消してしまえばいい。
・・・消す?
―――そうだ。憎い人間を消し去って、愛する者と2人だけの世界にしてしまえばいい。
「大丈夫。これは正当な報復だよ」
いつの間にか幼い自分が真っ直ぐにこちらを見据えていた。
「身勝手な人間たちに自分たちがしてきたことを仕返すだけだ。だって許せないだろ?」
許せない、そう言いながらその口調はどこか嬉しそうだ。
「自分たちは当たり前に幸せを享受しておきながら平気な顔をして他者の不幸を願う。僕たちの犠牲を正当化しているんだ。身勝手で浅ましい、生きる価値もないよ・・・だから」
幼い自分がまるで俺が受け入れるのを待ち望んでいるかのように両手を広げた。
「一緒に人間を滅ぼそう!」
眩しいほどの笑顔と魅力的な提案。その誘惑は自分の心と思考をを絡めとる。思考が鈍くなっていくなかで喉が勝手に言葉を発しようと口を開いた。そのとき――
「レイモンドっ!!」
世界でただ1人、愛する人の声が聞こえた。その瞬間にまるで闇に光が差し込んだように彼女の声がよみがえった。
『嫌いでもいい。許さなくてもいい。でも憎しみで過去に囚われてしまわないでね』
『あなたの心は自由だよ。過去に囚われてしまうなんてもったいない。今生きている幸せの一つ一つをこの心で感じていこう』
自然と止まってしまっていた息を吐きだして深く吸いこんだ。自分の心が、過去から今に戻ってくる。愛されたくて苦しかった。無条件に慕っていた心は何度も傷つけられた。自分を救ってくれた人は容赦なくその存在を否定された。でも、それでも俺が憎悪の感情のまま殺戮者に成り果てなかったのはアリシアとカイルがいてくれたからだ。
辛いとき、苦しいときはいつでもアリシアが俺を照らしてくれた。まるで月明かりみたいに、真っ暗な絶望の中でも彼女は俺を照らしてくれた。醜く汚い世の中にあっても、世界の美しさを教えてくれたんだ。
絶望に打ちひしがれて何も残っていないと思っていたとき、カイルが絶望のなかに残された希望に気づかせてくれた。途方もなく長く、先の見えない道のりを共に歩んでくれた。自分が世界に1人ぼっちじゃないことを教えてくれた。
「・・・・俺は自分の復讐のために人間を殺さない」
「なぜ?許せないでしょう?殺してしまいたいでしょう?」
幼い自分が困惑したように首を傾げた。今ならわかる、これは過去の自分じゃない。無垢なふりをした悪意に満ちた言葉に笑顔で頷いた。
「ああ、許せるはずもないし心の底から大嫌いだ・・・・けど、俺はもう憎しみに囚われない。アリシアと共にある今を生きていくんだ」
その言葉で自分の本来の力が息を吹き返したように体中に満ちていくのが分かった。アリシアの魂を補填して力を失い、姿を保つこともできなかった精霊たちが本来の姿を取り戻して現れる。精霊たちが一斉に何かを呼ぶように高く鳴くと一瞬の光が走った。思わず目を閉じて、再び目を開けたそこには美しい装飾の剣が宙に浮いていた。それはかつてアリシアが神と戦うときに使い、自分の首を切るはずだった聖剣ルミナリアだった。引き寄せられるように聖剣を手に持つと精霊たちが光となって聖剣に宿る。その瞬間に闇を払うように眩しいほど聖剣が輝きだした。
「ぐっ!!・・・忌々しい・・・神の力・・」
神と呼ばれていた異形は光に照らされると幼い頃の俺の姿で醜く顔を歪めた。その表情はとても人間が浮かべるようなものじゃない、禍々しく歪んでいた。
「最後に1つ聞きたい、お前はなぜ俺を生贄にしようとした?」
剣の切っ先をその喉元へと突きつけて問いただす。異形は聖剣の輝きに顔を歪めながらも嘲るように笑みを浮かべた。
「決まってる。僕を討ち滅ぼすために神から遣わされた代行者・・・お前の魂を喰らうためだ」
「神の代行者・・俺が?」
「ああ、そうだ。生まれ落ちたその時に俺を裁く使命と神から特別な力を授けられた子供。本来なら脆弱なときに喰らってやるつもりだった・・・だがお前の魂は綺麗すぎて毒だった。だから穢して希望と言う毒を抜いてからじっくり食べてやるつもりだったのさ・・・僕の用意した憎しみと絶望の味はどうだった?さぞ極上の味だっただろうな?」
あははははと高笑いをする歪んだ異形に冷めた視線を向ける。ここでこいつを憎むこともまた、こいつの誘導の内なのだろう。それならもう交わす言葉もない。
「お前との因縁も、俺の使命とやらもここで終わりにする」
わずかな笑みを浮かべながら聖剣を握る手に力をこめる。俺が誘いに乗らないことに気づいたらしい異形は恐怖に顔を歪めて逃げようと背を向ける。その背に容赦なく剣を突き刺した。
「やめろっ・・・やめろおおおおおおおお!!!」
悲痛な叫びをあげながら増幅した闇は聖剣に引き裂かれ悶えながら、眩い光によってばらばらと崩れるように霧散していく。
「お前には感謝すらしているよ・・俺の大切な人に巡りあわせてくれたからな」
もはや原形を留めていないそれに俺の声が聞こえていたのかはわからない。けれど崩れていく闇からは最後にかすかなすすり泣きが聞こえた気がした。
その日、神話の時代のように聖剣から放たれた光が空を覆っていた厚い雲を払うとそれを祝福するように国全体に神の花が咲き乱れた。それは後世に語り継がれるようなとても美しい光景だった。
読んでいただきありがとうございます。次回更新は月曜日です。




