25.元聖女の過去
風魔法で贄の間の祭壇に音もなく降り立つ。自分と対峙するのが俺だと理解すると聖女は先ほどの凶暴性を潜めて俺を見上げた。
「レイモンド様、私はあなたを傷つけるつもりはありません。どうか引いてください。邪魔者はあの女だけですもの。今なら神はあなたをお許しくださいます」
祈るようにこちらに懇願するその姿はまるで最後の慈悲をかけてやるとでも言いたげだ。この期に及んで俺が引くとでも思っているのだろうか。呆れてため息がでた。
「お前はつくづく理解していないな。今さら俺が神の機嫌を伺うとでも思っているのか?」
「・・・どうして?神はこの国にとって絶対的な存在。最も尊ばれる存在のはずでしょう?」
まただ、この言い方。こいつにとって神の代行者、聖女という肩書もまた自分を彩るための装飾品だ。神の権威を借りているだけに過ぎないのに、自分にその価値があるかのように振舞う。
「生贄として殺されるはずだった俺が神やお前を尊ぶと思ってるのか?俺にとって神も、お前も何の価値もない」
苛立ちを含んだまま言葉をぶつけると聖女の仮面にヒビが入る。信じられないものを見るような、苦痛に歪んだような表情になってよろめいた。
「・・・・どうして私のものになってくださらないの。私がこんなにあなたを恋慕っているというのに」
「お前は俺の何を慕っているっていうんだ」
「全部です!あなたの容姿、力、地位。あなたの全てが欲しい」
心から渇望するようなその言葉を鼻で笑った。
「ふっ馬鹿馬鹿しい・・そんなものは俺の外皮に過ぎない。表面に映るものでしか価値を見出せない哀れな生き物・・お前は俺が最も嫌う部類の人間だ」
「どうして・・・・どうしてそんな目で私を見るの・・・」
悲痛な声を上げて聖女が泣き出すように自分の顔を覆った。そして次に顔を上げたとき聖女の仮面には完全に砕けていた。そこにいたのは聖女でも、崇拝されるべき存在でもない。憎しみと欲望に囚われた空虚で憐れ女だった。
*
子供の頃のことは思い出したくもない。私は孤児だった。路地裏に息を殺して隠れ住み、裕福な貴婦人に物乞いをする類の。生きるためには盗みもしたし、悪いことだって躊躇いなくできた。だってそれが必要なことだったから。身汚く、しぶとく生きる私は視界に入ることすら嫌がられた。向けられるのは道端に落ちたゴミを見るような目、もしくは可哀想だと憐れむような目。その目が大嫌いだった。勝手に可哀想だなんて決めつけないで、勝手に生きる価値もないみたいに見切りをつけないで。ねぇ、あなたたち社会が私を捨てたんでしょう?
そうやって惨めに生きていたあるとき頭の中で声が聞こえてくることに気づいた。とうとう自分の頭もイカれてしまったんだと思った。路地裏にはそういう人間は珍しくもなかったから。ぼんやりと低くこもったようなその声は私の成長と共にその声ははっきりと聞こえるようになった。
時には私の考えに賛成するように、時には私に指示を出すようになった。そして、私はある時その指示に従って教団の門を叩いた。
「聖女様だ!」
「聖女様の誕生だ!」
頭の中で聞いていた声、それは自分の妄想でも幻聴でもない。この国にとって最も尊ばれる存在、神の声だった。私はその神に唯一選ばれた人間だった。
それから私の生活は大きく変わった。雨風をしのげる自分だけの部屋、清潔な服に美味しい食事。それまで手の届かなかったものはいとも簡単に、当たり前のように私に差し出された。誰もゴミを見るような目も憐れむような目も向けてくることはなくなった。立場が逆転し向けられるのは敬愛の眼差し。今度は私が見下してきた人間を見下す番だった。
(心地いい。ざまあみろ。私はお前たちに見下されるような人間じゃない。選ばれた、特別な存在なんだ)
心の中の渇いていた部分が満たされていくような感覚。きっとこれが幸福というものなんだろうと初めて知った。あるとき私は精霊との契約の儀式を執り行うことになった。皆が羨望の眼差しで私を見つめていた。
「聖女様は多くの精霊と契約なさるだろう」
「当たり前だ。神の代行者だぞ。きっと我々の想像を超える精霊と契約されるに決まっている」
期待の眼差しと言葉。それに当たり前に応えることができると思っていたのに私は精霊と契約することすらできなかった。
「ふざけるなっ!!なんで!どうして!」
部屋に戻って手あたり次第に物にあたる。投げた小物が姿見に当たって大きなヒビが入った。あの目が怖い。周囲の人間が私を見る目。皆に羨望の眼差しを向けられる完璧な聖女の自分が崩れてしまう。
―――またあの惨めな自分に戻っちゃうよ?
「私は、聖女よ!!」
自分が一番そう思ってる。なのに・・・そのはずなのに・・・割れた姿見に映った自分が疑いを持った目で私を見る。
―――私は選ばれた特別な人間だよね?
「やめてっ!!」
鏡に映った自分を粉々に砕いた。
陰鬱とした自分を救ってくれたのは出会いだった。自分の護衛をしていた騎士の提案に乗って気分転換に庭園を散歩していたとき、美しいものを見た。陽の光に照らされた銀髪、水色の瞳。端正な顔立ちの美しい騎士に目を奪われた。
「・・・彼は・・?」
「彼?・・あぁ、シュヴェリエ卿ですね」
傍にいる護衛の騎士に声をかけると、騎士も男性の姿を目で追った。
「シュヴェリエ卿?」
「はい。若いながらも優秀なためある方の護衛騎士を任されています。子爵家の血縁でもあるとか」
「子爵家・・・貴族なのね」
風に揺れる銀髪も、穏やかな表情で浮かべる笑みも全てが輝いて見える。目が離せない。彼がこちらを向いて私に微笑んでくれたらいいのに。
「隣に並んで歩いているグランヴィル卿と恋人同士なのだそうです」
護衛をしている騎士はシュヴェリエ卿の姿を見つめているのではなかった。その目は隣に並ぶ赤髪の女性の姿を捕らえていた。燃えるような赤く長い髪、快活な笑顔を浮かべる女性騎士をシュヴェリエ卿は愛しそうに見つめている。それに気づいたとき、胸の奥がざらついた。
「グランヴィル卿は史上初の2属性の精霊と契約した魔法剣士です。弱きを助け、強きを挫く。まさに騎士の鏡のような女性で皆の憧れです」
その言葉と視線にはただの尊敬ではない熱が込められていた。この騎士もあの女性が好きなのだろう。
「そう・・・すごいのね」
整った身なり、健康的な身体、自信に満ち溢れた表情。きっと彼女はその日に食べるものにも住む場所にも困ったことがないのだろう。
(すごく、羨ましい・・)
2属性の精霊を持ち、美しい恋人がいて、騎士として将来を期待されている。
(どうして私にはなくて、彼女にはあるの?)
―――欲しい、欲しい、欲しい
欲望が自分の中で渦を巻いて大きくなっていくと頭の中でいつもよりはっきりとした声が聞こえた。
―――欲しいなら、奪ってしまえばいい。
目の前に自分が最も望むものが差し出されたような気分だった。
「・・・・そうよね。1つくらい私がもらってもいいわよね」
「?何かおっしゃいましたか?」
私の呟きが聞こえなかったらしい、騎士が首を傾げる。私はそれに笑顔で答えた。
「何も」
欲しいなら私のものにしてしまえばいい。だって神が許してくださっているのだから。
アリシア・グランヴィルが死んだ。生贄となる子供を守るために神に刃を向ける大罪を犯して。
(無駄死にね)
心の中でせせら笑った。生贄の子供は遠目で見たことがある。痩せた身体、みすぼらしい身なり。見るに堪えないその姿は孤児だったあの頃の自分のようだった。あんな子供のために自分の命を捨てるなんて、馬鹿馬鹿しい。けれど好都合だった。
「ふふっ・・これで、アルフレドは私のもの」
美しい恋人を手に入れて私の心はまた1つ、満たされた。そう思ったのに、渇いてしまうのはあっという間だった。
「なんてことだ!5属性の精霊と契約するとは!」
「さすが教皇様のご子息!」
契約の間、その中央に立つ青年に目を奪われた。闇のような真っ黒な髪は輝く金色に変わり、5色の光が彼の周りを舞う姿はまるで物語の一ページのよう。誰もが蔑む生贄だった子供が、羨望の眼差しを向けられる華々しい瞬間だった。
(・・・・・彼が、欲しい)
目を奪われたのは私も同じだった。美しい外見、5属性の精霊契約者、教皇の子息。その肩書は聖女である私にふさわしい。そう思ってすぐに彼に駆け寄り、声をかけた。
(幸栄でしょう?聖女から声をかけられるんだもの)
けれど彼は、かつて生贄と呼ばれたレイモンド・クレールは侮蔑を含んだ目で私を見た。
「触るな」
絡めた腕はまるで汚らわしいものにでも触れたかのように無造作に振り払われた。
(なんで?私、綺麗でしょう?)
笑顔が固まる。私は美しく完璧な存在、あの頃とは・・・みすぼらしい孤児の自分とは違うはずなのに。
(どうして・・・どうしてあの頃と同じ目で見られるの!!)
彼だけが、レイモンド・クレールだけが私に孤児だった頃の惨めな自分を見ていた。
*
「私はもう、孤児じゃない!惨めじゃない!憐れでもない!!だから・・・」
神の姿が聖女の声に呼応するように大きくなる。まるで負の感情を吸いこんでいるかのようにどんどんと膨張していく。
「そんな目で私を見るなっ!!!」
大きく膨らみ人の背丈をゆうに超えたそれは、聖女の叫びとともに自身の闇を放つと闇の檻で俺を捕らえた。
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