24.元恋人の記憶
「アルフレドは私に任せて、君は聖女に集中するんだ」
剣を構えたアルフレドに向かい一歩踏み出した。
「アリシア・・」
心配そうなレイモンドの視線に微笑みで返す。
「大丈夫。やられるつもりはない。それに——」
足元に転がっている剣を拾い上げ、振り抜いて久しぶりの感触と重さを確かめる。
「これは私がやらなければならないことだ」
「・・わかりました。どうか、無事で」
「君もな」
レイモンドは風の魔法で聖女の元へと向かっていく。振り返ることはしなかった。
(私は私のすべきことに決着をつける)
目の前のかつて愛した人を見据えた。
「・・・アリシアを・・返せ・・」
まるで夢遊病のようにうわごとを呟きながら剣を手にするアルフレドの瞳は虚ろなままだ。私を目の前にしてもその目に光が宿ることはない。恐らく彼はまだ悪夢に囚われたままなのだろう。
「レア」
「はい、主さま」
私とともに脱出し上空を飛んでいたレアは呼びかけに答えて肩に舞い降りた。
「全力で行く。援護を頼む」
「・・ですが主さま、本当によろしいのですか?」
レアがこちらを気遣うように顔を覗き込んだ。レアは私とアルフレドの出会いから恋人だったときまで知っている。だからこそ私が自分の手で決着をつけることが気がかりなのだろう。レアの言葉に首を振った。
「彼の時間は止まってしまった。時間に囚われたまま、ずっと苦しみ続けているんだ。私の手で解放することがせめてもの償いだ」
「・・はい。主さまの御心のままに」
ピィーッと甲高くレアが鳴くと手にした剣が炎に包まれる。黒い雲から絶え間なく降る雨によって熱した剣がジュゥっと音を立てた。長いこと剣を握っていない。体力と筋力の衰えもある。けれど万全の状態でないのはアルフレドも同じだ。正気を失って力任せに剣を振り抜いている。アルフレドの強みは冷静な判断力を元にした相手の隙を狙う剣術だ。長年剣を交えた相手だからこそ、アルフレドの剣の癖は理解している。
(勝機はある)
私が剣を構えたのを合図にアルフレドが向かってくる。容赦なく振り下ろされる剣には確かな殺意が込められている。
――私たちの時間はどこで狂ってしまったんだろう
「ぐっ」
力任せに振り下ろされた刃を何とか受け流した。その剣は自分がかつて対峙していた頃よりも比較にならないほどに重い。それもそうだろう。私たちはすれ違ってから10年という長い時間が経ってしまった。私は自分の信念を貫いて大事な者を守るために。そして聖女の言葉通りならアルフレドは私のために。
——あなたの言葉に私が少しでも耳を傾けて、あなたのことを信じ頼っていれば私たちの未来は違ったんだろうか。あなたをこれほど苦しませることはなかったのだろうか。
「・・・アリシアを返せっ!!」
怒声と共に力任せに振り抜かれた剣が頬を掠った。ちりっと痛みがはしり頬から血が流れる。
「主さまっ!」
とっさにレアが火を噴くと、アルフレドは怯んで後ろへと飛び下がった。
(後悔しても遅い。私たちの道は分かたれた)
迷いを振り切るように頬に流れた血をぐっと手の甲で拭う。
「もう終わりにしよう。アルフレド」
剣を構えたまま姿勢を低くしてアルフレドへと一直線に距離を詰める。
「・・どこだ、アリシア・・・私が必ず君を救って・・・」
(君はそうやって、ずっと私を探し続けてくれたんだな)
アルフレドは距離を詰めて懐に入り込もうとする私に剣を振りあげた。悲しみを迷いに変えないように剣を握る手に力を込める。
「ありがとう。アルフレド」
至近距離でアルフレドの顔を見つめる。自分が初めて恋をして、静かで水のようにあふれる愛をくれた人。私を見つめるその眼差しが好きだった。愛していると物語っているその眼差しが。あなたの生き方が好きだった。誰かを傷つけるんじゃなくて、誰かを守ろうとするあなたの生き方が。当たり前みたいに隣を歩いてあなたと年を重ねていけるんだと思っていた。
「・・・・・アリシア」
虚ろだった瞳に光が宿り、初めて私の姿を映し出した。振り上げられた剣がピタリと動きを止める。
「私はここにいる。もう、大丈夫だ」
精一杯の笑顔と渾身の力で剣を振り抜いた。
**********
どこだ・・どこにいるんだ?
私の太陽は一体どこにいるんだ?
「探さないと・・・アリシア」
燃えるような赤い髪の強く美しい、私の愛する人。
君を初めて見たときのことはよく覚えている。
騎士学校に入学した日、大勢の男たちに混じっていてもすぐにわかった。燃えるような赤い髪と勝気な瞳が印象的な女性。君は入学前から有名人だった。史上初の2属性の精霊と契約した少女。剣技もさることながら、魔法もすぐに大人顔負けの腕前となった君は神童と呼ばれ将来を期待された。そのせいか寄宿舎ではやっかみがひどく、よく男子生徒に絡まれているのを見た。けれど君は自分よりも大柄な相手でも怯むことなく返り討ちにしていた。小柄で、剣の腕も人並みの自分とは住む世界が違う気がしていた。好意を抱いているわけではなく、ただ気になる程度の興味だった。有名人が身近にいて、それを目で追ってしまうような好奇心。
それが変わったのは実地訓練のときだ。
「いたた・・・困ったな・・」
わずかでも雨を避けるために大きな木の幹に背中を預けて座り込んだまま呟いた。厳しい環境下でも生き抜くことを目的としたこの訓練は、山頂から山のふもとにあるゴールまで到達するというものだった。速さを競うものでもあったため、すでに周囲に人の姿はない。焦って周囲に気を配ることができなかった私は怪我をしてしまい、挫いた足は腫れあがって歩くこともままならなかった。それに加えて厚い雲からは大粒の雨が降り出した。土砂崩れの危険性もあるような土砂降りだ、すぐに助けが来ることなどないだろう。ましてや一生徒のために危険をおかすような真似をする人などいない。
「はぁ・・・どうしよう」
足の痛みに自分の未熟さを突きつけられている気がしてしまう。出来損ない、と自分を罵倒する兄弟の声が聞こえたような気がしたそのとき、近くの草むらが音をたてた。野生動物を警戒して身構えたが姿を現したのは赤い髪の少女だった。
「ここにいたんだな、探したよ。・・・足を痛めているんだな。他に怪我はないか?」
まるで当たり前のように現れて声をかけてくるその姿に驚いて返事をすることもできなかった。
「さぁ、私の背に乗れ。ここも危険だからすぐに山を下りよう」
驚きで固まる私を気にすることなく、君は慣れた様子で私を背負って歩き出した。彼女の風の精霊が雨を避けるように私たちを風の膜で覆ってくれていた。
「・・・・どうしてここに?・・なぜ探しにきてくれたんですか?」
ようやく状況が飲み込めて戸惑いながら背中ごしに声をかけた。私たちは親しい関係でもない。わざわざ助けに来てくれるような関係性でもないはずだ。それでも、私の言葉に当たり前みたいに答えた。
「決まってる。君が1人で取り残されていると聞いたから」
胸がぐっと詰まるような感覚になった。私が取り残されていようともこの人には関係のないはずなのに。
「・・・聞いてみたいことがあったんです」
「なんだ?」
「あなたは、どうして男性のような言葉遣いをしているのですか?」
2人きりの空間、なんとなく聞いてみたかったことを口にした。
「それは・・・舐められないためだ。この髪色だし、女だということで突っかかれることが多い。だから、わざと男らしい話し方をして周囲を威嚇してるんだ・・・情けないだろ?」
顔が見えなくてもその声に自嘲の色が含まれているのがわかった。いつも自信のある姿に似合わない彼女の言葉に少し戸惑った。
「・・・それを言うなら、私の方です。男のくせに、女みたいだってよく言われます」
「そうか?丁寧で良いと思うが・・」
「・・・私は貴族の生まれなんです。といっても正妻ではなく、妾の子です」
普段であれば自分の不幸話など話題に上げることはない。けれどこのときはすんなりと口をついて出た。
弱みを見せてくれた君を慰めるつもりだったのかもしれない。
「父や他の兄弟たちからは使用人のように扱われてきました。この言葉遣いはそのためです。怒られないように、気に触らないように・・・ほら、私の方が情けないでしょう?」
少し茶化して言ったのは自分の情けなさを笑い飛ばして欲しかったからだ。けれど君は笑うことも同情することもしなかった。
「情けなくなんかない。君はとても強いんだな」
「私が強い・・ですか?」
「あぁ。言葉は武器だ。振り回して傷つけることもできるけれど誰かを守ることもできる。君は傷つけるためじゃない、守るために言葉を使っている。だから君はとても強いよ。言葉の重みと傷つけることの意味を理解しているから」
ちっぽけな日陰者の自分に一筋の光が当たった気がした。切ないくらいに胸が苦しくて、涙が滲んだ。頬と耳にじわっと熱がともって、まるで当然のように唐突に理解した。
―——私は、君に恋をしたんだと。
それから私は今まで以上に剣技を磨き、勉学に励んだ。全ては君にふさわしい男になるために。
「アル!強くなったな」
「当たり前です」
君は年齢を重ねるにつれて益々強く、美しくなった。嫉妬よりも羨望や親愛の眼差しを向けられることが増え、時折告白されている姿も目撃した。それを見るたびに自分の中で欲望が大きくなっていった。君を誰にも渡したくない、と。だから騎士学校のダンスパーティで君に告白した。髪と同じくらい頬を赤らめた君の表情が可愛らしくて愛おしくて、抱きしめる腕が震えた。これ以上ないくらいの幸せのぬくもりを君は与えてくれる。
いつだって、君は私にとっての太陽だった。
歯車が狂い始めたのはある方の護衛騎士に任命されてからだ。教皇の唯一の嫡子。生まれてすぐに神からの生贄に選ばれた尊い存在。実際は生贄のために生かしているだけの子供。ひどい有り様だった。実の父である教皇から虐待をうけ、食事もろくに与えられず、身の回りの世話をする者もいない。彼の境遇に憐れむ者がいても、皆自分の立場のために見て見ぬふりをしていた。私たちもそうするべきだった。けれど、君にはできなかった。
「アリシア、もうあの方に肩入れするのはやめてください」
「今の状況を見て見ぬふりをしろと?」
「そうです。彼はまもなく神に捧げられる。残りわずかな時間優しくしたところで彼にとっては辛いだけです」
「アル、あの子は生きているんだ。神に捧げる供物じゃない、心を持った1人の幼い子供だ。守るべき存在を守ろうともせずに見て見ぬふりをするなんて何が護衛騎士だ」
「アリシア、お願いです。私はあなたを失いたくない」
「アルフレド。私はあの子を見殺しになんてできない」
「アリシアっ!!」
私に君を変えることはできなかった。当然だ。きっとその志を無理に曲げてしまえば君は君でなくなってしまう。たとえ誰が何と言おうとも自分の信じた道を行く。私の愛する君はそういう人だ。だから、あの人の手を取った。
「シュヴェリエ卿、あなたからのお願いなんて珍しいわね」
耳ざわりな猫撫で声。なぜ神はこの少女を自らの代行者として選んだのか何度も疑問に思った。
「教皇様への進言、してあげてもよろしくてよ。生贄の彼も、助かる方法を神に尋ねてみましょう。けれどその代わりに、私からもお願いがあるの」
熱をはらんだ言葉と視線、それが何を意味するのかわかっている。それでも、私には譲れないものがある。求められるまま私はその熱を受け入れた。
―——すべては君を守るために。
「アリシア!!」
見られた。自分にとっては苦痛しかない聖女から求められ、それを受け入れている姿を。
追いかけてその手を掴む。
振り返った彼女にの目には今まで見たことがない涙が浮かんでいた。
「なぜ追いかけてくる。私のことなど放っておけ」
「あなたは誤解している。説明させてください」
「誤解だと?あの状況を見て何を誤解することがある!」
「信じてください!これは必要なことなんです!」
「信じてくれだと?どうしてそんなことが言えるんだ!
あんなことをして、私だけじゃない彼のことも裏切っているくせに!」
アリシアは私の手を振り払って走り去ってしまった。追いかけたところでわかってもらえるはずもない。
全てが片付いたらきっと君にもわかる。そう思ってあの背中を追いかけなかったことを後悔した。
「アリシアが・・・死んだ?」
「えぇ。生贄を捧げることを拒否してあろうことか神に刃を向けたの。愚かな人ね。罪人のせいで神からのお声も届かなくなってしまったわ」
「そんな・・・そんなわけ・・」
「かわいそうなアルフレド。あの人のためにあなたは自分を犠牲にしたというのに。安心してちょうだい。私はあなたを手放す気はない。あなたの傷は私が癒してあげるわ」
聖女の指が頬に触れた。声と同じようにまとわりつくようなべったりとした不快な感触にその手を払いのけた。
「・・・るな」
「え?」
「私に触れるな」
「アルフレド!どこに行くの!」
がむしゃらに走って君の姿を探し回った。君が生贄を守るために死んだなんてそんなはずない。それなのに、1人になった私を探しに来てくれた君だからこそ君の行動に納得できる自分もいる。
「けど、そんなのは・・そんなことがあっていいはずがない、アリシア!!」
―——私の太陽が失われてしまうなんて。
どこにもいない。どこを探しても見つからない。聞こえてくるのはアリシアへの侮辱、軽蔑、憎悪。耳も目も塞いでしまいたくなるような現実にただ絶望した。
「アルフレド」
自分を呼んだのは誰よりも嫌悪している猫なで声の女性。
「私はあなたの味方よ」
「・・・・」
「私ならあなたの願いを叶えてあげられる。私は神の代行者だもの。さぁ、あなたの願いを教えて頂戴」
「私は彼女を・・アリシアを取り戻したい・・」
「そう・・・なら、すべきことはわかっているわよね」
これくらいの屈辱と苦痛くらいなんてことない。これまでと同じくただ耐えて過ぎ去るのを待てばいいだけだ。その期間が延びただけ。彼女を取り戻すことができるなら、これくらいなんてことはない。靄のようなものが自分の身体と意識を包み込んでいくのをただ受け入れた。
頭がぼんやりとする。まるで黒い靄がかかったように考えることができない。
けれどそれでいい。アリシアがいない現実など考えたくもない。ただ頭の中で聞こえる命令に従っていればいいだけだ。
「ありがとう。アルフレド」
唐突に、まるで雲間から光がさしこむように愛する人の声が聞こえた。
「私はここにいる。もう、大丈夫だ」
燃えるような真っ赤な髪。10年前から変わらない、紛れもなく探し求めた姿。
―——良かった。やっと見つけた。
久しぶりにすっきりとした目覚めだった。まるで長い悪夢にうなされていたかのようなだるさと開放感がある。雨上がり、黒く重たい雲の隙間から光が差し込んで愛しい君を照らしていた。彼女の赤い髪についた水滴がまるで真珠のように陽の光を反射する。滅多に涙を見せることがない君は目に涙を溜めて私を見下ろしている。
奇跡のように美しい瞬間だった。
「ここにいたんですね、私の太陽」
手を伸ばしてその頬に触れる。太陽から美しい涙の雫が自分の頬に落ちた。
読んでいただきありがとうございます。




