18.逃避行
「カイルさんっ!何するんですか!一体どこに行くんですか!」
「すまねぇな、今は説明してやれる余裕がない」
陽が落ちて薄暗くなってきた頃突然部屋に入って来たカイルは有無を言わせずに私を担ぐと屋敷を出ると庭を抜けて教団の敷地内を駆け抜けていく。まるで誰の目にも触れないようにと周囲に警戒する様子にカイルの意図を悟った。
「・・・まさか、私を逃がすんですか?」
「・・・」
私は大罪人として生贄されてしまうはずだ。カイルは黙ったまま返事をしなかった。けれどそれは肯定と同じだ。
「どうして・・・どうしてそこまでするのに何も言ってくれないんですか」
疑問に答えが返ってこないとわかっていても口にせずにはいられなかった。言葉よりも雄弁に行動が私を想ってくれている。その事実に声が震えた。
(私は・・・何を信じればいいの・・?)
信じさせてほしいと願うのに、何も伝えることなく私を守ろうとする彼らか。それとも生贄になることで罪の清算を求める大勢の見知らぬ人たちか。
教団の裏口が見えてくるとカイルは立ち止まり担いでいたそっと私を地面に降ろした。
「・・・・俺はな、後悔してるんだよ」
頭上から振ってきたのは切実な声だった。驚いて見上げると悲しみに歪んたカイルと目が合う。
「お前たちには幸せになってほしいんだ」
お前たち、それは私とレイモンドのことだろう。
「それなら、どうしてレイモンドはここにいないんですか?」
「レイモンド様は――」
その言葉の続きを聞くことはできなった。気づけばランプの灯りが私たちを取り囲んでいたから。いつの間に囲まれてしまったのだろう、そこには神官だけでなく街の住人らしき人たちも混じっている。私を探していたのだろう。
(なに?この人たちの雰囲気・・・)
異様なのは囲まれていることだけじゃない。誰も彼も黒い靄のようなものに包まれているのが見える。ランプの光に照らされているその目は傍からみてもぼんやりとしている。
「大罪人を・・・」
「アリシア・ヴァレットを捕まえろ・・」
「大罪人を神の生贄に・・」
呟かれた言葉に恐怖よりも違和感の方が強まった。うわ言のように感情のない言葉をただ呟いている。
「これは・・どういうことだ」
その異様な雰囲気にカイルは私を背にかばいながら剣を構えた。けれど相手は武器も持たない人間だ。臆することなく近づいてくる民間人にカイルの方が怯んでいる。
「ちっ逃げるぞ」
短い声かけに答える間もなく手を引かれるがすぐに立ち止まった。続けて剣を合わせたような金属音が響き駆けだそうとしたカイルに切りかかった人物がいた。
「・・・シュヴェリエ」
カイルが受け止めた剣を押し切るように相手を振り払とアルフレドは後ろに飛び下がった。美しい銀髪が灯りに照らされて光る。けれど彼もまた黒い靄のようなものに覆われているけれど、それは他の人たちよりも濃いように見える。操られている、とそれがはっきりと分かった。逃げ場を無くし、反撃することもためらわれてじりじりと追い詰められる。
「アリシアっ!」
背後を振り返ったときには遅かった。背後に忍び寄っていた神官が私の腕を捕らえると力任せに地面に跪かせた。私を助けようと手を伸ばしたカイルにも数人の住人が覆いかぶさる。地面に倒れ伏したカイルが必死に身をよじるけれど、まるで重りのように纏わりついた人たちが離れることはない。
「やめろっ!!」
剣を手にしたアルフレドが私を見下ろした。でも私のことなど見えていないように、その顔には何も表情が浮かんでいない。ただ命じられたことをこなしているように、何の感情も読み取れない。アルフレドは無言のまま手にしていた剣を振り上げた。
「お前がそんなことを・・・アリシアの犠牲なんて望むなっ!!!」
カイルの叫びが夜の闇に木霊する。そのときポタリと雨が頬を伝った。
(・・・雨じゃない・・)
その雫は見上げた水色の瞳から流れ落ちていた。
「・・・・・俺は・・」
覚醒しているわけではないのだろう、呟きは戸惑っているようだった。けれどすぐにアルフレドは頭を抱えて苦しみだす。
「ぐっ・・・あ・・アリシア・・・」
アルフレドを覆うようにして靄が大きくなる。
「アルフレド・・・」
ほとんど無意識に彼の名前を呼んだ。けれど、私の呼びかけが余計に彼を呼び掛けたようだ。
「逃亡を図るなんて、さすが見苦しく生き永らえているだけあるわね」
感心するような声と同時に闇から浮かび上がるように聖女が姿を現した。笑みを浮かべた彼女は儀式のときに見た美しい姿のままだ。
「お前っ・・・これはお前の仕業なのか!」
カイルがモニカを睨みつける。
けれどモニカは怯むことなく地面に押し付けられるカイルを見て楽しそうに笑った。
「仕業、だなんて人聞きが悪いですね。私たちはただ神のご意志に従って大罪人を捕らえようとしているだけだというのに。あぁ、助けを求めようとしても無駄ですよ?レイモンド様は取込み中ですから」
「・・あの方に何をした」
低く地の底から這いあがってくるような怒りに満ちた声にも、モニカは笑みを崩すことはない。
「親子の対面を楽しんでいただいているだけです。レイモンド様が生贄を逃がそうとなさっているんですもの・・・少し、説得していただこうと思いまして」
「馬鹿なっ!教皇は1人で起き上がることすらままならないんだぞ!」
「えぇ、切ないほどの親子愛ですよね。親が自らの命をかえりみずに子の過ちを止めようとしているんですもの」
「教皇がそんなことをするわけがない。・・・お前、一体何をしたんだ」
モニカは押さえつけられて地に伏しているカイルの傍にしゃがみ込むとぞっとするほど冷たい目で見下ろした。
「・・・ねぇ騎士団長、あなたには失望しました。あなただって賛同していたではありませんか。多数のために1人が犠牲になることを」
「それは・・過去の話だ。今はそんなこと欠片も思っちゃいない」
「・・まぁ、あなた1人の意志など関係ありません。どうせ反発する1つの意志など数に押しつぶされてしまうのですから」
モニカは地面に座りこんだままの私に一歩歩み寄った。
「カジミール!」
切り裂くような声と共にずんぐりとしたトカゲが姿を現した。カジミールは私を守るように聖女に立ちはだかった。小さな体が震えると地鳴りのような音がして私を取り囲むように土の壁が現れる。カジミールによる魔法だった。私を守ろうとする小さな精霊の姿を見てモニカは眉をひそめた。
「・・・契約精霊・・・忌々しい」
カジミールに向かって手を伸ばすとその手から黒い靄が放たれてカジミールの姿を覆った。
きゅうーっと苦しむような声がする
「カジミール!」
「私に従わないものなんていらないのよ」
黒い靄から解放されたカジミールの身体が地面に落ちて消えた。それと共に私を守るように覆っていた土の壁も音をたてて崩れ落ちる。
「騎士団長にも、無駄な抵抗だとわかっていただいた方がいいですね」
モニカの声でカイルに覆いかぶさっていたうちの1人が懐から短剣を取り出すとカイルの足に勢いよく突き刺した。それで終わりではなかった。今度は腕を押さえていた人が体重をかけてカイルの手をあらぬ方向へと曲げた。ボキンっという音が闇に響く。
「ぐっ!!」
こらえるようなカイルの声に何が起きたのかをやっと悟った。
「あ、あああああ!」
無意識に叫んでいたのは私だった。悲鳴が勝手に喉をついてでた。身体が勝手に震えだす。この異様な光景の中で聖女だけが楽しそうに微笑んでいた。
「ふふふ、痛いですよね。これ以上痛めつけられてしまえば、あなたの騎士人生も閉ざされてしまいますよ。ねぇ、わかっているでしょう?ここであなた1人消してしまうことは容易いんです」
「・・・・」
「大丈夫、これはあなたの責任ではありません。神が生贄を望んでいてあなたもそれに従っただけ。難しく考える必要はありません。ただ身を委ねてしまえばいい。これは仕方のないことなのですから」
まるで誘うように聖女が囁いた。その言葉は彼にとって騎士人生を諦めなくていい救済の道だった。
「・・・っくくく」
唐突にカイルが笑いだした。まるで笑いを堪えられないといったその様子にモニカは怪訝な表情をする。
「・・・何を笑っているんですか?」
「・・・悪いがそんな口先だけの言葉に惑わされるほど半端な決意でここにいるわけじゃない。俺はもう二度とあんなことは繰り返さない。仕方がないと言い聞かせて犠牲に目をつむるなんてもううんざりだ。そんな安っぽい言葉で俺を従わせることができると思ったら大間違いだぜ」
「・・・くだらない。それなら望み通りにしてさしあげましょう」
冷え切った表情の聖女が手を挙げるといつの間にか聖女の傍に控えていたアルフレドが剣を構えた。その意味に気づいたときとっさに身を乗り出した。
「待って!!・・・お願いします、もうやめてください。私は逃げません、生贄になりますから。だからもうカイルさんを傷つけないでください」
「おいっ何言ってんだ!やめろ!!」
カイルが必死な形相で怒鳴る。聖女は私の言葉に満足したらしい。冷たい目に光が宿るとぞっとするような笑みを浮かべて懇願する私を見下ろした。
「ええ、そうですね。すべてはあなたが招いたことです。あなたのせいで、騎士団長は傷ついた。あなたのせいで、レイモンド様は
さぁ、あなたの罪をあなたの命で洗い流しましょう」
「頼むから逃げて、生き延びてくれ!!」
「・・・騎士団長には少しの間静かにしていただきましょうか。」
尚も抗おうと必死に身体をひねって起き上がろうとしているカイルにモニカが手をかざす。その手から放たれた黒い靄がカイルを覆った。カジミールのときと同じだ。
(あれは・・一体何なの?)
「ぐっ・・・」
靄に覆われたカイルは短く呻くとすぐに動かなくなった。あれが、聖女の力なのだろうか。傍から見ていても神聖なものではないことがわかる。なにより、言葉にできない嫌悪感がある。
「少し眠っていただいただけです。彼を地下牢へ」
モニカの掛け声でカイルに群がっていた人たちはカイルを地下牢へと引きずっていった。私はただその姿を見送ることしかできなかった。モニカは今度こそ私に向き直って微笑んだ。
「大丈夫。あなたは大事な生贄ですから、そのときまで丁重に扱いましょう」
モニカの声に応えるようにしてアルフレドが前に出る。彼はもう私の姿を見ていなかった。ただ聖女の言葉に従う人形のように振りかぶった手が無慈悲に振りおろされて私の意識は閉ざされた。
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