11.枢機卿の仕事
「・・・・どうしよう・・・とっても退屈」
ソファに座って天井を見上げながら呟くと肩に乗っていたレアがピィっと小さく鳴いて首を傾げた。
「ふふふ、ずっとこもりきりですものね」
だらしない私の姿に笑みをこぼしたのはレイモンドの許可を得てこの屋敷の炊事と掃除の大部分をになってくれている神官カティアだった。彼女は他国の出身であるが、夫が教団の神官だったこともあって数年前から教団に勤めているらしい。ここへ来たばかりの頃は挨拶するだけの関係性だった彼女との関係性も毎日顔を会わせていくなかでだいぶ打ち解けたものになった。その証拠にだらけた姿を見せている主人の婚約者に対しても嫌な顔をすることなく、笑顔を浮かべてくれている。
「このままじっとしているなんてどうにかなってしまいそう・・」
「そうですね・・・・でしたら、枢機卿に差し入れを持っていくのはいかがでしょう。間もなく昼食の時間にもなりますから」
カティアは時計を一瞥してから提案する。今は昼の鐘が鳴るまであと一時間といったところだ。
「・・・差し入れ?」
カティアの提案にだらけていた体を起こして振り返る。
「はい。枢機卿は多忙のため食事を抜くこともあるとお伺いしております。きっと婚約者であるあなた様が昼食を差し入れれば食べないことはありませんわ」
それは初耳だった。忙しいことは知っていたけれどまさか食事を食べる余裕もないほどだったとは。2人で暮らしている頃はきっちり三食取っていた。今は時間に余裕がないこともあるかもしれないけれど、その時は病み上がりの私のために頑張って作ってくれていたのだろう。それを思えば答えは1つだった。
「・・・そうね。私、レイモンドのためにもお昼ご飯を作ってあげたい。カティアさん、どうか手伝ってください」
「もちろんですとも」
頭を下げるとカティアは嫌な顔せず笑顔で承諾してくれる。そうと決まれば話は早い。腕まくりをして気合を入れると昼食の時間まで間もないためさっそく二人で準備に取り掛かった。
右手にカティアが書いてくれた手書きの地図、左手に昼食の入ったバスケットをもちながら本館の廊下を1人で歩く。一緒に作ってくれた彼女はまだ掃除があるからと仕事に戻ってしまった。何を作るのか悩んだ末に、バスケットの中いっぱいにサンドイッチとカットフルーツが詰められている。忙しい仕事の片手間にも食べられるようにと考えてのことだ。
「どこに行くんですか?」
バスケットを腕に抱え直しながら地図を見ていると唐突に声をかけられた。この場所で私に声をかけてくる人物なんて限られている。嫌な予感がしながらも顔を上げると、そこには予想通り元恋人である銀髪の騎士がいた。最後に会ったときは倒れそうなほどに体調が悪そうだった彼も回復したらしい。少し顔色が悪いのは相変わらずだけれど、その顔つきはしっかりしたものになっている。
「・・・レイモンドのところです」
一瞬答えるべきか悩んだけれど、やましいことなどないのだからと正直に答えた。けれどその答えは彼にとって好ましくないものだったらしく、とたんにアルフレドは眉をひそめた。
「あの方に関わってはいけません」
「・・・どうしてそんなことを言うですか?」
咎めるようなその言葉に反発心と警戒心が芽生えた。
「あなたのためです。あなたにはもう辛い思いをしてほしくない」
(・・・あなたがそれを言うの?)
思わず心に浮かんだ言葉が口をついて出そうになるのを理性で抑えた。
「私はレイモンドの婚約者です。自分の婚約者に会いに行くことは問題ないはずです。・・・それに、私が誰に会いに行こうとあなたには関係のないことです」
この人の言葉が少し苦手だ。私を混乱させて不安にさせる。私たちはもう終わったのだときっぱりと拒絶すると私の言葉に傷ついたように、アルフレドは悲しそうな表情を浮かべた。それが余計に私の心を波たたせる。
「あなたは聖女様と結婚したじゃありませんか。私じゃなく、彼女を選んだ」
「違う、違います・・・私はもうあなたを失いたくないだけなんです」
(何が違うっていうの)
思わず唇を噛んで睨みつけた。あのとき感じた彼の裏切りに対する怒りや悲しみは本物だ。それを引き起こした過去を否定なんてさせない。
「事実でしょう。それに先に手を離したのはあなたのはずです。自分の選んだ相手を大切にしてください。・・そうじゃないと、私が・・・」
(記憶を失う前の私が・・・かわいそうだ)
自分を捨てて違う人と結婚したにもかかわらず、元恋人からこんな風に声をかけられることなんて過去の私だって望んでないはずだ。この状況が私を惨めにしていることを彼は理解しているのだろうか。
「アリシア・・・私は今でもあなたのことを・・」
「やめてっ!!」
伸ばされた手を反射的に振り払った。
「そんな言葉、たとえ本気でも聞きたくない!!」
自分でも思いのほか大きい声にハッとしたそのとき
「そこまでだ」
厳しさを含んだ落ち着いた声がその場を制した。
「ちょっかいをかける相手が違うんじゃないか、シュヴェリエ」
「団長・・」
振り返ると腕を組んでこちらを見据えているカイルがそこにいた。いつから見ていたのだろうか。カイルの様子は普段の快活で明るいものではない。言葉こそ穏やかな彼のままだけれどその雰囲気には他者を圧倒するような覇気がある。これが騎士団長と呼ばれる彼の姿なのだろう。咎められているわけではない私にも緊張感がはしる。
「妻でもない女性に言い寄るなんて騎士として以前に男として恥じるべき行為だ。それに、この子は嫌がってる。お前にはその区別もつかないのか」
水色の瞳が伺うように私を見た。けれどその視線から逃れるように顔を背けた。
「分かったらとっとと自分の持ち場に戻れ」
「・・・はい。申し訳ございません」
カイルの言葉にアルフレドは私に頭を下げて謝罪すると、背を向けてその場を後にした。最後にどんな顔をしていたのかはわからない。見るつもりもなかった。
「はぁ・・・ったくあいつにも困ったもんだ。大丈夫だったか?」
小さくため息をつくと、それまでの覇気が嘘のように普段の穏やかな彼の様子に戻った。
「はい。助けてくれてありがとうございました」
私を気遣う彼の言葉にようやく波たった心が凪いでいき、ほっと息をついた。カイルはガシガシと頭をかいて申し訳なさそうな顔をする。
「礼なんていらねぇよ。副団長ともあろう者が妻じゃない女にちょっかいをかけるなんて冗談でもあっちゃならねぇ。団を率いている身として見過ごせねぇからな」
「副団長?・・あの人が?」
失礼だけれどそうは見えなかった。てっきり夫として聖女専属の護衛を担っている少し特別な役割を持つ騎士と思っていたけれど、カイルの次に偉い立場にあるらしい。
「ああ、お偉いさんの推薦もあってな。昔のあいつだったら俺も異存はなかったさ・・・けど聖女といるようになって変わっちまった。今じゃすっかり腑抜けて、魂がぬけちまったみたいだ」
カイルはアルフレドが去っていった方を見つめながら険しい顔をする。すでにそこにアルフレドの姿はない。彼の目には過去のアルフレドの姿が映っているのだろう。カイルの見ているそれは私と恋人同士だった頃の彼の姿なのだろうか。今の私には知る由もないけれど。
「っとそういえば、なんでこんなところにいんだ?これも、あんたのだろう、落ちてたぜ」
それまでの雰囲気を変えるためだろうか。カイルは私に向き直ると明るい声で尋ねながら地面に落ちていた地図を拾ってくれた。さっきアルフレドの手を振り払ったときに落ちてしまったらしい。礼を言ってそれを受け取る。
「レイモンドに会いに行こうかと・・・差し入れを持ってきたんです」
手に持っていたバスケットを持ち上げて見せると途端にカイルは笑顔になる。
「おっいいな!それにタイミングもばっちりだ。ちょうど限界みたいでな・・・お前さんが来てくれると助かるぜ」
どういう意味だろうか、それを問う前にカイルは私の背後に回りこむと急かすように背中を押した。
「さ、こっちだ」
「わ、歩きます。歩きますから」
尋ねることもできないままカイルに押されて本館の廊下を再び歩き出した。
「ここだ。そこから覗いてみろ」
カイルの案内でやって来たのは明らかに身分の高い人の部屋だとわかる大きな扉の前だった。きちんと占められていなかった扉はわずかな隙間が出来て、外から中の様子を伺うことができるようになっている。まるでいたずらをする子供のような顔をしているカイルに促されて、音を立てないようにそっと扉の隙間から部屋をのぞき込んだ。
それは異様な光景だった。
まず見えたのは無表情で中央の執務机に向かっているレイモンドの姿。そして左右2列に並んでいる書類を持った神官たちの姿。
「次」
「はいっこちらになります!」
抑揚のないレイモンドの短い掛け声で並んでいる神官が手に持っていた書類をレイモンドに渡している。やっていることは仕事なのだろうけれど、レイモンドの声に応えて書類を書類を渡している姿はまるで看守と囚人のようだ。その証拠に神官たちの表情は皆緊張で強張っている。
「・・どうしてこんなに機嫌が悪そうなんですか?」
普段のレイモンドはとても穏やかだ。けれど執務をしている姿はまるで別人のように凍り付いている。いや、凍り付いているのは周りの人なのかもしれない。
「あの方はいつもあんな感じだ。なにせ極度の人嫌いだからな」
「人嫌い・・」
カイルは日常風景かのように言うけれど、当の私はしっくりこない。
「ああやって枢機卿として表に出て仕事をしてる分よくやってる。じゃ、入るぞ」
「え」
「戻りました」
止める間もないままカイルは扉を押し開いて中へと踏み入った。あの雰囲気の中に突入できる気概に関心しながらも、私には堂々と入っていける勇気がないためカイルの背に隠れるようにして部屋の中へと入る。
「遅かったな。頼んでいた現場の処理はどうなった」
「抜かりなく。それより、ちょっくら休憩しませんか。朝から根を詰めて疲れたでしょう、昼飯にしましょう」
それまで顔を上げずに書類に何かを書き込みながら会話をしていたレイモンドは、カイルの言葉でピタリと手を止める。
「昼食だと?そんな余裕が一体どこにあると思って・・・・」
険しい顔を上げたレイモンドと目が合うと、苛立ちを含んだ声の語尾が呆気にとられたものに変わって不自然に途切れた。
「忙しいところ、ごめんなさい」
気まずい雰囲気の中でカイルの背中越しにおずおずと声をかける。明らかに歓迎されない雰囲気に委縮してしまう。
「どうしてここに?何かあったんですか?」
私がここに来るとは思っていなかったらしく、レイモンドは明らかに動揺した様子で立ち上がった。先ほどまでの周囲を凍り付かせるような雰囲気はなく、その様子は普段の彼のままだ。
「・・・差し入れを持ってきたの。邪魔しちゃったよね・・これだけ置いて帰るから」
バスケットが見えるように持ち上げるとレイモンドは勢いよく首を横に振った。
「邪魔だなんてそんなわけありません!・・あなたが会いにきてくれてとても嬉しいです」
レイモンドは嬉しそうに少し頬を赤らめる。その姿に周囲の神官たちがぎょっとしてから一斉に私を見たのがわかった。
「そういうわけです。いくら忙しくても婚約者の気遣いを無駄にするなんてしないでしょう?」
「当たり前だ」
挑発するようなカイルの言葉にレイモンドが少しムッとした表情をしながら同意する。
「じゃ、解散。続きは後だ、お前らもさっさと昼飯くってこい」
言質をとったと言わんばかりにカイルは神官たちを連れて部屋を出て行った。どうやら気を遣って2人きりにしてくれたらしい。
「アリシア、こちらにどうぞ。仕事でしか使わない部屋なので、大したものがなくてすみません」
レイモンドはソファへすわるように促すと、執務室に準備してあったものらしいコーヒーを淹れてくれた。
「あの・・・中断させてしまってごめんなさい」
「あなたがいないと心が休まらなくて休憩にもならないんです。どうか俺のためだと思ってここにいてください」
申し訳なさから謝ったけれど、無用だったらしい。ここに来る前のカイルの言葉通り、レイモンドの疲れも限界だったのだろう。レイモンドの表情を見ればわかった。
穏やかな表情のレイモンドと共に持参した昼食を楽しんでいると、ここに来るまでの出来事はすっかり気にならなくなっていた。
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