黒衣の天使⑤
「さて……そろそろ行かなければ」
魔物は行った。ずっと以前に聞いた言葉によれば、この男は一つの時間に永くとどまることのできないという呪を背負って生きているのだ。
しかし、オレは問わずにはいられなかった。
「なあ……少しだけ、オルシアに会ってやれないのか?あいつは、あんたのことを恨んじゃいない。むしろあんたには、感謝しているんだ……と思うぜ?」
だが、魔物は顔を横に振った。
「いずれ……時が来れば私たちはまた出会う。オルシアには、今日ここで私に出会ったことは秘密にしておいて欲しい」
「しかし……」
「もう、行かなければ」
魔物は行った。いつかと同じように、その姿が景色に揺らいだ。
「待ってくれ!名前くらい、教えてくれてもいいだろう?!」
俺は今にも消えてしまいそうなその姿に向かって叫んだ。
魔物が口を開いた。
「私の名は……」
幻のように、その姿が消えてしまう瞬間、声は響いた。
〝私の名は、マール〟
声はそう聞こえたような気がした。
「……なんというか、圧倒的な方でしたね。この分だともう片はついていると思いますが、あちらのほうが気になります。戻りましょう」
ルーシェの言葉に、オレは頷き急いでカスミーロスの墓の前へと戻った。
予想通り、6人の墓荒らしは散々カラスにつつかれたのであろう、全身ボロボロの状態で皆駆けつけた墓守の兵士たちに拘束されていた。
墓の前にはカラスの大群が暴れた形跡がある。
墓の回りいっぱいに落ちた黒い羽を、掃除しなけりゃならないな。
そう思い、大きな羽の一枚に手を伸ばした……その時だった。
雲が晴れて、見たことも無いくらい美しい満月が姿を現した。
銀色の光がまるでヴェールのように、カスミーロスの墓に降り注いだ。
そこだけが真昼になったような眩い輝きの中、墓の回りに落ちていたカラスの漆黒の羽根が次々に純白の羽根へと変化し、風も無いのに、ふわりと辺りに舞い上がった。
その幻想的な光景は、まるで荘厳な教会の中にいるような……大げさな表現を使えば、天国の入り口を見たような、そんな気分にオレをさせた。
おそらく、その場にいた全員が、同じ感覚に包まれていただろう。
静かに舞う純白の羽根の向こうに、オレはふと、懐かしい友の姿を見た気がした。
彼は微かに微笑み、舞い散る羽根と同じ色のマントを翻して、オレに背を向けた。
思わず追いかけそうになった俺に、背を向けたままホンの少し振り返り、軽やかに右手をあげて別れを告げる。
その後姿も仕草も、何もかもが懐かしく……俺の頭の中に数十年前の冒険の日々が、信じられないくらい一気に蘇ってきて、オレは思わず叫んでいた。
「カスミーロス……!!」
まるで、天使のようなその姿。
「カスミーロス……!!!」
もう、この世では二度と会うことのかわない親友。
"さようなら"
そう、頭の中に響いた懐かしい声に、気がつくとオレは月を見上げたままとめどなく涙を流していた。
翌朝、オレとオルシア、そしてルーシェとユリューサは、朝霧の中カスミーロスの墓へとやってきた。昨日の出来事はまるで夢のようで……白い羽根が数枚、墓の周りに落ちていなければ、オレ自身も現実だとは信じられなかったかもしれない。
昨晩見た奇跡を、例の魔物に会ったことだけを省いて聞かせると、オルシアとユリューサは、少し顔を見合わせて、それからオレを見上げて微笑んだ。
「私たち、夜中に同じ夢を見て、飛び起きたんです」
と、ユリューサは言った。
見たことも無いような美しい場所で、カスミーロスが別れを告げる夢。
「でも、なんだかまた会える……って気がしたんだ」
と、オルシア。
「あいつ、とても幸せそうだった。本当に……これ以上ないくらい穏やかに微笑んで、そっと、手を振ったんだ……」
花束を捧げ、オレたちは心の中でそれぞれカスミーロスに別れを告げたあと、妙に清清しい気分の中、帰路についた。
「またいつでもきてくださいね」
そういって微笑みながら手を振ったユリューサとルーシェも、もう心配ないだろう。
あんたたちもたまには訪ねて来いよと、オレとオルシアはめいっぱい明るく叫んでその家をあとにした。
しばらくのち、オレたちの元にまた一通の手紙が届いた。
ルーシェからのそれには、ユリューサも自分も、すっかり立ち直って元気にやっていること。
あれからあの奇跡を目にした警備兵らによって、カスミーロスの墓で美しい天使を見たという噂が広まり、彼の墓にはいつも人が訪れて花が耐えない状態だということ。
そして、音楽会の時に知りあった、国王の末の姫君に恋をしたことが書かれていた。
「色男は父親譲りだなあ」
笑っていうオルシアに、オレは「ちがいねぇな」と返して、その手紙を大切に机の引き出しにしまった。
END
某所で最初にこの作品を公開した時、数話前でカスミーロスが離脱した時かなり驚いたという感想をもらった。お前、主人公じゃなかったのか!?と。
ちなみにカスミーロスという名前は、ギリシア神話のヘルメスに同一視されるサモトラケ島の青年神の名で、豊穣を与え危難から護る神だとされていますが、この名を付けた意味は特に無いです。単に、語感が気に入っただけ。
霞ロースと読み間違えられて、ハムみたいな名前ですねと言われたことがあります笑




