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WITH THE WIND  作者: レエ
本編
34/66

新しい日①

「ねぇ、ミド」

「ん?」

「部屋は別々に取ってくれる?」

「あ…ああ、そうだな」


 カスミーロスと別れた最初の日の宿。

 オルシアのその言葉にオレは一瞬戸惑い、すぐに納得して部屋を二部屋頼んだ。部屋は二階の一番奥とその手前。三人でいたときは、部屋はいつも一部屋しか頼まなかった。そのほうが行動もしやすかったし、そうすることに特に何の疑問も抱いてはいなかったのだ。

 身体が女に戻ったのだから、オレと二人きりで一つの部屋になるのは抵抗があるのかもしれない。いや、身体ばかりではない、カスミーロスへの淡い想いが打ち砕かれたことによって、オルシアは子供……すなわち無性の存在から、やっと一人の女性としての自分を見つめ始めた。カスミーロスにとっては、せつない終息の時を意味したそれは……しかし本来ならば美しい変化の始まりというべきだろう。

 これが自然なのだ。一つの輝かしいときは確かに終わってしまったかもしれないが……物事には何にでも潮時というものがある。それを無視して流れに逆らおうとすれば、結局は自ら滅びてゆくしかない。芽生えた恋心を無視したまま、なお無性にとどまろうとすれば、オルシアはきっと今よりもずっと苦しむことになったに違いない。一つの挫折により、自らの弱さを知ってしまった者はもう二度と子供にはもどれはしないけれど……ここから立ち直れば、今までにはなかった別の強さを手に入れることができるはずだ。

 今はしばらく、見守ってやることしか出来ない。

 この傷を癒して心に蹴りをつけられるのは……オレがどんなに慰めてみたところで、結局はオルシア自身しかいないのだ。

 しかし部屋が別々となると、それなりの心配もでてくる。

「何かあったらすぐに大声を出せよ」

「うん……荷物置いたら、そっちに遊びに行くよ」

 オルシアの本来の姿……つまり女性の時の姿は何度か見たことがあったし、男のときとそれほど激しく変わっているわけでもないのだが、こうして改めてみるとなんだかずいぶん頼りなげに見えて胸が痛かった。

 向かいの部屋に消えていった後ろ姿を見送って、部屋に入る。

 一人で一部屋なんて、ずいぶん久しぶりだ。狭い部屋だが、一人だとなんだか伽藍として見えるものだな。と、オレは少し感傷的な気分になった。

 三人でいたときは、笑い声が絶えたことなんてなかった部屋。

 オルシアがあんなふうに笑ってくれるようになるまでにはまだ少し時間が掛かりそうだが……それも仕方がないだろう。

 荷物を置いて、部屋の窓を開けていると、オルシアが入ってきた。

 目が合えば微笑を浮かべるものの、どこか上の空といった様子がある。

「何か飲むか?」

 そう訊ねてみたが、オルシアは首を横に振った。

「……おやつは?」

「要らない」

 椅子に座って、何をするわけでもなくボーっとした様子のオルシアに、俺はかけてやるべき言葉も見つからずただ暇を持て余していた。

 これからどこに行くのか、仕事の予定はまだ立てていない。魔女としてのほとぼりはとっくに冷めているだろうが……彼女が塔の魔女であった事実は少なからず騒ぎの対象となるだろうし、何より勇者として名高いカスミーロスが、オレたちとパーティを解消して旅を止めた……その噂は、あっという間にギルドから世界中に知れ渡ることになるだろう。今のオルシアに、そんな話題への質問が殺到するのはあまりにも酷というものだ。

 美しい顔に乱れてかかる、しなやかな黒髪。長い睫に縁取られた、半ば伏せられたその魔性の瞳で……オルシアは今何を見ているのだろう。

「オルシア」

 こういうときに声をかけるべきなのか、それともほうっておいてやるべきなのか、正直オレにはよくわからない。

「元気出せよ」

 我ながら、つまらない台詞だ。

 だがオルシアはその言葉にふっと嬉しそうに笑った。

「ありがとう。早く忘れようかなとは思ってるんだけど……なんか、寂しくて」

「急ぐ必要なんてねぇよ。無理に忘れようなんてするな。いや、忘れたりなんかしたらだめだ。今の思いはずっと大切に取って置け。きっと……思い出せなくなったらもっと悲しいぜ。だから、ちゃんと覚えておけよ」

「あ、そうか。うん、そうだな」

「ああ」

「……お前は強いやつだな、ミド」

「そんなことないさ。オレだって寂しいよ。でも……オレの目の前には、まだお前がいてくれるからな」

「そうか……」

 以前のオルシアなら、ふざけたことを言うなといって、顔を赤くして怒っただろう。

 オルシアはふっと微笑んで、長い黒髪の一房を指先に巻きつかせながら、

「ありがとう」

 と言った。

「お前いいやつだな、ミルドレーン。なのに俺……じゃなくって私は、あんまりお前の言葉をまじめに聞いてなかったような気がする。いつも、ふざけてからかってるんじゃないかとか思っていた。酷いことしてたんだな、私は。ああ、今もか……な」

「気にするなよ。オレが勝手にお前を好きになっただけなんだから、それに応えようが応えまいが、お前には何の罪もないんだ」

「そうかな。でも、やっぱりつらいことだよな……」

 しばらく沈黙が続いた後、オルシアはもう寝ると言って部屋に戻ってしまった。

 カスミーロスと別れたのがすでに夕方だったから、そろそろ夜の闇も深くなってきている。オレは一人宿の食堂で軽い夕食を済ませ、オルシアがもし起きてきたときに……と、パンを二つとワインを一本もらって部屋に戻った。

 シャワーを浴び、武具の点検を済ませてしまうと、他にやることもないのでオレも休むことにする。

 こんなに早く寝るのも久しぶりだな。

 オルシアは眠れただろうか……?

 カスミーロスは、今ごろどうしているんだろう。

 そんなことを考えながら、オレは何とか眠ってしまおうとしたが、なかなか寝付けはしなかった。

 ベッドに入って三時間ほどたった頃。ようやく少し眠りかけたオレの耳に、ドアをノックする音が飛び込んできた。

 コンコン……と、どこか遠慮がちなノック。

「……オルシアか?」

 そう訊ねると、

「入ってもいい?」

 という声がした。

「ああ、今開けるよ」

 急いでドアを開けると、そこには枕を抱いて目を赤くしたオルシアが立っていた。

「ごめん、起こしちゃ悪いと思ったんだけど……」

「いや、どうせ寝てなかったから気にするな。それよりどうしたんだ?嫌な夢でも見たのか?」

 その問いに、オルシアは枕を抱きしめたまま、首を横に振った。

「まあ、とりあえず中に入れ。……ワイン飲むか?」

「うん……」 

 椅子に座らせて、ワインをグラスに注ぎ、さっきもらってきたパンといっしょに出してやる。

「腹も減ってるだろ?少し食ったほうがいいぞ」

「うん……」

 オルシアはうつろなまま頷いて、ワインを一口だけ口にした。

「大丈夫か?」

「ごめん……」

「どうしたんだ?」

 我ながら間抜けな質問だとは思うが、無視しているわけにもいかない。

「変な夢を見たわけじゃないんだろ?」

「うん……なんか、寂しくて……」

「……そうか」

「一人なんて、耐えられない」

「一人じゃないだろ?オレがいるじゃないか……お前を置いてどこかに消えたりなんかしねーよ」

「そうだけど、なんだか静か過ぎて、いろんなことを考えてしまう。朝起きて、一人ぼっちだったらどうしよう?本当は、まだ私は塔の中にいて……ほんのちょっとの間だけ、都合のいい夢を見てたんじゃないか?そう考えると怖くて。風の音も、フクロウの鳴き声も、木のざわめきも……昨日まではなんとも思わなかったのに、今日は怖いんだ……とても怖い……」

 オルシアはそういって、何かを振り払うように頭を振って耳をふさいだ。

 今のオルシアには、ほんの少しでも一人になるということが耐えがたい恐怖なのだろう。それは、今まで彼女の心の奥底に眠っていた、オレたちには到底分かりようもない想像を絶するような孤独の記憶が、カスミーロスと分かれたことによって一気に蘇ってしまったからに違いない。

 永遠に近い時を生きてきた彼女に……流れていく時を思い知らせなければならかなったのは残酷なことだったかもしれない。

 だが、別れは遅かれ早かれ必ずやってきてしまうのだ。

 歪が大きくなる前に去っていったカスミーロスは、傍目からは酷い男に見えるかもしれないが……これも彼なりの、オルシアへの精一杯の思いの表れだったに違いない。

「こっちで寝てもいい?」

 そう涙目で言われて、どうやって断れというのだろう。

「ああ、いいけどさ……じゃあお前がベッド使え。オレはその辺に転がってるから」

「でも……」

「気にするなよ。オレはもともとベッドより床が好きなんだ」

「……すまない」

「そのかわりオルシア、一つだけオレの頼みを聞いてくれるか?」

「なんだ?」

「これから先、なにがあってもオレにだけは我侭でいてくれ。気を使う必要なんてない。いや、使うな。……いいな?」

「ミド……」

「じゃ、おやすみオルシア」

「うん、おやすみ。ありがとう」

 オルシアがベッドに入るのを見届けてから明かりを消し、荷物を枕に、マントを布団がわりにして床に転がり目を閉じた。

 またオルシアが泣き出しやしないかと、初めは気になって聞き耳を立てていたが、やがて微かな寝息が聞こえてきたのに安心し、オレも眠りについた。

 



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