夜明け
私は塔の中で夢を見ていた。
いつか素敵な王子様がやってきて、私を連れ出してくれる夢──。
遠いものほど美しいと感じられれば、目の前にある苦しみを忘れられるような気がした。
厳重な結界の中、沢山の兵士に囲まれて、夜の闇を怖れ、私は月を愛した。
手の届かないものに想いを馳せる気楽な逃避は、いつしか私の"現実"となった。
必ず迎えに来ると言った父は、私を閉じ込めたまま二度とやっては来なかった。
可哀想なお姫様ねといいながら、人々はみな私を怖れた。
知ってしまえばきっと求めてしまうこの世界のすべてから、目を背けてしまいたかった。
寂しさに震えながら、塔の扉をきつくきつく閉ざしたのは、きっと私自身だったに違いない。
誰かに愛されていたかった。
誰かにそばにいて欲しかった。
やがて全てが滅び死に絶えた塔で、孤独に震えながら私は孤独に安堵した。
いつか誰かがそこから連れ出してくれるのを願いながら……私は誰も招き入れようとはしなかった。
──嘘。
本当は、王子様が迎えに来てくれるなんて、本気で信じてはいなかった。
私はただ、与えられた場所から出て行くのが怖かっただけ。
現実など、何もかも忘れてしまいたかったかったから夢を見た。
物事を深く考えるのは、とっくの昔にやめてしまっていた。
笑っていないと気がふれてしまいそうだったから、いつも楽しいことを考えていようと思った。
夢の中では私はいつまでも恐れを知ることなく、つらいことなんて何一つなかった。
だから、突然目の前に現れた貴方に……
私の作り上げたいくつもの壁を切り抜けてそこに辿り着いた貴方に。
白銀に輝く翼を持ったような美しい貴方に、私はどうして心奪われずにいられただろう?
あの日、貴方の背にしがみついた。
他人の鼓動を聞くのは、一体いつ以来だっただろう。
その温もりは、ずっと私だけのものだと思っていた。
ずっと貴方とともに生きてゆくのだと信じていた。
でも──本当は気付いていた。
私も貴方も、本当は"夢"を追っていただけ。
確かめようとすればあっという間に消えてしまう短い幻を、永遠と信じようともがいていた。
せっかく動き始めた現実の時間の中で、私は再び生きはじめたのに。
何故、私の心はまだあの塔の中で、貴方と共に終わらない悪夢を見つづけようとしていたのだろう。
「さようなら」
と、私は言った。
「貴方のことが好きだった」
そう告げると、今にも泣き出してしまいそうな顔で、カスミーロスは私から目をそらした。
私を抱きしめる彼の肩が震えている。
そういえば、カスミーロスに抱きしめられたのはこれが初めてだったかもしれない。
思えば彼は、いつも私に手を伸ばすのを躊躇っているように見えた。
まるで、触れれば私が消えてしまうと恐れているかのように。
髪を撫でる、優しい手。
たとえその手がどんなに血に塗れていても、私は怖れはしなかったのに──。
私と彼は、とてもとてもよく似ていた。
そう、まるで鏡でも見ているみたいに。
「僕もだよ」
と、カスミーロスは言った。
「僕もだよ、オルシア」
涙に震えた、小さな声。
楽しかった旅の思い出が鮮明に蘇り、私は目を閉じた。
でも私は、貴方の前では泣かない。
私はもう、貴方に手を牽かれて塔を出たあの瞬間に戻れはしない。
「ありがとう」
私は貴方に背を向けた。
楽しかった泡沫の日々。
動き出してしまった時は戻らないけど……最初から、心の中に残る小さな思い出以外、この世の何が永遠に留まってくれるというのだろう?
私も貴方も、お伽話を演じようとした……かつて恐れを知らない子供だった、今は平凡な大人。
だからさようなら。
次に会う時の私は、貴方の愛してくれた私ではないかもしれないけれど。
新しい道を歩みだした私たちの未来は、きっと、とても素晴らしい──。
「済んだのか……?」
部屋の外に出ると、旅支度を整えたミルドレーンが待っていた。
「うん」
「そうか……」
そういってポンと肩を叩くこの人が、どれほど優しく大きな人間だったのか、私は今までわかってもいなかっただろう。
「ミルドレーン」
「ん?」
「お前はまだ私についてきてくれるのか……?」
「見ればわかるだろ」
「まだ私にはわからない。どうして旅を続けたいと思うのかも、どうして今のままじゃいけなかったのかも、まだホントは全然よくわかってない」
「……ああ」
「まだ、カスミーロスのことが好きだ」
「ああ、わかってるよ」
「それでも、一緒にいてくれるのか?」
「くどいぞ。ここで別れるくらいなら、最初から勝負なんてしねぇよ」
「……」
「お前は、ゆっくり考えればいい。どんな結論が出たって、ずっと結論が出なくたって、オレはお前が要らないって言わない限り、ずっとお前のそばにいるから。自分の心がいっぱいな時ぐらい、強がらないで甘えてろよ。ったく、ちょっとは大人になったのかと思ったらまだまだだな……なあ、もう無理に笑わなくったっていいんだぜ?」
その言葉に、とめどなく溢れてきた涙を逞しい指が不器用に拭う。抑えきれなくなった嗚咽を殺すように、私は広い胸に頭を寄せた。
都合のいい残酷さを、それでも許してくれるという人に甘えて……
私は泣いた。
ふと目の前をよぎっていった光景はなんだっただろう?
涙を流したら粉々に壊れてしまうと思っていたものたちが……淡い光の中に溶けていく。
「もう、男の衣装は着ない」
私はもう、小さな子供ではないから。
「もう、男の衣装は着ない……」
「ああ、そうしろよ」
繰り返し呟いた私の髪を、ミルドレーンが優しく撫でる。
「じゃあ、行こうか?」
「……うん」
こうして私の新しい旅が始まった。
次にカスミーロスと会う時は、楽しい土産話を用意できればいいと思う。
END




