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WITH THE WIND  作者: レエ
本編
32/66

夢路の果て④

「僕は、旅を止める」

 その夜、折れた剣を手にしばらく月を見上げていたカスミーロスは、やがてポツリとそう呟いた。

 オルシアとユリューサは、部屋で眠っている。

 オレはカスミーロスに呼ばれ、ともに砦の一番高い塔の上に来ていた。

 冷たい風が、カスミーロスの白いマントに叩きつけるように通り過ぎていく。青い光の中、まるで支えをすべて失ってしまったかのように、疲れはてた表情で俯く勇者に、オレは返す言葉が見当たらなかった。

「僕は憶えているんだミルドレーン。あの瞬間……目の前で舞った赤い飛沫に、僕は確かに正気を取り戻していた。強い衝撃に弾き飛ばされながら、僕は崩れ落ちる細い影を確かに見た。あのときの感触、あのときの絶望感……あれが夢だったとは思えない。あまりにも鮮明で……僕は決して忘れることができないだろう」

「……」

「オルシアと一緒にいるのが怖いんだ……彼女を失うこと、変わっていく自分……どうしたらいいかわからない。失うことを恐れているはずなのに、いっそこの手で……と何度も何度も思っては、その感情を押し殺してきた。でももう限界なんだ。このままじゃいつか、僕は本当に彼女を殺してしまうかもしれない」

「……だから旅をやめるのか?オルシアとどっかで一緒に暮らすつもりなのか?」

「……ちがうよ。オルシアは、君が連れて行け、ミルドレーン」

「な……だって、お前……」

「僕じゃ、守れないんだ。僕には、永遠を背負えない」

カスミーロスは言った。

「彼女の前で、自分一人が老いていく……愛する人の前で、僕自身が別れまでの時を体に刻み見せ付けてゆく……そんなことは耐えられない。彼女が苦しむと分かっているのに……それを目の当たりにしながら、それでも一緒にいられる勇気なんてない。僕はきっと気がふれてしまう。そしていつか自分勝手にオルシアを傷つけてしまうだろう。僕は、弱い男だ……」 

「でも、お前はオルシアのこと好きなんだろ?それなら……それだけでいいじゃねーか。一時でも、精一杯、最期まで愛しぬいて……それで足りないなんてこと、絶対にないはずだ。違うか!?」

 普通なら、こんな風にライバルを励ます馬鹿もいないだろう。だがオレは、できればカスミーロスのその恋を応援してやりたかった。オルシアは譲れない……そう思っていても、カスミーロスからオルシアを引き離してしまうことが、オレにはどうしてもできなかったのだ。オルシアを欲しいと思う心と、カスミーロスを応援したい心……両方をかなえられるはずなどないことは百も承知だったが、オレはどちらも真剣だった。馬鹿なことをいえば、オルシアが何かの拍子に二人になったりしやしないかと願ったことさえあったくらいだ。

 だが、やはりそんな都合のよい奇跡など起こりはしない。

 だから今までオレたちは互いにオルシアを思いながらも、積極的な行動に移ることのないまま、不自然なバランスを保ってきたのだ。

 先に耐えられなくなたカスミーロスのほうが、もしかしたらオレなんかよりずっとまともなのかもしれない。そしてオレは、いつかカスミーロスがこうして先に身を引いてくれることを、心のどこかで願っていたのかもしれない。

「君は強い男だな。僕は君のそんなところがいつも羨ましかった……。君の言うとおりだ。分かってる……分かっているけど、自信がないんだ。僕は勇気のない男なんだ。精一杯、彼女に楽しい思い出を作ってやらなければいけないそのときに、僕はきっと悲嘆に暮れてばかりいるだろう。置き去りにされるのは彼女なのに……そんな彼女の前で笑ってあげられる自信がない。大丈夫だよと……そう言ってあげられる力がない。僕にできるのはせいぜい心中がいいところさ。だから僕じゃ駄目なんだ。これ以上……彼女を縛る資格が僕にはないんだ」

「でも……くやしいがオルシアは、お前のことが好きなんだぞ」

 オレがそういうと、カスミーロスは辛そうに笑って言った。

「彼女は子供なんだ。夢を見ようとしているだけだよ。僕が彼女を塔から連れ出したから、僕のことを運命の王子様だと思っているんだよ。……でもじきに、本当に自分にとって必要な男が誰なのか分かるときが来る。今僕を選んでついてきても、いつか必ず彼女は君を思い出して泣くだろう」

「……」

「あの日、もし君に出会ってなかったら、こんなに悩む間もなくとっくにオルシアを自分のものにしていたかもしれない。いや、きっと無理矢理にでもそうしていただろう。でも、彼女はお前を見つけた。多分そこからもう未来は決まっていたんだ……。君は本当にいい男だよ、ミルドレーン。彼女に必要なのは君みたいな男なんだ……だから、僕はもう身を引くことにするよ」

「そうか……。本当なら、オレとしてはありがたい言葉のはずなんだが……なんとも言えない気分だな。矛盾しているとはわかってるけど、できることなら……オレはお前にもオルシアと幸せになって欲しかったんだ。彼女は一人しかいないのにさ」

 オレがそういうと、カスミーロスは少し寂しそうに、しかしどこかほっとしたような顔をして言った。

「僕には、僕にふさわしい女性がいる。優しくて、温かくて……でも強かな、女らしい人さ。彼女とならきっとうまくやっていける。そんな気がするんだ」

「……ユリューサか」

 ほんの最近、仕事の途中にたまたま助けた少女……。

 何処にでもいるようなその少女に、カスミーロスは何を感じたのだろう。

 いや、本当はオレにもわかるような気がする。

 彼女は、オルシアに良く似ている。オルシアがもし普通の女の子として育っていたら……彼女は、ユリューサだったかもしれない。

「逃げているだけかもしれない」

 と、カスミーロスは言った。

「……ああ、そうだろうな」

 と、オレは答えた。

「でも、彼女なら……きっとお前が欲しかったもの、くれると思うぜ」

「……僕の欲しいもの?」

「その時がくれば分かるさ」

 カスミーロスはきょとんとしていたが、それは彼自身が気が付くときまで、言わないでいたほうがいいだろう。

 平凡な、一見どこにでもいるような普通の少女。

 だが、彼女のカスミーロスを思う心は本物だろう。

 彼のためにならば死をも喜びに変えてしまえるような……ユリューサは、そういう女だ。

 カスミーロスには、まず愛することよりも愛されることのほうが必要なのかもしれない。そしていつか温かい家庭を築き、子宝に恵まれれば、カスミーロスはきっと自分が何を求めていたのかわかるだろう。

 オレは言った。

「何年後か、また会うときは……お互いきっと幸せになっていような」

「ああ、もちろんだ」

 そう言って互いに微笑み交わし、オレたちは握手を交わした。

 それだけでオレとカスミーロスは、この先もずっと親友でいられるだろう。

 問題はオルシアだ。

 これからどうする……?

 そう、それは最初から心に決めていたことだったはずだ。

 オルシアのことは、俺が全力で守る。

 必ず、幸せにしてみせると……。

 いつかは必ずこのときが来ることを、俺もカスミーロスも、そしてオルシアも知っていたはずだ。

 ユリューサが現れたことで、それがほんの少し早まった。

 ただそれだけのことだ。けれど……なんだか悔しくて、寂しくてたまらないのは何故だろう。

 そう……これはなんでもない子供のころの甘く苦い思い出と同じ。

 オレとあいつは親友で、共通の幼馴染の女の子と3人で、いつも野山を駆け回っていた。

 一緒に秘密基地を作ったり、虫や魚を捕まえたり、大人の足なら大した距離でもなかった隣の町まで、まるで異国に赴くかのように冒険し、今思えば小さな林にすぎない迷いの森に踏み入って、本当に迷子になって大泣きしたあの日々。

 二人とも、幼馴染の女の子のことを綺麗だなと思っていて、

 二人とも、その子のことが好きだったけど、でも何故か、このままずっと3人一緒にいるんだと信じて疑わなかった、幼いオレたち。

 けれど毎年少しずつ大人になっていくにつれて、親友のあいつはオレよりずっと格好よくて、俺達3人は今も大の仲良しだけど、綺麗なあの子が好きなのは、ホントはあいつなんだと気付かされた。

 それと同時に、性別のなかった子供時代は終わって……それでも俺たちはいつまでも仲良しだけど、もう一緒に虫を取ることも、秘密基地を造ることもなくなったし、隣町はただの隣町で、迷いの森は汚い雑木林と化していた。もう、二度とは戻らない、あの幼いころの思い出。

 限りなく自由で、限りなく無知で、今の幸せは永遠に続くものだと信じて疑わなかったあのころ。

 オレたちは……無理やりあのころの幻影を作り出そうとしていたのかもしれない。

 もうとっくに大人なのに……

 もう、子供には戻れないのに。

 オレたちは確かに、この数年のつかの間、あのころの儚い夢の中にいたような気がする。

 そう、大人になってからでも、ふとそのころを思い出して涙ぐむ夜もあった。

 でも、その懐かしい記憶を思い起こすとき、オレはいつも幸せだった。たとえ胸は切なさに痛んでも……その痛みさえ、幸せに思える。それは、そういう思い出だった。

 いつかきっと、今のこの苦しみも幸せな思い出の一つになる。

 もう、二度と戻れない思い出になる。

 誰にも汚すことのできない、オレたちだけの宝物に。



ああ……そうか。

一番変わっちまうことを恐れていたのはオレだったんだな。

綺麗なあの子を手に入れたのは、今度はオレのほうだったけれど……。

どっちも、つらいもんだよな。

「そういえば、オレたちももういい歳なんだよなぁ」

 空を見上げ、そういったオレに、カスミーロスは今まで見た事もないような少年のように明るい笑みを浮かべていった。

「君と一緒にするなよ、僕はまだ20代だ」

「はあ?お前だってもう時間の問題じゃねーか」

「何言ってるんだ、重大な差だよ」

 そんなくだらない言い争いをして、オレたちは星を見上げ、笑いながら泣いた。

 三人で旅をしながら何度も見上げた月。

 それは、今夜も変わらずに、優しくオレたちを照らしていた。


 さようなら。

 もう、二度とは戻らない日々……。


END

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