夢路の果て①
あいつが苦悩しているのは知っていた。
できることなら、何とかしてやりたかった。
それが他の相手なら、オレはどんな道化を演じてでも、あいつのために協力を惜しまなかったことだろう。
人を愛することを知らなかった男。
愛し方も知らない勇者。
そいつが今、やっと見つけた真剣な恋に苦しんでいる。
その愛を手に入れれば、彼はきっとこの世の誰よりも素晴らしい男になるに違いないかった。
だが、自らその愛から遠ざかっていこうとしているこの親友を、オレは止めてやることが出来ない。
何を犠牲にしても、譲れない想いがある。
オレにとっても彼にとっても、つらい決断ではあったけれど……。
それが最上の選択だったと胸を張っていえるように、オレはこの先を生きていかなければならないと思った。
転機は、一人の少女によってもたらされた。
盗賊団に家族を皆殺しにされた不幸な少女は、一人失った家族の墓を守って街で暮らしていくことよりもオレたちとともに危険な旅をすることを選んだ。
オレたちと……というよりは、カスミーロスとと言ったほうが適切だったかもしれない。
少女……ユリューサは、不幸な体験の持ち主にしては、信じられないくらいに純粋で素直で、可憐な花のように笑う、優しい性格の女だった。
喩えるならば天使のような……と、誰しもが思うに違いない。
実際、彼女は、本当に〝善い〟人間だった。裏表もないし、健気で明るいいい娘だ。
ただ、あまりにも普通で、あまりにも純粋に女らしすぎる……それが、オレには不安だった。
まだ幼さの抜けない、夢見がちな少女。心のままに振舞うユリューサは、オルシアによく似ているようにも見えた。
いつのまにか、カスミーロスの横には四六時中ユリューサがいるようになった。
誰の目にも、彼女がカスミーロスに好意を寄せていることは明らかで……オレは、そんな二人を少しつまらなそうに見ているオルシアをどうしてやればいいのかわからず途方にくれた。
「あの女はよくない。さっさとどこかの町で分かれて、また三人で冒険を続けるべきだ」
オレの言葉に、カスミーロスも何か思うことがあったのだろう。
可憐な花のような少女は、別れを切り出したとき泣いてカスミーロスにすがりついた。置いていかれては生きていけないという女を、連れて行こうといったのは意外なことにオルシアだった。
「そんなに一緒に来たいなら別にいいんじゃない?可哀想だろ」
こういったオルシアの言葉は、多分他意の無い純粋な気持ちだっただろう。
オルシアは、カスミーロスを想っている自分の気持ちに全く気がついてはいない。いや、もしかしたら気付いているのかもしれないが、彼女は無意識のうちにその心を封じ込め、気付いていない……と自己暗示をかけているだろう。そう、永遠に続くかと思われた孤独から自分を守るために身に付いてしまった、悲しい精神防御能力のために。
だが、それもそろそろ限界のようだ。このごろは、オルシアはカスミーロスといるよりも俺と一緒にいることを選ぶ。ユリューサが彼のそばにいるのを見ると自分でもよくわからない嫌な気分になってとてもつらく、どうしたらいいかわからない……と、相談を持ちかけてきたりもするようになった。
一方カスミーロスはといえば、オルシアのことはすっかりオレに預け、ユリューサをそばに置いておくことが多くなった。そうしながらも真夜中皆が寝し静まったころ、ふと起きだして寂しげに窓の外を眺めては、時折安らかな寝息を当てているオルシアの顔に掛かる髪を、ひどくせつなそうな表情をしながら優しく撫で付けていたりするのもオレは知っていた。
だが、それほどまで深く彼女のことを思っているにもかかわらず、カスミーロスは、オルシアを思う自分の心から逃れようとしているようだった。想いが深すぎるがゆえに……彼女を変えてしまうことをひどく恐れている。そんなカスミーロスの心がオレには痛いほどわかったが、しかし同じ相手にほれてしまったオレにしてやれることなど、悔しいくらいに何もなかった。
オルシアはあまりにも子供過ぎる。
何も知らず、何も恐れず――たとえそれが彼女の真実ではないにしても――それ故に鉄壁の防御を持っている。
だがそれは本当は脆い殻のような壁なのだ。いずれは彼女自身耐え切れなくなって崩壊していくものだろう。だが、カスミーロスにはそれを打ち破ることが出来ない。殻を破られたオルシアが、まるで自分の知らない生き物に変わってしまうとでも言うように、彼はそれを恐れているのだ。
確かに、もしかしたらそうすることによってカスミーロスの愛するオルシアはある意味消えてしまうのかもしれない。
子供の頃、人として当然与えられるべきはずの愛情に恵まれなかったカスミーロスは、勇者だ英雄だともてはやされるようになっても、心の一部をどこか凍りつかせたままだった。心優しい英雄でありながら、時にあまりにも冷酷に人を殺す。誰にでも公平に優しいのに、本当は誰も愛せない孤独な男……。
子供でいることを辞めてしまった子供は、剣を握ることで強さを得ようとした。
誰も愛さないことで、愛されない慟哭から壊れそうな心を守ろうとした。
人を殺すことで、生きる意味を見出そうとした。
オルシアに出会う前のカスミーロスならば、人を殺す時と同じあの冷たい瞳で、自分さえ殺すことが出来ただろう。
それは人の心を壊した者だけが持つ、人を超えた絶対の強さだったのかもしれない。
そして早熟な少年は、自分が失ったものを持ちつづけたまま大人になった少女を守ろうとした。
そう、まるで宝物のように……常に傍において、傷一つつかぬようにそっとそっと愛してきた。
だが愛すれば愛するほど、卵が鳥へ変化するように少女は大人になってしまう。
子供のままの心をもった女性を愛したのに……手に入れてしまえば彼女はもう子供ではなくなってしまう。
その想いはあまりにもせつなく、虚しい……と、俺は思う。
心が裂けてしまいそうなほどの想い……しかし、それは本当に彼女を愛していることになるのだろうか?オルシアは、オルシアだ。その本質は、誰の手でも変えられるものではない。
カスミーロスが欲しているのは、失った己の一部。
もう決して戻っては来ない子供の時代。
壊れてしまった、無邪気な心。
得ることが出来なかった……もう一人の平凡な自分。
そう、それはただオルシアという象徴に向けられた自己愛に他ならないのだ。
彼がオルシアを想う心が深ければ深いほど、オレは彼の背負ってきた心の傷の深さを想わずにはいられなかった。
オルシアを手にすれば……カスミーロスはおそらく戦士としての力を失うだろう。あまりにも危うい虚勢の上に作られた……それゆえに神掛かって見えた彼の力は、彼が人として完成してしまえば、脆く崩れ去ってゆくに違いない。しかし、彼はそれと同時に人間として最高の強さを得ることができるだろう。それは他人には弱さにしか見えなくても……カスミーロスの心は、もう誰にも傷つけられることはなくなるはずだ。
オレはカスミーロスのことが好きだ。多少歪んだところがあるにしろ、彼は勇者と呼ぶにふさわしい本質を持っている。その剣を悪の為に使ったことは一度も見たことがないし、弱者を命がけで守る勇気をもっている。戦士としての力は心から尊敬しているし、この男になら生涯ついていってもいい、もし彼が何か絶体絶命のピンチにでも陥ったら、そのときは命をかけてもいいとさえと思っていた。
彼に必要なその相手がオルシアでなければ……オレは喜んで力を貸しただろう。
いや、相手がオルシアでも……カスミーロスがすべてを捨てて本気でオルシアを手に入れようとしたならば、そしてオルシアがその思いを受け入れるならば、オレはきっと二人の邪魔をすることは出来なかったに違いない。
そうした危ういバランスを保ったまま、オレたちは三年という長い間ともに旅をした。
今思えばそれは一瞬の時だったような気がする。
「オルシアさんって、本当は女性なんですって?」
ある日、オレはユリューサがオルシアにそう話を切り出したのを偶然耳にしてしまった。
カスミーロスはギルドに、俺はちょうど買出しに行っていて、宿にはオルシアとユリューサだけが残っていたのだ。
立ち聞きしては悪いとは思ったが、オレは部屋のドアを開けるのをためらった。
「驚いたわ。どうしてわざわざ魔法で男になんてなっているの?いえ、理由はカスミーロスに聞いたけれど……」
「じゃあ、カスミ-ロスが言ったとおりのはずだけど?」
少しぶっきらぼうなオルシアの声。すねた子供のような口調に、オレは何故か胸が締め付けられるような思いがした。
「彼と出会ってからは、ずっと男のままで?」
「うん、完全に意識が無くなったときとか以外はね」
「でも、もういっしょに旅をして三年も経つんでしょう?好きな人の前で、三年も自分が女であることを忘れていられるものなのかしらと思って」
「どういう意味……?」
「あ、それとも、あなたもカスミーロスのことが好きなんじゃないかと思ったのは私の勘違いなのかしら。だとしたらごめんなさい、余計なことを聞いてしまったわ」
ユリューサの言葉には、きっと悪気は無いのだろう。
しかし、この言葉はきっと、オルシアの意識に何か大きな打撃を与えたのに違いない。
「もしあなたもカスミーロスが好きなら、私、どうしようかと思っていたの。でも安心したわ。私、あなたと喧嘩なんてしたくなかったもの……」
「はあ?俺だってカスミーロスのこと大好きだよ。だって、カスミーロスは俺たちの大事な仲間じゃん。好きで当然だろ?何でそれで喧嘩になるんだよ」
「まあ……いやねえオルシア、そういう好きなら、私だってあなたのこともミルドレーンのことも大好きよ。わかるでしょ?私、カスミーロスを愛しているの。あなたもそうなら、ライバルになっちゃうじゃない」
「カスミーロスを……愛して、る?」
オレは勢いよく部屋のドアを開けた。
本当ならば、もっと早く開けるべきだったかも知れない。
振り返って花のように微笑んだユリューサの横で、オルシアは酷く驚いたようにしばらく呆然とオレを見ていた。
「あ…ああ、ミド、お帰り」
「お前が欲しがってた瓶詰めのキャンディー買って来たぜ」
「うん……ありがとう」
可愛いリボンのついた小さなビンを渡しても、オルシアはどこか上の空の様子だった。
「私には何も無いのかしら……?」
無邪気なユリューサの笑顔が、オレには憎らしくさえあった。
「あんたはカスミーロスに買ってもらいな」
オレがそういうと、ユリューサは軽く肩をすくめて部屋を出て行った。オレがオルシアに惚れていることくらい、言わなくてもこの女なら分かるだろう。
「ミド……」
オルシアの声が、微かに震える。
「俺、何がなんだかわからないよ。なんだか、彼女のことがだんだん嫌いになってくみたいなのに……どう考えたって彼女にイヤなところなんて見つからないんだ」
「……」
「頭が混乱する。何なんだろう?昨日まであった自信が、一体何だったのかも……全然、わからないんだ」
オレは小さなビンを手のひらに載せたまま、今にも泣き出しそうな目をしているオルシアの頭を軽く撫で、そっと胸に抱き寄せた。
「お前はお前だよ。そうだろ?男の姿してたって、お前が女だってことは……それも特別にいい女だってことは、オレもカスミーロスもちゃんとわかってるよ」
「……俺は心が醜いのかな?」
「バァカ、何言ってるんだ。俺はお前ほど心の綺麗なやつ、他に見たことないぜ?」
「そうかな……?」
「じゃなきゃ、こうして一緒にいたりするかよ」
「そうか……ありがとう」
オルシアが泣いているのを見たのは、初めてというわけではなかった。彼女はよく悪夢に魘されたり、酔って急に泣き出したりすることがあったから。
しかし、夢や酔いから覚めれば、オルシアはいつも気丈で誰よりも強く輝いて見えた。
それが……今はこんなにも弱く見える。
だが、これもオルシアだ。
いや……オルシアはもともとこういう女だ。
無知な子供の無邪気さを持つことで孤独に耐えようとした……一人の強く弱い女だ。
初めから……
そう、初めから、一番夢を見たがっていたのはきっとこのオルシアだったに違いない。
果たして残酷だったのは、子供だったオルシアなのか、それとも彼女を子供のままに留めておこうとしたオレたちだったのか。
いや、オルシアは最初から、子供なんかじゃなかった。
オレはそれをわかっていたはずなのに、ずっと彼女を苦しめていた。
このあまりにも危うく脆い、甘美な日々を守りたいがために……オレたちはもうとっくに大人なのに、できるだけ長く、それを忘れていたいと思っていただけだったんだ。




