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WITH THE WIND  作者: レエ
本編
24/66

飛翔

 森を抜けた湖畔の、淡い緑の野原で、オレたちは休息していた。

 オルシアは、木陰になっている草の上に仰向けに転んで眠っている。しかも、左手を胸の上に、右手は地面に投げ出しっぱなしという、あまりにもリラックスした体制だ。第一、普通寝顔を見られないように気を使うものじゃないだろうか。そう、オルシアの向こう側で、背を向けているカスミーロスのように。

 カスミーロスはまさか熟睡しているということは無いだろうが、オルシアといえば完全に夢のなかのようだった。

 まったく、こいつには警戒心というものがないのだろうか。時折何か幸せそうに微笑んでいる。どうやら、いい夢をみているらしい。

 胸の上に投げ出されている、白く、少し先の尖った指の節に、ふとヒラヒラと何かが舞い降りてきた。

 静かに開閉させている大きな黒い羽根には、鮮やかな紅の模様が入っている。それは珍しい、見たことのない蝶だった。

 オルシアは、目を覚まさない。

 蝶も休みに来たのだろう。美しい羽根を時折閉じたり開いたりしている以外、飛び立とうとする気配も無かった。

 まるでアクセサリーみたいだな。

 そう考えた俺は、ふと昔母に聞いた話を思い出した。     



 蝶々は、宝石が命と翼を持ったものなのよ。

 とてもとてもすばらしい奇跡なの。

 だから……自由に飛ばせておいてあげましょうね。


 その美しい蝶が初めはみな醜い芋虫なのだと知った時はちょっとしたショックをうけたが、それを確かめたくてはじめて蝶の羽化を見たときは、心の底から感動した。

 オレの母は、優しく暖かく……そして強い女性だった。父は無口な男だったが、多くを語らなくても彼がいかに家族思いで、頼るに足る男であったかは、その平凡だが幸せだった家族の記憶が証明してくれている。

 オレは辺境の小さな農村の若夫婦の家の一人息子だった。決して裕福ではなかったが、食うに困ったことは無く、ひたすら伸び伸びと雄大な自然の中で育った。近所には同い年くらいの子供が大勢いて、一緒に野原を駆け回りながら泥だらけになって遊んだものだ。

 大人になったら、オレは父のような農夫になり、近所の女の子の誰かを妻にして、平凡な毎日を生きていくのだと思っていた。 

 取るに足らない小さな村は、ある日突然国がはじめた戦争に巻き込まれ、何もわからぬまま敵軍の兵に踏み荒らされ、打ち壊され……何もかも奪われて滅びてしまった。

 父も、母も、友も……好きだった近所の女の子もみんな死んで、何故オレはそれでも生きていこうと思ったのだろう。

 結局はオレも人を殺し……

 誰かの大切なものを、奪ってきたのかもしれないのに。

 


 傭兵時代、好きになった女がいた。

 二つ年上の、美しい金色の髪の少女。

 彼女はオレと同じようにして両親を失い、オレと同じように傭兵団に拾われた孤児だった。

 真珠のような白い肌。

 魅惑的なアッシュブルーの瞳の、冷酷な輝き。

 どこか冷ややかな心で、しかし彼女はいつも子供のようにころころと良く笑っていた。

 寂しさを笑い飛ばそうとでもするかのように。

 寂しがっている自分の心を、嘲笑っているかのように……。

「私が団長と寝たのがそんなに気に入らない?」

 真っ直ぐに腰まで伸びた金色の髪を梳きながら、ある日彼女はそう言った。

「フフ……ッ、純情なのねミルドレーン。まあ、そこがあんたのいいところだけど、私のことは放っておいてちょうだい。確かに私はあんたと寝たけど、それはあんたに限ったことじゃないのよ」

「……」

 オレが黙っていると、彼女……レイラは、少し高い調子でオレを笑い飛ばした。

「ア…ハハハハ!軽蔑してるの?!ま、それも仕方が無いわね。私は娼婦みたいなものだもの、まじめなあんたには気に入らないでしょうね」

 ひとしきり笑っておいて、レイラは綺麗な細工のあるそのブラシをオレに向かって投げつけた。

「フッフ……変な顔。相当お気に召さなかったみたいね。私が哀れかしら?汚いと思ってる?……でも、あんたたち男に女を蔑む資格なんてあるの?私は男みたいな腕力は無いし、剣だって特別才能があるわけじゃない。身を売るくらいなら誇りを持って死ねというかもしれないけど、そんなのって本当に誇りと言えるのかしら?生きることと戦いもしないで、何が誇りよ。私は何が何でも生きてやるわ。ボロ布みたいに死んでいくのは嫌なの。あんただってたくさん見たでしょう?死んでしまったら私たちはもう人間じゃない、ただの〝モノ〟なのよ。男に身を任せるのが誇りを捨てること?いいえ、私のような女から言わせてもらえば、ちょっとしたことですぐに生きることを放棄して、自分の弱さが招いた死を精一杯美化しようと必死になってる男たちのほうが、よっぽど哀れな生き物だわ」

「……」

「私は私を生かすために、できることはなんでもするわ。女の胸が無ければほんのちょっとの間もいい子に寝ていられない男どもに、女の強さなんてわかりやしないのよ」

「……」

「私は人間よ、必死に生きて何が悪いの?!私は人殺しになりたいわけでも、娼婦になりたいわけでもない。ただひたすら生きているだけよ。私は死ぬのが怖いわ。どんなに綺麗な言葉で飾ったて、死んだらそこには抜け殻が残り、腐り果てていくだけじゃない。私はあんなものになるのはイヤ。私は生きたいの。生きて幸せになるのよ。絶対なってみせるわ。だから、私の生き方には口出しをしないで」

 レイラはまくし立てるようにそういって、それから泣き出しそうになった顔をそむけた。

「私、あんたのこと好きよ。あんた、一番強い男だもの。腕力とか、そういうくだらない力のことじゃないわよ?そうじゃなくて……」

「……レイラ、オレが悪かったよ」

 オレはそういって、震える彼女の背中から目をそらした。

 このときのオレはまだホンの子供で……2つ年上の、けれどずっと年上にも感じられるような大人のレイラに、何もかけてやるべき言葉が思いつかなかったのだ。

「でもレイラ、無理はしないでくれ。お節介かもしれないけれど……オレは君が無茶をしてると思ったら、殺されたって君を止める」

 精一杯の言葉を口にすると、レイラはまるで吐息をつくかのようにふっと笑った。

「……優しいわね、ミルドレーン」

「……」

「私、あんたのそういう優しいところ、大好きよ……」

 本当よ。

 そういって、差し伸べられた手。

 縋るようにオレを抱きしめた彼女の弱さを、もっと理解してやれればよかった。

  


 レイラはオレが20歳のとき、22歳で死んだ。

 オレは戦場で負傷したレイラを背負って、必死に森の中をさまよった。あれほどレイラを必要としていた仲間の男たちは、誰一人オレたちを捜しに戻ってくることは無かった。

「あたし、死ぬのかしら?」

 傷は深く、熱を持ち、夜になる頃にはレイラはもう駄目だった。

「ふふっ……無様ね」

「レイラ……」

「でも、慰めてなんかくれなくていいのよ。私は私のやりたいように生きてきたんだから、どんな結果だって満足なのよ。……それに、あんたがこうして傍で泣いてくれるしね」

 そういってレイラは一見冷ややかに見える美しい顔に似つかわしくないほど、めいっぱい破顔した。

「ねえ、もっと泣いて。みっともないくらい悲しんでみせて。嘘でもいいから、私を忘れないと言ってちょうだい。私がいなければ、生きていけないと言って……ああ、やっぱり駄目よ、あんたのそんな弱音、聞きたくないわ」

「レイラ……死なないでくれ」

 オレは言った。

「死なないでくれ、頼む」

「ふふっ、残念だけど、そのお願いは聞いてあげられそうもないわ…ね」

 こんなときでも、レイラは笑っている。

 オレにはその笑顔が、酷く破滅的なものに見えた。

「私、ちょっと失敗したなと思ってるの」

 少しトーンの落ちた小さな声でレイラは言った。

「こんなことなら、さっさとあんたと二人でどこかに逃げてしまえばよかったわ。どうして私、他の生き方を思いつかなかったのかしらね。本当に馬鹿だったわ……」

「これからでも、二人で逃げればいいじゃないか」

「……馬鹿ね、ミルドレーン。現実は、どんなに目をそむけたってどっかにいってくれたりなんかしないのよ。睨み返して……踏みつけて、乗り越えていくしかないのよ」

 レイラの微笑みは、悲痛だったが穏やかで、オレはそんな彼女を心から美しいと思った。

 レイラは生き抜いて死んでゆく。

 それは彼女が嫌った不本意な戦場の死ではあったけれど……彼女はこれで納得しているのだ。それは、もしかしたらただの強がりだったかもしれないけれど。

「今度好きになる人は、私よりもいい女にしてね。ああ、別に女じゃなくたっていいわ。とにかく、私より素敵な人に出会ったら……そしたら、私のことは忘れてちょうだい。比べられて、負けるのはイヤなの」

 レイラはそういい残し、夜が開ける前に死んだ。

 あれほど死ぬことを嫌がっていたのに、彼女の死に顔は安らかだった。

 おそらく、彼女と出会ってから見てきた表情の中で、一番……。

 オレは彼女の遺体を若い樹の根元深くに埋め、近くに咲いていた名もない花を手向けて、先へ行ってしまった仲間たちを追った。

 何故、このときまだそこに戻ろうとしたのか、今の俺にはわからない。

 ただ、レイラにとってもおそらく同じだっただろうが、親も友も、全てを無くして飛び込んだその場所は、たとえ不毛な戦場であろうとも、簡単には離れがたい拠り所ではあったのだ。

   


 結局数年後にこっそりとそこを抜け出して、オレは何年か一人でふらふらと彷徨ったあと、オルシアとカスミーロスに出会い、共に旅をすることになった。

 世界に名高きギルドの勇者カスミーロスと、美しい、奇跡の魔女オルシア。

 あまりにも非現実的な世界に住んでいるように見えたその二人が、オレと同じように、もしかしたらオレよりも深いかもしれない悲しみと傷を背負って、それでもなお、あまりに輝かしい生を生きている。

 最初は、世にも稀な美貌を持った、子供みたいな性格の魔術師が気になっただけだった。

 勇者の仕事っぷりというものを、この目で見てみたいという気持ちもあっただろう。

 だが、それだけだった。

 飽きたらすぐに別れればいいし、少なくともこんな風に……這ってでもついていきたいと願うほど、彼らに心惹かれることになるとは夢にも思わなかった。

 生きるということは、一人では耐えられない重荷になることもある。

 オレたちはそれぞれに弱さを抱え……だからこそそれを互いに補い合えた。

 彼らに出会うために、生きてきたのではないかと……そんな馬鹿げたことをオレは真剣に考える。

 オルシアの指に留まった蝶。

 オレたちよりも、ずっとずっと短い生を生きる美しいものの命を、母はきっと、オレに摘み取らせたくなかったのだろう。


 蝶々は、宝石が命と翼を持ったものなのよ。

 とてもとてもすばらしい奇跡なの。

 だから……自由に飛ばせておいてあげましょうね。

 

 奇跡……。

 それならば、オレたちがここにこうして生きていることも……みんな素晴らしい奇跡の賜物に違いない。

 ふと、柔らかな風が吹いた。

 オルシアの指先から、蝶が揺らめくように飛び立つ。

「綺麗な蝶々だな」

 いつのまに目を覚ましたのか、寝転んだまま呟くようにオルシアが言った。

 もしかしたら初めから、蝶が飛び立たないようにじっと眠ったふりをしていたのかもしれない。

「そろそろ出発する?」 

 こちらも寝転んだまま、カスミーロスがいう。

「ん……なんか、もうちょっと、のんびりしてたいなぁ」

「オレも」

「そうか。それはちょうど良かった。僕ももう少しだけ、このまま……」

 そうしてオレたちはしばらくの間、ボーっと青い空を見上げていた。

 ふと、眩しくきらめく陽光の中に、蝶はいつのまにかどこかへと姿を消していた。



  END

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