ある戦士の死②
ジャワマコート。Aランクの戦士。
彼に出会ったのはおよそ10年前……僕がまだ駆け出しの冒険者だったころである。
当時の僕は、剣一つでの仕上がっていくこのギルドの仕事に何にも変えがたい魅力を感じていた。ちょうど、思いのほか順調に進む仕事にいつのまにか自分の力を過信し、奢り始めていたころだっただろう。
新米の若造だった僕は、自分の力に酔いしれ、おろかにも分不相応な仕事を一つ引き受けてしまった。おそらくは、こうして若い冒険者はみな命を散らしてゆくのだろう。その点、僕は本当に運がよかったとしか言いようがない。
僕が敵に回したその相手は、中の上あたりのランクに属する魔物だった。その姿は熊に似て、凶暴で鋭いつめと牙を持ち、四足で歩く獣である。大して実戦もこなしていないひよっこの僕には、明らかに無謀すぎる敵であった。
僕は持ち前の身軽さと、得意の剣のおかげで何とか持ちこたえてはいたものの、明らかに勝負は劣勢。このままでは殺されると、初めて逃走を決意した。
そのまま逃げ切ってしまえば良かったかもしれない。
いったん逃げ切れた……それだけでも幸いなことだったのに、安全な場所に逃れたとたん恐怖もどこかに消えてしまった僕は、無謀にもこう考えた。
身を隠しながら、体制を立て直し奇襲すれば……僕は敗残者にならなくてすむかもしれない。
任務に失敗して笑われるのはどうしても嫌だった。それは、子供の持つおろかなプライド……。
僕は再び魔物に立ち向かい、そして再び逃げ出そうとしたときには、もう完全に逃げられない状況になっていた。
どんなにうまく身を隠したと思っても、魔物は確実に僕を追ってくる。それが何故なのかわからずに、僕は無意味な反撃を繰り返しつつ、何とか敵の攻撃をかわそうと必死になっていた。
しかし、いかに持久力に恵まれていたとしても、いつかは必ず限界が来る。追い詰められ、もうだめだと思った瞬間、頭上から現れた救世主……それが、ジャワマコートだった。
不意をつかれたモンスターは、おそらくジャワマコートの存在に気づくまもなく、鋭いレイピアに脳天を突き刺され絶命していた。
痙攣し血しぶきを上げるモンスターの死体から、返り血も気にせずに剣を抜き、流れるような動作で首を落とし止めを指す。僕はその様子を、地面にへたり込んだままただ呆然と眺めていた。
「大丈夫?」
男の声に、僕ははっと我に返る。一撃でモンスターをしとめた男は、しかし戦士というにはあまりにも優しげだった。
「ごめんね。獲物、横取りしちゃった」
「……」
「余計なことかなと思ったけど……やっぱり余計なことだったかな」
「……いえ、とんでもありません」
僕は、カラカラになった喉から、何とか声を振り絞っていった。
「助けてくださってありがとうございます」
「いやそんな、お礼なんて」
男は照れくさそうに笑って、それから名をジャワマコートと名乗った。
「私は、カスミーロスといいます」
「へえ……君も冒険者?その辺の村人には見えないみたいだけど。……あ、気に触ったらごめん」
「いえ……まだ駆け出しですから」
冒険者にしては弱い。そう言外に言い放った男に、しかし僕は嫌な気は抱かなかった。
「貴方のお名前には聞き覚えがあります。ギルドの方ですね?」
「というと、君も?」
「はい」
「なるほど。……うん、気に入った。どうかな、君の獲物を横取りしてしまった代わりといってはなんだけど、僕の仕事を手伝ってみる気はない?勿論、報酬は山分けってことで」
「え?いいんですか……?あなたの仕事振りを間近で見られるなら、こちらが金を払ってでもお願いしたいところです。わけまえなどいりません、ぜひ同行させてください」
そうして僕は、ジャワマコートの仕事についていくことにした。
彼の請け負った仕事というのは、そこからさほど遠くはない川と湖に住み着いたという魔物を倒すことだった。
湖に住み着いた魔物の名は、ルサールカという。川や湖などで溺れ死んだ水死者の霊が実体化したものだ。単数ではさほど恐るべきモンスターではないが、彼女──ルサールカには美しい女性の姿をしたものが多い──たちには群れをなす習性がある。なおかつ、水中に逃げ込まれては、倒すのは非常に困難だ。
「花を買っていくよ、カスミーロス」
ジャワマコートは、そういって近くの村の花屋へと寄った。その店で買った美しい花束を持ち、必要な道具をそろえてから、僕たちはその水辺へと向かった。
「カスミーロス、君は、敵に一撃でとどめを刺す自信があるかい?」
「え?」
「殺しは仕事だ。殺したいから殺すわけじゃない」
「……確かにそうですが」
「殺すというのは行為であって、殺したいという感情ではない。ならば余計な感情は省くことだと思わないか?……殺気さえもね」
確かに、そういったジャワマコートは穏やかに微笑するばかりで、冒険者特有の不穏なオーラも、ましてや殺気など微塵も感じられない。
「ルサールカは、もともとは霊体だ。たとえ一時的に肉体を滅ぼしても、またすぐに復活してしまう……それでは、仕事を完了したとはいえない」
「……すると、どうすれば倒すことができると?」
「成仏してもらうしかないね」
「……」
「僕の専門は、本当は魔法のほうなんだ。僕は君の剣に魔法をかけ、霊力を持たせる。それで、彼女らの魂は斬れる。が、重要なのは彼らを切る者の心だ。もともと死んでいるものに殺気をたたきつけては、彼女らに再び死の恐怖を与えるようなもの。しかし、哀れみの感情は知らず知らずのうちに剣の威力を鈍らせる。無心で、確実に……一撃で逝かせてやらなければ、彼女らに安らぎはないんだ」
「……」
「哀れんでやるのは、すべてカタがついてから、だ」
そういってジャワマコートは、手にした花の花弁を一枚つまんだ。
すぐに彼の手を離れ、風に吹き飛ばされていった薄紅の色彩が、僕にはひどく物悲しいものに見えたが、ジャワマコートは相変わらす、穏やかに微笑するばかりだった。
「……このあたりでいいかな」
と、ジャワマコートは湖のほとりの大きな一枚岩の上に腰を下ろした。
今はまだ日が高い。ルサールカたちが活動を始めるのは、黄昏から夜にかけてである。
「さてと、少し寝るかなぁ」
「え?」
驚いた僕の目の前で、ジャワマコートはごろんと岩に寝転ぶと、そのまま眠りについてしまった。
僕は気が気ではなく、湖の水をつついてみたり、剣の素振りなどしてみたりしたが、どうにも落ち着かない。
そうこうするうちに日は次第に暮れてゆき、ルサールカたちが活動し始める時刻となった。
「どうするんです、ジャワマコート」
大あくびをしている青年魔法戦士に、僕は呼びかけた。
「笛を吹こうかな」
「は?」
「沢山見物にきてくれるといいけど」
「あの……剣に霊力を持たせてくれるとか言う話は……」
「ああ、そうそう、それが先だった」
本当にこんなので大丈夫だろうか……と、僕は少し不安になったが、ジャワマコートが僕にはさっぱり分からない呪文を短く唱えると、僕の剣は一瞬青く発光し、そして元に戻った。
「さ、これで大丈夫。僕はルサールカたちを集めるから、剣を振るのは君に任せたよ、カスミーロス」
「はぁ……」
半信半疑ながらも、僕は剣を握り、湖のほうを見つめて構えた。
「無心だよ、カスミーロス。気配を殺すんだ。そうすれば君の剣は神の御手となって死者をあるべき場所へ導くだろう」
ジャワマコートはそういって、小さな銀色の横笛を吹き始めた。
黄昏の湖は、オレンジから不気味な夜の赤紫へと変わってゆく。
まだ少し明るい空に、いくつか星が瞬き始めたころ……。
水面からゆらりと表れた白い裸身は、まるで妖精のようにも見えた。
水のように青い髪は、たおやかな腰を覆うように長く長く伸びている。
〝アアアァァ〟
歌うような嘆きの声は、ジャワマコートの笛の調べにあまりにも良く似合った。
ルサールカは、大抵みな若く麗しい乙女の姿をしている。
この妖美な姿に惑わされ、水に引き込まれた者たちが、また新たなルサールカになるのだ。
中にはちらほらと男や子供の姿をしたルサールカもいるが、彼らもまたたとえようもなく美しい姿をしている。少女や少年の姿をしたルサールカに呼ばれたり、助けを求められたりしたら、たとえ罠だと分かっていても走り寄らずにはおれないだろう。
〝アアァ……〟
ルサールカは、美しいが凶悪な霊だ。いや、苦しみもがきながら溺れ死んだ者に、自らの死を受け入れろというほうが無理な話なのかもしれない。
だが、すでに十数体も上がってきているルサールカたちは、皆一様に悲しげだが穏やかにも見える美しい顔でジャワマコートの笛に聞き惚れている。
彼女たちの心が安らいでいる……このときに、送ってやらずにいつやると言うのか。
僕は剣を構えた。
今は哀れみは必要ない。
これは、やらねばならない一つの儀式なのだ。
静かに一人目のルサールカが倒れる。
しかし、他のルサールカは気づかない……いや、気づいていたとしても、今の彼女らにはどうでもいいことだったのかもしれない。
気が付くと、あたりは静寂に満ちていた。
血も流れず、穏やかに倒れた数十体の死体の山は、やがて解け崩れ、水となって地に吸収されていった。
「任務完了」
と、ジャワマコートがいった。
「見事だったね、カスミーロス。ルサールカたちは、これで残らず成仏できたはずさ」
空にはいつのまにか満月が昇っていた。
青銀色の光を弾く湖面に、ジャワマコートが花束を投げ入れる。
頬を涙が伝っていた。
あたりは限りなく、静かだった。
それから、ジャワマコートと僕ははすぐに分かれ、別々の町へと帰っていった。
数日後に立ち寄ったギルドで、僕は任務の失敗と、ジャワマコートのことを報告しようとしたが、しかし、それはマスターの言葉によってさえぎられた。
「やったなカスミーロス」
「え?」
「ジャワマコートに聞いたぞ、お前はたいしたやつだそうだな。ジャワマコートがお前の仕事をとっちまった換わりに譲られた仕事、見事にこなしたそうじゃないか。ジャワマコートにはお前がやるはずだった仕事の報酬をやった。お前には、ルサールカ退治の報酬を出すよ」
「ちょ、ちょっと待ってください」
僕は慌ててマスターに説明をした。ジャワマコートが剣に霊力をくれたこと、彼の笛が、ルサールカたちの攻撃的意思を奪ったこと……。
しかし、真剣に語った僕を、マスターは豪快に笑い飛ばした。
「ははは!馬鹿正直だな、カスミーロス。そんなんだから、ジャワマコートに担がれるのさ。あいつは確かに剣の腕は超一流だが、魔法のほうはほんのこけおどし程度にしか使えないんだぜ?自分では、魔法剣士なんてかっこいいこといってるけどな。ギルドに長くいるやつなら、みんな知ってることだ」
「……?」
「おおかた、お前をその気にさせるためにちょっと剣を光らせてみただけだろ。それにあいつの持ってる笛だって、そうたいそうな代物じゃない。ましてや特別な魔力なんてないさ。確かに、あいつの笛の腕前は本物だけどな」
「……」
「一流の剣士なら、棒切れみたいななまくらの剣でだって霊体を斬れる。ジャワマコートは、お前の資質を見抜いたんだろ。だから剣の振り方ってものを教えてくれたのさ」
確かに、それまで僕はただがむしゃらに敵を殺すことだけを考えて剣を振り回していた。殺気立った僕の剣は滑らかさを欠き、焦りを呼び……またあからさまな殺気は容易に敵に自分の位置を知らせ、無様に空回りをしていたのだ。
だが、それではいけないのだ。
平静な心と、敵の本質を見抜く目……それがなければ、僕はいつまでも一流にはなれない。
「まだまだ、修行が足りませんでしたね」
僕は言った。
「報酬はいりません。それで、あの湖の傍に小さな慰霊碑を建ててやってください」
僕はそうして、次の仕事へと向かった。
その後、ジャワマコートに出会うことはなかったが、遠く耳にする彼の活躍の話はいつでも僕の心を和ませてくれた。
そう、あの不吉な掲示板を目にすることになる、その日までは。
※続きは4/11(月)AM6:00にUPします。




