碧落③
伯爵は、どうやらカスミーロスをずっとこのまま手元に置いておきたい様子だった。娘の婿候補というのはいきなりすぎるだろうが、カスミーロスはその武勇もさることながら、教養もあり、一応きちんとした家柄の出身である。このまま傍において様子をみても、損はないと思っているのだろう。
一方伯爵令嬢のほうは、すっかりこの勇者が気に入ったらしく、もう既に懐いていた。カスミーロスが何を考えているのかまではわからないが、オレはそろそろここを去るべきだと思い始めていた。
事件が起きたのは、そんな日のことだった。
「勇者様、大変です」
早朝、まだろくに身支度も整っていない時刻に、慌しい様子でやってきた使いの男がそう言った。
この城に来て、四日目のことである。
「何事ですか?」
「先ほど薄汚い男がやってきて、モンスターを倒したのは自分であると、そう申しているのです」
「……」
「そのうえ、お嬢様を報酬として差し出せと主張しております。どうかお助けくださいませ」
「……わかりました。すぐに仕度をします。あなたはそこで待っていてください」
カスミーロスは、穏やかな表情を崩さぬまま使いにそう言った。この穏やかな表情に安堵し、勇気付けられるものも多いだろう。この男も、心底ホッとしたように一礼した。
だが、こういう場面でこの表情を崩さずにいられるのが、カスミーロスの本当に恐ろしいところなのだとオレは思う。
扉を閉め、オレたちを振り返った奴の顔からは、その張り付いたような笑顔は消えていた。
「僕たちの手柄を横取りしようとしているものがいる。これは僕たち三人に対する侮辱だ。たとえどんな理由があろうと……僕は許さない」
カスミーロスのこういう表情を見ることができるのは、オレとオルシア、ただ二人。
だからこそ、オレたちは仲間であると……そう確認できる皮肉。
「急ごう」
カスミーロスの言葉に、オレは頷いた。
こいつがどんな男であろうと、オレたちを仲間と認め、大切に思ってくれている。それ以外、他に望むことは何もないはずだ。
「そいつを何とかしたら、もうこんなところからはオサラバして、次の仕事を見つけようぜ。……なあ、オルシア」
「ああ、俺もそろそろ退屈してきたところだ。やっぱり、三人で一緒に冒険してる時が一番楽しいね」
そう言って無邪気に笑うオルシアに、カスミーロスはふと微笑みかけた。
他の誰に向けるものとも違う、哀しいほどに優しい微笑み。
こんなふうに笑える男はそうそういない。
それは確かに、孤独な勇者の微笑みだった。
俺たちの手柄を横取りに現れたその男は、大柄で粗雑な、下品な雰囲気の男だった。この荒れくれの冒険者は、ご丁寧にも証拠の品だとかいって、カスミーロスが叩き斬ったあのモンスターの首まで持参してきたのだ。
「そんな見るからに数日前に殺されたモンスターの頭など持ってきて、何が証拠だというのですか?」
咽るような腐臭を放つ蛆の湧いた獣の頭部を、しかしカスミーロスは相変わらず静かな瞳で見つめて言った。
「それにその致命傷、あなたの持っているその大剣では、相手の頭蓋骨はもっと激しく粉砕されているでしょう」
穏やかな口調は、こういう相手の神経を逆なでする。案の定男は逆上し、そして自ら墓穴を掘った。
「我々と勝負がしたい?では、勝った方が真の功労者だと……そういうことでよろしいのですね?いいでしょう。ただ、一対三では周囲の目には明らかにこちらが有利ですからね。あなたの相手は、私が勤めましょう。ただし……容赦はしません。命を落としても怨まないように」
限りなく優雅な物言い。
こんなふうに言われては、誰だってあとには引けないだろう。
「庭を汚すことになってもよろしいですか?」
カスミーロスの問いに、伯爵が頷く。
「……では、勝負は外でつけましょうか」
そう言って、カスミーロスは身を翻し、男に背を向けて先だって歩き始めた。
マントが、揺れる。
その一点の曇りもない白さが、かえってオレには恐ろしく思えた。
勝負は、まさに一瞬だった。
少しでも相手に気後れした時点で、男の敗北は決まっていたのだ。
男のなぎ払った大剣をかわし、大地を蹴るカスミーロス。
跳躍した彼の姿は、一瞬背に大きな白い翼を持ったかのように見えるほどだった。
横なぎに振るわれたロングソードが、男の首を跳ね飛ばす。
ご丁寧に胴に蹴りをいれて死体を倒し、返り血を避けたカスミーロスは、剣を鞘に収め、まるで何事もなかったかのように振り返った。
「さすが勇者殿!」
「素敵ですわ勇者様。やはりあのように醜く薄汚い下品な男が、勇者様に挑もうなどというのがそもそもの間違いでしたわね」
勝者への賞賛は、一人の男の死という現実がまるでなかったものであるかのようで、薄ら寒くも感じる。
それでも普通、賛辞を受ける側に立ってしまえば、そんなことは全く気にならないだろう。
だが、カスミーロスは違っていた。
「一つお尋ねしましょう。もしこの男が私よりも容姿に優れ、私よりも身分の高い男だったら?それでも、あなたがたの気持ちは同じでしたか?」
「え……」
「あなたがたは勘違いしている。私は確かに世間では勇者と呼ばれる身。しかしそんな不確かな称号に守られているとはいえ、私もこの男も根本的には同じ、ただの薄汚い冒険者。私はこうして何の躊躇いもなく人を殺すことのできる男……勇者などという称号は、ただの華麗なヴェールに過ぎない。あなたがたには、それがお判りにならないのですか?」
「それでも、カスミーロス様は私たちを助けてくださいました。勇者様には違いありませんわ」
「……果たしてそうでしょうか?ここにあるのは、今私がこの男に勝ったという事実だけ。もしかしたら、この男が言っていたことこそ本当で、私の方が倒してもいない敵を倒したといっていただけかもしれない。そうではありませんか?」
「……」
「あなたがたが見ているのは、私の、この勇者という称号だけ。その証拠に、戦いを共にし、共に敵を打ち倒したはずの仲間たちを……僕の大切な仲間たちを、あなたがたは少しも省みなかった」
「勇……カスミーロス殿」
狼狽したような、伯爵の顔。
今にも泣き出しそうな、伯爵令嬢。
だが……そんなものは、この男の心を動かしはしない。
「我々はこれで失礼しますよ。もう、こんなところはうんざりです。────さ、行こうか、オルシア、ミルドレーン」
……やっぱり、この男には敵わない。
カスミーロスはいい男だ。ついていくに値するだけの価値がある。世に稀な男だ。
「帰りについでにギルドに寄って、次の依頼受けてこようぜ。次はさぁ、安くてもホッとできるような仕事がいいな」
カスミーロスの背を叩いて、オルシアが言う。
「そうしよう」
そう応えたカスミーロスの笑顔は、まるで宝物を見つけた少年のように晴れやかに誇らしく輝いていた。
唖然としている貴族様に背を向けて、オレたちはそのまま一度も振り返らずに城を出た。
その日の町の空は晴れやかで、穏やかな風が、黒白のマントの裾で戯れていた。
END
サブタイトルはなるべく簡潔で短いものをつけるのが好きなのですが、個人的にタイトルと内容がぴったりはまったと感じている、特にお気に入りの作品。




