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理人の様子がおかしくなったのは、その翌日からだった。
無遅刻無欠席であった皆勤の誉れを打ち捨てて昼過ぎに登校した理人は、寝ていないのか顔色も悪く隈も酷い。
平島でさえ心配したほどで、理人は「夜通しゲームをしていて昼夜が逆転した」等と笑っていたが、奏には前日に起きたことが原因なのではと思えて気が気ではなかった。
──私のせいだったらどうしよう。
また、自分が壊してしまうのか。
恐れにも似た思いで遠目から理人を目で追っていると、ふいに視線が交差した。
目が合った理人は何事か確かめるように奏を見つめると、そっと笑って視線を外した。
その日は、気がつくといつの間にか理人は早退していて、奏のロッカーには丁寧に折り畳んだ服が紙袋に入って置かれていた。
その翌日も、理人は遅刻を繰り返した。
やはり酷い顔色でふらりと学校にやって来ると、しばし男子と談笑しながら確かめるような眼差しを奏に向ける。まるで、今日もちゃんと生きていることを確認するような仕草だ。
いくつか授業を受けた後、前日と同じように理人はふい、と姿を消した。
登校時に理人のロッカーに詰めておいた彼の部屋着が入った紙袋は、いつの間にか消えてなくなっていた。
次の日。ついに理人は学校を休んだ。
クラスメイト達はきっと風邪でもひいていたのだろうと噂し合って、前日までの顔色の悪さに原因を見つけたつもりになると、かえって安堵したくらいだった。
そんな中、奏だけが一人、不安に苛まれていた。
理人に何かあったとしたら、それはきっと自分のせいだ。
自責の念に取り憑かれて、奏は身がちぎれるような思いだった。
結局自分は、人を不幸にする。父も、母も、理人でさえ、自分のせいでおかしくなるのだ。
家に帰ると、母が居間のソファでかったるそうにテレビを眺めていた。
洗濯物を畳みかけて嫌になってしまったのか、ハンガーについたままの服が床に放り出されている。
料理も選択も掃除も、本来なら何でもこまごまと良くできる母は、いつの日からかこんな風に全てのことを雑然とこなすようになってしまった。
父がいた頃の溌剌とした少女のような母はどこにもなく、ただ疲れて爛れて降りかかった不幸に怒りを燻らせるような自棄な生き方だ。
自分がいなくなれば、と奏はふと思った。
母を縛る娘という重荷を外したら、彼女は自由になるだろうか。
時々引き攣れた笑いを上げる母の背中をぼんやりと見つめながら、奏は悲しくなった。
「お母さん」
声に出てしまったのは、奏にとっても思いがけないことだった。
聞いているのかいないのか、母は奏を振り返らない。
「お母さん。もし、私がいなくなったらどうする?」
消え入りそうな問いかけは、テレビの中の笑い声にかき消されて母の耳に届いたかどうかわからなかった。
しばらく待っても返事がないので、きっと聞こえなかったのだろうと母から視線を外す。
自室に戻ろうと歩き出した所で、母の声が追って来た。
「あんたがいなくなったら、好きな男でもつくってこんな島から出て行ってやるわよ」
清々するわ、と続けた母に、奏は言葉がなかった。
分かっていたはずなのに、自分は一体何を期待したのか。
来ない未来を切望している、と言った理人の言葉が蘇る。
──分かってる。分かってる、けど。
愛情が欲しいと願うことはそんなにいけないことか。自分を惜しんで欲しいと、願う気持ちは子どもなら当然ではないか。
しっかり傷ついた心に唇噛んでいると、テレビの横に置いてある固定電話が鳴った。
その音をきっかけに、奏は弾かれたようにその場を後にした。
遠くで母の余所行きの声を聞きながら、奏は必死に涙を耐えた。




