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改めて、理人が彼の父に向き合う。
「蒼衣さんは、この島を離れるのがいいと思う。次に僕らが移動する時、一緒に連れては行けませんか」
突拍子もない理人の提案に、奏は涙のまま理人を見た。
──何を言っているんだ、この人は。
他所の家の子どもを、血縁者でもない家族が勝手に連れ回すことなんてできるはずがない。大人になるのを待って自力で島を出る方がずっと現実的に思える。
呆気にとられる奏の前で、理人が更に言った。
「九々重の後ろ盾があれば、無理な話じゃないはずだ。僕は彼女を助けたい」
強く訴える理人を正面から見据えて、彼の父が腕を組んだ。
「それはできない」
はっきりと退けられた言葉に打ちのめされた様子で、理人がたじろぐ。
冷淡にすら聞こえる声色で、理人の父が続けた。
「お前は、なぜ識者が患者に直接手を出すことを戒める不文律があると思っているんだ。あれは識者をその重責から守るためのものじゃない。お前のように九々重の力を乱用する馬鹿が出て来ないようにするためだ」
ふう、と息を吐いて、理人の父が奏に目を向けた。
「九々重という一族は公にされていない分、許されていることが多いのです。常識的には無理だと思われるようなことでも、各所に取り合って実現してしまうことができる。極端な話、理人があなたを無理に誘拐しても、それを正当化して世の中に認めさせてしまうことさえできるのです。そして良くも悪くも、この後ろ盾の使い方は各識者の良識に任されている。運用する側は識者の判断を最優先に動くので、割とどんな無茶でも通ってしまう」
注釈を入れてから、理人の父が息子を見下ろす。
「この未熟者が。感情に任せてとんでもない手段をひねり出しやがって。そんなこと、許されるはずがないだろう」
大体、と目を眇めて父が理人を睨みつけた。
「家族が引き離される辛さを誰よりも知っているお前が、それをするのか」
理人の心が軋む音を聞いた気がした。
理不尽に母を奪われた時期があった理人にとっては、あまりにも辛辣な言葉だ。
それでも理人は父を睨み返して言い放った。
「死にたがるほど傷つけ合う家族なら引き離した方がマシだ」
理人の父が理人の眼差しを受け止める。その横で彼の母がどこか寂しそうな目で少し笑った。
──もう十分だ。
たまらず立ち上がると、全員の目が奏を見上げた。
「帰ります」
涙を拭って、告げる。何事か言いかけた理人に向かって、奏は首を振ってみせた。
「草音くん。ありがとう。本当に」
自分に心を寄せて、真剣に打開策を考えてくれた。そのことが、過ぎるほど嬉しかった。
だけど、と奏は理人の母を気にする。彼女を悲しませるのは心が痛む。
「蒼衣さん」
引き止めようとする理人に奏は肩を竦めてみせた。
「大丈夫。ちゃんと家に帰るから。──死んだりしないよ」
少なくとも理人が島にいる間は、彼のために生きていよう。そう思った。
軽く頭を下げて辞去しようとする奏を見上げて、理人の父が声をかける。
「蒼衣さん。私は大人だから狡い言い方をしますが、お母様と話し合って解決する事はできませんか」
呆れるほど常識的な言葉に、思わず苦笑の声が漏れる。
あなたが大人になって。お母さんの気持ちも考えて。それは母娘にどんな秘め事があるか知りもしない人たちが簡単に奏に放ってきた言葉だ。
同じ言葉を、事情を知った者の口から聞くとは思わなかった。
そんなことが可能なら事態はとっくに好転している。
しかし理解を求める不毛さを知ってもいたので、奏は答えずに居間を出た。
「……理人が成人を迎えた識者だったら危うかったね」
見送りに立ってくれた理人の母が居間の障子を閉める一瞬、ため息まじりの理人の父の声が聞こえた気がした。
理人の母と、服の受け渡しの段取りを確認して、玄関を出る。
たくさん泣いて水にも浸かったせいか、体が疲れて重かった。
夜明け前の一番暗い時間をぼんやりした足取りで家に向かって歩く。
しばらく行った所で後ろから自分を呼ぶ声がした。
「蒼衣さん!」
見ると理人が息を切らせて走って来る。
立ち止まって待っていると、理人が追いついて横に並んだ。
「送るよ」
「……そんなに心配しなくても海に行ったりなんかしないよ」
理人の懸念を指摘したつもりだったが、彼は意外そうな顔で少し笑っただけだった。
それきり、言葉も交わさず二人で黙々と道を歩いた。
波の音を背中に聞きながら、海風に煽られて、家に向かう。その静かな道のりは、まるでいつかの図書室のようで、束の間、奏は不思議な居心地の良さに身を浸した。
「ありがとう。それじゃあ」
自宅に着くと、簡単に礼を述べて理人に背を向ける。
「蒼衣さん」
その背に向かって理人が声をかけた。
「三日、待って」
「え?」
何を言われたのか分からなくて、奏は理人を振り返った。
夜空と同じ色をした理人の瞳が奏を見つめて繰り返す。
「三日、待ってほしい」
「三日って」
その先に何があると言うのか。怪訝に思って眉をひそめる奏に一歩近づいて、理人が誓った。
「君を助ける。必ず」




