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父の言葉に、理人が一瞬、奏を見つめた。
しかし視線が交わるより早く、理人の目が父を捉え直した。
「僕は、蒼衣さんを家からも島からも離すべきだと思う」
理人の父だけでなく、彼の母も、奏も、その発言に驚いて理人を凝視する。
一同の視線を一身に集める中、理人が奏に向かって説明した。
「蒼衣さん。君のその病は涙を耐えるような環境では悪化する一方だ。君は島の人間に秘密が漏れることを恐れて、君のお母さんを追いつめることを恐れて、涙を呑み込み過ぎてしまう。だけどそうまでして傍にいるお母さんは、君の理解者ではないね。君を傷つけることはあっても、君に涙を許して癒したりはしないんだ。それなら島も、母親も、捨てるべきだと僕は思う」
母を捨てる?
経済力も庇護もない子どもに家を出ることを選択する事なんてできない、とか、出た所でどうやって生きていけばいいのか、とか。そんな真っ当な疑問よりもまず、奏はその一言に強い衝撃を受けた。
奏の顔色を見定めるようにして、理人が言う。
「君は、もうそこに何もないと知っていながらお母さんを求めて、愛情を期待して、そうして自分をがんじがらめに縛り付けている。いつか、いつか、って来ない未来を切望して、そのせいで涙を吞み込みすぎた。誰も助けに来なかったと君は言ったけど、誰も手を伸ばすことのできない所へ閉じこもったのは君の方だ。その依存を捨てないと君は自由に泣くこともできない」
「でも」
母を捨てる。不幸にした母を。壊した家族を。私が捨てる。
震え出す肩を理人の手が強く掴んだ。
「蒼衣さん。君が病気になったのは、君のせいじゃないんだ」
脳を打ち抜かれるような言葉に、奏は理人の顔を凝視した。
「でも……でも、私がこんな風にならなければ、家族はずっと幸せだった。お父さんはずっと優しかっただろうし、お母さんもずっと幸せだった。私が」
病気にならなければ。父の言う通りにしていれば。あんな謀をしなければ。
「嫌なことも怖いことも気持ち悪いことも、もっとうまく、もっとちゃんと我慢できれば」
「そうじゃない」
そうじゃないよ、と泣きそうな声で理人が首を振った。
「病気になったのも、君のお父さんが変わってしまったのも、お母さんが君に辛く当たるのも、家族がばらばらになってしまったのも、君のせいじゃない。君は病気になっただけだ。そして自分を守ろうとしただけだ」
言葉を切って、理人が唇を噛んだ。
憤りをやり過ごすように一度目を閉じて、呻くように続ける。
「例え君がどんなきっかけを作ったのだとしても、家族の責任は家族のものだ。誰か一人が背負うものじゃない。それなのに君の傍にいた大人達は、どちらも子どもの君に全ての責任を押し付けて、自分たちはそこから逃げてしまった。僕にはそれが許せない」
肩に理人の指先が食い込む。
その怒りが自分のために生み出されているのだと知って、奏は言葉を失った。
痛がって、悔しがって、君のせいじゃないと言う。
その言葉が、まるで自分を許すような響きを持って体を浸食していくのを奏は感じた。
ふいに理人の黒い瞳が僅かに見開かれる。理人の両親も驚いたように息を呑んだ。
ほと、ほと、と音も立てずに畳の上をジャスミンの花が転がる。
瞬きするごとに溢れる涙をせき止めることができなくて、奏は袖口で目元を拭った。
「我慢しないで。大丈夫。ここに居る人は誰も君の秘密を漏らしたりしない」
拭っても拭っても零れる涙に焦っていると、理人が優しく囁いて奏をなだめた。




