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久しぶりに、ずいぶん長いこと思い切り泣いていたと思う。
奏が泣きじゃくる間、理人の腕は辛抱強く海の中の奏を支え続けていた。
涙も涸れて、声も枯れて、くたびれて弛緩した奏の体を懸命に浜に引き上げたのも理人だ。
長時間水中にいた体は鉛のように鈍っていて、奏は浜辺に這い上がるとそのまま仰向けになって転がった。
月が傾く夜空を、心配そうにこちらを覗き込む理人の顔が遮る。
「君の病を、僕は知っていると思う」
そっと距離を測るような声で理人が言った。
「だから僕に君の話を聞かせてほしい」
とっさに声が出なかったのは、隠すことに慣れてしまったせいだ。
涙も花も全部見られて、今更秘密も何もないのに。自分を語る言葉がなくて奏は困った。
「ゆっくり。あったことを順に話してくれればいいよ」
理人に励まされて、奏は懸命に言葉を紡いだ。
「私は……」
涙が花に変わる。その特異な症状が出始めたのは、母が再婚してからしばらくのことだった。
いつの間にか涙の中に雪のような白いものが混じるようになったのを覚えている。
雪と同じですぐに消えてしまうので、そのことに気がついたのは奏本人だけだった。
この頃家族は一番うまくいっていて、奏の記憶の中では僅かだが最も幸福な期間でもあった。
奏が五歳の時に母が再婚した男は、諦めた野心を体の奥底に燻らせているような、それでも普通に働いて普通に家族を持つことが「まっとう」な生き方なんだと自分に言い聞かせているような、そんな人だった。
その優しさが自分の思い描いた「まっとう」を体現するためのものであっても、母にとって彼は良き夫だったし、奏にとっては良き父だった。
穏やかな日々は、一年と九ヶ月続いた。
しかしやがて涙に混じる雪のようなものがはっきりとした小さな花の形を象るようになると、両親がこれに気づいて全てが狂い始めたのだ。
目に見えて震撼した母に対して、父は異常な興味を示した。
後から知ったのだが、彼は夢破れたジャーナリストのはしくれであった。
島に来た頃には別の仕事に就いていたが、娘に起こった異変を知った彼は、これを千載一隅好機と捉えたのだ。
父は奏に外で泣くことを禁じ、カメラの前で泣くことを要求した。
始めは泣ける映画や物語を呼んで聞かせて涙を誘っていた父のやり方は次第に強引になって、そのうち無理に悲しいことを思い出させたり、辛いことを想像させたりするようになった。
手を変え品を替えて奏を泣かせることに執着する父を見て、母は奏を厭うようになった。
彼の興味を一身に集める奏に嫉妬したのだ。
母は母であるより前に女であり、少女であった。
奏は父が気持ち悪かった。子ども心に父の異常な好奇心と打算を感じたせいかもしれない。
優しくされてもきつく当たられても不安になって、怯えるようにして毎日を過ごした。
家に居る間はずっと父が構えるカメラが奏を追って来る。大きな目玉のようなそのレンズが奏にはたまらなく不気味に思えた。




