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まぼろし病と患者達  作者: 風島ゆう
花患いと竜の禊病
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「私とは違う……」


 あの日、奏に火傷の所以を話した理人に向かって呟いた言葉を繰り返す。


 急激に襲って来た孤独感に身震いして、奏は縋るように学習机にしがみついた。

 立ち上がって、一番上の引き出しを引っ張り出す。文房具の入った小箱の中で、颯太のドッグタグがきらりと光った。


 小箱を取り去ると、机の底に貼付けた一枚の古い写真が姿を現した。

 写っているのは五歳の頃の奏と、若くて美しい母。それからこの頃母と再婚した、父だ。


 晴れた夏の海で父が奏を肩車して笑っている。寄り添う母も柔らかく笑んで、はしゃいだ顔の奏を優しく眺めていた。

 それはこの家で唯一存在する、泣きたくなるほど幸せだった頃の名残だ。


 父が奏ごと母を受入れたことで、母はずいぶん落ち着いた。彼の可愛がる奏にも慈しみに似た眼差しを向けるようになり、奏はそれが嬉しかった。


 それまで縁遠かった家族で行くような場所にも足を運び、家族でするような遊びに興じ、家族にしかない記念日を祝う。

 花火大会、夏祭り、本土の動物園。トランプ、すごろく、誕生日のお祝い。全てが奏にとってはかけがえのない思い出だ。


 心折れそうな時にこの写真を確認するようになったのは、いつの頃からかついてしまった奏の癖だ。


 父が島を去った後、母は半狂乱になりながら父の痕跡を手当たりしだいゴミにしてしまった。

 服も、家具も、写真も、生活用品も。彼が使ったものは全て捨てる徹底ぶりで、それを見た奏は幼心ながらに父は二度と戻らないのだと悟ったのだ。

 この写真は、そんな母の目を盗んでかすめ取った一枚である。


 ──いつか。


 優しく奏を見つめる母の姿に、指先で触れる。


 いつかまた、この頃のような幸せが巡って来るだろうか。こんな風に穏やかな眼差しで、母が自分に笑いかけてくれる日が来るだろうか。


 それは夢のような期待で、だけど捨てられない希望だった。

 月明かりが翳って手元が暗くなる。窓越しに空を見上げると、雲が流れて月を隠す所だった。


「おとうさん」


 過ぎ行く雲に向かって呟く。


「おかあさん」


 雲間に覗く月に向かって呼ぶ。

 思いがけず涙が迫り上がって来て、奏は両手で口元を押さえた。それでも。


 颯太を抱きしめた彼の父。颯太のために泣いた彼の母。息子の盾になる理人の父。強い愛で息子の背中を焼いた理人の母。それに比べて、私たちは──。


 底なしの寂しさに、目眩がする。

 漏れてしまいそうな嗚咽を必死に吞み込んで、奏は瞼に力を入れて目を瞑った。


 泣くな。泣くな。キモチワルイ。


 体を強ばらせて、息を詰めて、涙に耐える。

 そうして全身で涙をやり過ごしているうちに、奏はふと、あることに気がついた。


 理人も理人の父も、颯太の体質を病だと説明した。

 まぼろし病。日本人にしか罹らない、奇病だと。


 稀に現れるその病気は、どれもお伽話のように不思議な症状を見せるという。

 涙で記憶を押し流してしまう颯太。涙が花に変わる奏。そこに類似性はないだろうか。

 自分もまた、まぼろし病に罹っている可能性はないだろうか。もし、自分のこの体質も病気のせいなのだとしたら……。


「対処法」


 ぽつんと呟いた言葉が、蛍光灯が照らす室内に溶けて消えた。


 そうだ、対処法だ。


 まぼろし病には、その症状を軽減させたり、時に完治させたりする方法が発見されているという。それなら自分も治るのではないか。あるいは颯太がまぼろし病の症状から逃れたように、自分にも何か、普通の暮らしを取り戻す方法があるのではないか。


 思いついてしまうと心臓がどきどきと早鐘を打って、奏は苦しさに胸を押さえた。

 例えば自分にも、海に潜るあの対処法が効くのなら。涙がただの涙になるのなら。


 もし、普通の人のように生きることができるなら、母は──。


 その先は、期待するのが怖くて考えるのをやめた。

 出口になるのか、行き止まりになるのか。結果は分からないが試してみたい。

 決意を固めると、奏は引き出しに貼り付けた写真をひっぺがしてスカートのポケットに突っ込んだ。


 一瞬、理人の顔が脳裏に浮かんだが、すぐさま振り払う。

 秘密を守るためには誰にもそれを語らないこと。それは、より確かな情報を持っているかもしれない『識者』相手であっても変わらなかい判断だった。

 


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