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颯太の父が絞り出すような声で続けた。
「こいつはこいつで悩んでた。やっぱり接し方を間違えたんじゃねえかとか、産み方が悪かったんじゃねえかとか。颯太を腹ん中に入れてる間に、自分が何か間違った生活を送ったんじゃねえかって……。そんなこと、あるわけねえのに!」
「あんた」
声を上げた颯太の母は、もう顔中涙だらけだ。
「何年もそうして苦しんで来たんだ。島のやつにも漁港のやつにも妙な噂立てられたり、腫れ物に触るみたいにされたり。颯太は学校にうまく馴染めなくて。あいつも俺たちも、必死に生きて来た。それを今更、そんなお伽話にもならないような戯れ言でひっくり返されてたまるか!」
颯太の父の主張を聞いて、理人は頭を殴られたような衝撃を受けた。
──そんな。それでは、まるで。
「では、あなたが私の話を信じないのは、これまでのご心痛が無駄なことだったかもしれないと思うのが怖いからですか」
理人の感じた憤りをまっすぐにぶつけたのは、なんと父の声だった。
「まぼろし病の存在を信じられないのでも、颯太くんの未来を考えてのことでもなく、あなた達の自己満足のために、私の話を否定するのですか」
「なんだと」
こめかみに青筋を浮かべた颯太の父が、音を立てて立ち上がる。
掴み掛からんばかりの剣幕を前に、理人の父がぴしゃりと言い放った。
「苦しんでいるのはあなた達じゃない」
声を荒げたわけではなかった。睨みつけたわけでもなかった。
それでも父の言葉は、颯太の父の心臓を狙って射落とすような力があった。
静かに、しかし容赦のない口調で父がとどめを刺す。
「苦しんでいるのは颯太くんです。病気の当事者は彼だ。自分たちの苦労と本人の苦しみをはき違えては行けません」
その場にいた誰もが言葉を失くす。息することすら忘れて、理人も父を凝視していた。
ジワジワと蝉が鳴く。扇風機の小さなモーター音が部屋に響く。
時が止まったようなその空間を動かしたのは、幼い子どもの声だった。
「お兄ちゃん」
思いがけず近くで颯太の声を聞いて、理人ははっとした。
見るといつの間にそこにいたのか、颯太が部屋の入り口からこちらを見つめている。
「お兄ちゃん。ぼく、治るの?」
まっすぐに問う颯太の声が、その場に凝った空気を押し流す。
憑き物が落ちたような呆然とした顔で、颯太の父が膝をついた。
ようやく呼吸を始めた人々の息づかいの中で、理人は颯太の手を握った。
颯太が重ねて理人に問う。
「ぼく、病気なの? 病気が治ったら、ハヤテのことを忘れないですむ?」
父は口を挟まなかった。だから理人も、これは自分の役割なのだと思った。
握り込んだ颯太の手のひらは、汗ばんでいるのに緊張で少し冷えている。
「君は治らない」
父に習って、理人ははっきりと颯太に告げた。
颯太の両親の悲鳴に似た呼吸音が耳を打つ。それでも颯太は理人の言葉を待っていた。
こちらの方がずっと肝が据わっている。
畏敬の念を抱きながら、理人は続く言葉を繰り出した。
「だけど君は、ハヤテのことを忘れないでいられる」
鉱石のような真っ黒い颯太の瞳が、濡れたように微かに光った。




