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まぼろし病と患者達  作者: 風島ゆう
雫のみ
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 昔、何度も同じような眼差しを向けられたことを思い出して、理人は胸の奥がちくりと痛むのを感じた。


 救命を虐待と信じた世間の正義と親切心は実に暴力的に理人達家族を引き裂いた。一部のメディアで顔が晒されてしまったため、どこに行っても後ろ指を指されるようになったのだ。


 本来であれば、九々重とそれを取り巻く勢力は、事態が明るみに出るより先に事を収束させることができたはずだった。しかし長年不治と信じられて来たまぼろし病に対処法が見つかったとあって、この時誰もが色めき立って、小さな家族を庇護することを失念していたのだ。


 後手になった火消しはどんなに手を尽くしても完全に鎮火させることはできなかった。

 結局、母は理人や父と離れ、しばらく古都にある九々重の大屋敷に身を寄せて隠れるようにして暮らすこととなる。


 その間母を苛んだのは、何も世間の無知な批判ばかりではなかった。


 事情を知っている身内の者にさえ「幼い子に酷いことを」と眉をひそめられ、まぼろし病を神の御技と信じる一部の古い識者には「神の意に背いた(まかる)(かえ)しの罪人」と罵られた。

 対処法発見の功績は表立った所では母の盾となったが、水面下で投げつけられる心ない言葉は、彼女の心を大きく抉っただろう。


 一年が経って、二年が過ぎて。三年の月日を待ってようやく家族が共に旅することを許された時、気丈な母が父の肩に顔を埋めて泣いたのを、理人は今でも覚えている。


 背中を炙られた時の痛みより、その時の方がずっとずっと心が痛かった。だから。


「──え?」


 奏の言った言葉が信じられなくて、聞き返す。

 うっすらとそばかすの浮く奏の顔がじっと理人を見つめると、再度同じことを口にした。


「すごい愛だね」


 まっすぐな視線が僅かに揺れて、言葉を足す。


「草音くんのお母さんは、すごい人だ」


 声を詰まらせて、奏が少し俯いた。呟くように何か言ったが、理人はそれを聞き取ることができなかった。


 ただ。愛だと言ってくれたことが嬉しくて、母をすごいと言ってくれたことが嬉しくて、理人はしばし語ることを忘れてその場に立ち尽くした。


 火傷の痕に引き攣った顔を見せる他人も、囁かれる噂も。虐待ではないかと告白を迫った教師の言葉も、母と離れて暮らした寂しい時間も。

 父が自身の無力さに歯がゆい思いを重ねたことも、母が識者と世間の狭間で傷ついたことも。 第三者である奏が認めてくれたことであの頃の自分たちがふいに救われたような気がしたのだ。


 いつの間にか海に落ちた太陽が薄桃色の柔らかい光を空に映している。

 野球部の声。ブラスバンドのへたくそな演奏。

 海から吹き上げる風に促されて、理人は呼吸を整えると話を元に戻した。


「病を生き延びた僕は、いつからかまぼろし病を嗅ぎ分けることができるようになったんだ」


 火傷の傷も癒え、再び父と一緒に全国を旅するようになった頃、父は息子が人には分からない特別な匂いに反応していることに気づいたという。


 理人が反応するのは、まぼろし病の患者が発する匂いであった。正確には、病の症状が出ている間にだけ香る匂いだ。

 それは他に例えようのない甘美な香りで、体臭と同じく人によって少しずつ印象が異なる。

 何故か懐かしさや親しみを感じるから、きっと自分の中にあるまぼろし病の残滓が同じまぼろし病を求めて呼び合うのだろうと理人は考えていた。


「その独特の匂いが、颯太くんが泣いている間香っていた。彼は、まぼろし病の患者だ」


「まぼろし病……」


 ゆっくりと、瞬きするのと同じ速度で奏が繰り返す。

 考え込むような沈黙の間を理人はひたすら待った。

 やがて奏が顔を上げる。再び目にした彼女の顔は、何故だか悲しみに耐えるような表情をしていた。


「草音くんには、颯太の病気が何だか分かるの」


「分かる」


 だけど対処するには詳しい情報が必要だ。だから颯太について詳しく聞かせてほしいと改めて頼むと、奏が強い眼差しで理人に訊いた。


「颯太を助けてくれるの」


「きっと助けになれると思う」


 理人の言葉を聞き届けて奏が頷く。そして何かを振り切るように、大きく息を吐き出した。


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