54
「奏ねえちゃん」
唐突に、その場に似つかわしくない幼い声が割って入った。見るとつい今しがたまで泣きじゃくっていた颯太が、きょとんとした顔でこちらを見上げている。
「その人、誰?」
理人を示して首を傾げる。その頬は濡れてはいたが、もう泣いてはいなかった。
ちらりと理人に視線を寄越してから、奏が困ったように眉を下げた。
「『奏ねえちゃん』の友だちだよ」
言い淀んだ奏の代わりに、理人が颯太に微笑みかける。
「最近越して来たんだ。君とは初めましてだね」
「うん」
素直に頷いた颯太が、奏に向かってにやりと笑ってみせた。
「奏ねえちゃん友だちいたんだ」
爆弾級の発言に、奏の眉がぴくりと震えた。
「いるよ。たくさん」
「そう?」
反論する奏に、颯太がぺろりと舌を出す。
「ぼくだけかと思ってた」
えへへ、と照れくさそうに笑う颯太は、さっきまで泣いていた少年と同一人物とは思えないほど明るい。
どうして泣いていたのかさえさっぱり忘れたような態度に理人が戸惑っていると、あっ、と声を上げて颯太が立ち上がった。
「そうだ。今日は早く帰って来なさいってお母さんに言われてたんだ。ぼく、おつかいに行かなくちゃ」
ランドセルをガチャガチャいわせながら、颯太が草地となった畑の斜面を駆け上がる。
その服の端から、きらりと光る何かが落ちた。
「待って!」
とっさに颯太を呼び止めて、理人は落ちたものを拾いに行った。
拾ってみると思った通り、それは件のドッグタグであった。奏の推測通り、使い込まれたタグは繋ぎのパーツが取れている。きっとランドセルから落ちた弾みで服のどこかに引っかかっていたのだろう。いくら地面を探しても、見当たらなかったはずだ。
一人納得して、理人は颯太にタグを差し出した。
「落としもの。探していたキーホルダーってこれだろ」
所々禿げかけたシルバーメッキのプレートが、理人の指先でぴかぴかと輝いている。
泣きじゃくるほど探していたタグを目にした颯太は、しかし実に不可解な反応を見せた。
「なにそれ」
眉根を寄せて、首を傾げる。身に覚えがない、といった様子だった。
「でも」
タグにはローマ字で颯太の名前と自宅のものと思われる電話番号、それから血液型が刻み込まれている。間違いなく、颯太のものだ。
「ぼく知らない。もう行かなくちゃ」
挨拶もそこそこに、今度こそ背を向けて颯太が走り去る。
状況が飲み込めず奏を振り返ると、彼女は不思議な表情で小さくなる颯太の背中を見送っていた。どこか寂しそうで、それでいてどこか安堵を含んだ表情だ。
見つめていると、奏がこちらの視線に気がついた。
何事も無かったように、奏が華奢な手のひらをこちらに向けて言う。
「見つけてくれてありがとう。それは私が受け取っておくから」
有無を言わせぬ要求には、それ以上の質問を拒む意図が見て取れた。
──線を引かれた。
唐突に打ち立てられた分厚い壁に、理人は言葉を飲み込んだ。
聞きたいことも、確かめたいこともあったが、きっとそれは今じゃない。
抵抗せずにタグを奏の手のひらに乗せてやると、ほっと息をついて奏が肩の力を抜いた。
海風が、絹糸を集めたような奏の髪を攫って通り過ぎる。
タグを握りしめる奏の拳を見つめながら、理人はようやく、その病の名を思い出した。




