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まぼろし病と患者達  作者: 風島ゆう
雫のみ
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 夕陽にはほど遠い、放課後。

 海に向かってなだらかに続く段々畑を横目に、理人は家路を歩いていた。


 整備された国道に車の行き来はほとんどない。この時間に帰宅するのは部活のない連中くらいだから、子どもの姿も見当たらなかった。


 潮騒の音が聞こえるほど静かな道を海風が駆け上がって来て、理人はふと足を止めた。


 ──風が香る。


 いつの日か奏の体に残っていた香りによく似た匂いだ。甘く、親しげに、ここにいるよと主張する。それは自分だけに嗅ぎ分けることができる、まぼろし病の香りだった。


 注意深く目を凝らして、辺りを見回す。田畑の合間には農家の高齢化により放置された雑草だらけの耕作放棄地があって、子どもたちの格好の遊び場になっている。


 そのうちの一枚の畑で人影が動くのを見つけて、理人はそちらに近づいた。

 次第にはっきりとする人影は、夏草の上でしゃがみ込む小学校低学年くらいの少年と、見知った少女のものだった。


「蒼衣さん」


 思わず呼びかけると、びくりと肩を震わせて奏がこちらを振り仰ぐ。

 白いブラウスに襟を止める細くて赤いリボン、チェック柄の入ったグレーのプリーツスカートという制服姿の奏に、彼女もまた帰宅途中であることが伺えた。


 名前を呼んだ相手が理人だと知ると、奏はますます瞳を大きく見開いた。

 彼女の名前を口にしたのはそれが初めてだったから、驚いたのだろう。


 見ると少年の方は泣いている。

 理人は畑に足を踏み入れると少年の傍に膝をいた。芳香が強くなった。


「どうしたの」


 この子が患者か。確信を得て、理人はできるだけ優しい声で少年に尋ねた。

 しかし少年は両手で顔をぐしぐしと拭って、それはそれは悲しそうに泣くばかりだ。


「知っている子?」


 説明を求めて奏を見ると、彼女は一瞬息を詰めてから、浅くそれを吐き出した。


「近所の子で、(たちばな)(そう)()


 言葉少なに、だけど律儀に名前まで教えてくれる。

 ざあ、と海の方から風がぶつかって来た。強い空気の群れに押し流されるように、立ちこめていた芳醇な香りが吹き飛ばされる。奏が続けて口を開いた。


「無くしたものを探していたの。この辺りで落としたんじゃないかって颯太が言うから。私が颯太にあげたもので、飼っている犬とお揃いで身につけられるようにしていたタグなんだけど」


「タグ?」


 もしかして、ドッグタグのことだろうか。


 認識票とも、IDタグとも呼ばれるそれは、軍において個体識別を行うため身につけさせられるものだ。金属製の小さなプレートに識別ナンバーや個人情報が刻み込まれていて、これが千八百年代にベルリンで導入された犬用の鑑札に似ていたことから、自嘲の意味も込めてドッグタグと呼ばれるようになった。


 現代ではペットの迷子札や若者のアクセサリーとしても使用されるようになっていて、平和なこの国ではむしろそちらの方が一般の認知度は高い。

 当然、奏が言ったのもこちらの意味でのことだろう。


「犬は分かるけど、彼にもあげたの?」


 アクセサリーにするには年端がいかないし、迷子札が必要なほど幼くもない。

 怪訝に思った理人の問いに、奏が頷いて答えた。


「キーホルダーにして身につけられるようにしたの。颯太は時々すごく──忘れっぽくなるから」


 含みのある言い回しで、奏がどこか遠くを眺めやる。


「あげたのは何年か前のことだけど、とても大事にしてくれてた。いつもランドセルにぶら下げていて、だからきっと、古くなった繋ぎのパーツが自然に壊れたんだと思う」


 安いものだったし、と呟いた奏は、それでもどこか悲しそうに見えた。

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