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まぼろし病と患者達  作者: 風島ゆう
雫のみ
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 それからというもの、気がつくと理人は奏の姿を目で追うようになっていた。


 蒼衣奏はよくできた(、、、、、)女の子だった。

 友人に好かれ、最高学年の生徒として相応しく教師にも後輩にも頼りにされ、そのくせ変に目立たない。可も無く不可も無い女生徒。理人も最初はそう思った。


 しかし次第に、理人は奏に対して妙な違和感を覚えるようになった。


 違和感の正体は、徹底した秘密主義だ。

 それは気づいてしまうと不自然なほど執拗な回避行動だった。


 クラスの女子と他愛無い話で笑い合いながら、巧みな加減で話題を自分から逸らす。たられば話には乗るが、実際の生活に関することは口にしない。男子と親しく口をきかないのは、奥手だからではなく女子の興味を買わないためだ。

 端々に聡明さすら感じるその手腕は、他所者の理人だからこそ気がついたものだろう。

 

 平島によると、幼い頃に母が結婚して養父となった男は、ある日奏に怪我をさせた上、本土に女を作って逃げたと言う。

 センセーショナルなその情報は狭い島では誰もが知っている常識で、同時に奏の違和感を「辛い思いをしたことがあるから」という一言で帳消しにする力を持っていた。


 うまく周囲に埋没しているようで、明らかに異質な存在。それが蒼衣奏という女の子だった。




「草音ー」


 じっとしていても勝手に汗が滲むような、蒸し暑い日。

 二限目のチャイムが鳴り終わったところで、平島が声をかけて来た。


「お前、今日の体育はどうすんだ」


 プールバッグをぶんぶん振り回してこちらに近づく平島が、相変わらずのでかい声で理人に尋ねる。教室中に響き渡った平島の声に、周囲の視線が集まった。

 おかげで好奇心の強い数名が集まって来て、理人はあっという間に取り囲まれてしまった。


「そういや草音、転校して来てから一度もプールに入ってねえな」


「いっつも見学だもんな。もしかして泳げねえの?」


「馬鹿。泳げなくても授業には出なくちゃならんだろ」


 わいわいと理人を囲む男子の群れは、そのほとんどが丸刈りだ。

 この学校では野球部が強いそうだが、生徒数が圧倒的に少ないので、結果として運動部に入るような男子は皆野球部に流れるらしい。ふと、眉をひそめて平田が問う。


「まさかお前、体でも弱いのか」


 気遣うような表情に驚いて、理人はとっさに首を振った。


「いや、そんなことないよ」


 後から考えれば虚弱体質とでも答えておけばよかったのに、この時は思いつきもしなかったのだ。理人の否定を聞くなり、一人が弾んだ声で掴み掛かって来た。


「じゃあ入ろーぜー!」


「うわ!」


 ズバっとズボンからシャツを引き抜かれて、慌てる。

 これはまずい。

 逃げようとするといつの間に背後に回ったのか、誰かが理人を羽交い締めにした。


「大人しくしろよー。プール嫌いだからってサボっちゃいかんよ」


「いや、ちょっと」


 身を捩って抵抗するも多勢に無勢。女子の失笑を買う中、理人はあっという間に両腕をバンザイさせられてしまった。


「はい、スッポーン!」


 よく分からないかけ声とともに勢い良くシャツを脱がされる。

 肌を隠す物を剥ぎ取られ、背中が剥き出しになった、その瞬間。

 教室中が凍り付いたように動きを止めた。


 ──ああ、失敗した。


 もっとうまく、もっと穏便にこの事態を回避することができたはずなのに。

 怒りは湧かない。むしろ申しわけないような気持ちで、理人はそっと苦笑した。


 自分の背中には、幼い頃に負ってしまった大きな火傷の痕がある。背骨から右の肩を通り、右腕にいたるまで、皮膚が醜く爛れているのだ。


 大抵の場合、目にした者はこんな風に罪悪感を抱えたような表情を浮かべてその場に固まる。

 無用な気遣いや気まずさ、時に虐待等の誤解を招くこともあるので、転校先ではいつもできるだけ人目に触れないよう気をつけていたのだが。


 息を吸って、吐く。気を取り直すと、理人は脱がした張本人に向かってにっこり微笑んだ。


「びっくりさせて、ごめん。小さい頃に母が僕を助けようとして負った痕なんだ。驚かせちゃ悪いと思って、先生に頼んでプールは見学にしてもらってた」


 左手を伸ばして促すと、相手ははっとした様子でその手にシャツを返した。


「バレちゃったから、次からプールに入らなきゃいけないかもしれないな。ほんとは泳ぐの、苦手なんだ」


 肩を竦めて冗談を言うと、ようやく周囲の空気が緩み始めた。

 こういう時は落ち着き払ってみせた方が、事態が早く収束する。それは経験から学んだ処世術であった。


 理人がシャツを着る間、取り囲んでいたクラスメイト達が口々に「ごめんな」とか「痛くないのか」と声をかけて来る。


「もう痛くないよ。時々ちょっと突っ張る感じがするだけ」


 被ったシャツから頭を出すと、こちらを見ていた奏と目が合った。

 すぐさま逸らされたあの瞳も、この背中を見たのだろうか。

 なんだか無性に気になったが、すでに視線を外した奏に声をかけるには、この時二人の距離はまだ遠すぎた。


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