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まぼろし病と患者達  作者: 風島ゆう
雫のみ
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 ──驚いた。


 目を上げると目の前に奏が座っていて、理人はしばし反応することを忘れて彼女に魅入ってしまった。


 社会科の授業中。調べたことをまとめろという課題のため、それぞれが図書室に移動して黙々と資料探しをしている時のことだ。


 歴史が好きな理人は早々にテーマを絞ると、関連資料を集めて読書机の一角を陣取って本に没頭していた。


 読書中は周囲の音が聞こえなくなるほど夢中になる。だから彼女が一体いつからそこに座っていたのか、理人は知らない。


 空気に溶け込むようにひっそりと向かいの席に座った奏が、大判の資料本をぺらり、とめくる。窓から入る海風に、絹糸を集めたような奏の髪が少し流れた。


 まるで音のない世界にたった二人きり、取り残されてしまったみたいだ。


 カーテンを透かして揺れる午後の光も、遠くにさざめく波の気配も、彼女を現実の世界から切り離すためのもののように思える。


 ふいに、強い風が投げ込まれて窓辺のカーテンが大きく膨らんだ。


 視界を遮るほどの動きに奏の顔が上がる。目が合うかと思ったその瞬間、開け放たれた窓から一匹のてんとう虫が風に煽られて飛んできた。真っ赤な羽に黒い星が散る七星てんとうだ。

 懸命にはばたくてんとう虫は、しかしちっとも前に進めず、机の上に滑り落ちると理人と奏の目の前で盛大に転んだ。


 てんとう虫って転ぶのか。


 呆気にとられて、それからふつふつとおかしさが込み上げる。

 ついに吹き出すと、同じタイミングで向かいの席からも小さく吹き出す声が聞こえた。

 見ると奏がちょっと驚いたようにこちらを見ている。端から見たら、きっと理人も同じ顔で奏を見ていたに違いない。


 同時に吹き出して、同時に驚く。驚いたことにちょっと笑うと、やっぱり奏も少し笑った。

 なんということはない、ささやかなシンクロニシティ。

 だけどこの時、理人は確かに奏の心の動きが見えていたし、たぶん奏も、理人の心が手に取るように分かっただろう。

 その共鳴は理人にとって、信じられないほど暖かくて美しい、幸福な瞬間として記憶に刻み込まれた。


 やがててんとう虫がその場を飛び立っても、理人の胸にはしばし感動にも似た余韻が残り続けていた。


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