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まぼろし病と患者達  作者: 風島ゆう
雫のみ
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   *


 理人が奏をはっきりと認識したのは、瀬戸内海に浮かぶ島の中学に転校してから、しばらく経ってのことだった。


 廊下ですれ違った奏から僅かに残り香のような甘い香りがして、どこか馴染み深いその匂いが理人の気を引いたのだ。


 ──まぼろし病の香りに似ている。


 そう思ってから、いやそんなはずはない、と理人は考えを打ち消した。


 全国を移動しながらまぼろし病を追う九々重は、幻書館の管理するネットワークを通じてまぼろし病と疑わしき噂や都市伝説を収集し、その地域に向かうという手段を取る者が多い。


 九々重の識者である理人の両親も例外ではなく、理人は父から、今回の該当者は男の子であると聞いていた。


「なにお前、奏が気になるのか」


 あからさまに奏を目で追った理人に気づいて、クラスメイトの平島がからかう。


 島の住民はそのほとんどが幼馴染みなので、呼び合う名前も愛称や呼び捨てが普通だ。

 今更名字で呼ばれるのは、理人のように途中からこの島にやって来た他所者くらいであった。


 野球部で鍛えた肺活量のせいで平島の声はやたらにでかい。おかげで奏の耳にも届いてしまったようで、そばかすの浮いた顔がちらりとこちらを振り返った。


「いや、今ちょっと制服が引っかかったような気がして。気のせいだった」


 笑って躱すと、平島がつまらなそうに唇を尖らせる。


「なんだ。せっかく島に新しい男が来て、女子はチャンスに恵まれたと思ったのに」


「はは」


 仮に平島の言う通り理人が奏に想いを寄せていたとしたら、今の言葉はそれをぶち壊す破壊力を持っていたわけだが、本人にその自覚はないらしい。


 奏は特に興味もなかったのか、いつの間にか背を向けて歩き去っていた。

 奏の姿が見えなくなったのを確認してから、平島に尋ねる。


「それで、彼女なんて名前なの」


「……嘘だろ。そこから?」


 同じクラスだぞ、と呆れ顔で言われるが、覚えてないものはしかたない。


 転校に次ぐ転校で、出会いと別れにすっかり慣れてしまった理人は、自分の生活を居心地よく支える範囲の人間の輪に溶け込むことには長けていたが、反面、必要ないと切り捨てた人間については覚えが悪かった。どうせ別れるのだからと、相手に入れ込むこともしない。


 わざとらしくため息をついて、平島が苦笑した。


「奏だよ。蒼衣、奏」


「あおい、かなで」


 平島の発音を口の中でなぞる。

 名前の持つ音が静かに体の底に染み入って、そうして理人は、ようやく奏を認識したのだ。


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