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まぼろし病と患者達  作者: 風島ゆう
どんぐり病
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「違うよ」


 反論したのは奏だった。


「きっとそうじゃない。それじゃ、花を入れた説明がつかないもの」


 理人の向こうから、奏が身を乗り出す。

 さっきまで涙に濡れていた頬は、上気して累を見上げていた。


「だって責めるための言葉をぶつけるなら、他にもっと方法があったはずです。手紙一つ、言葉一つ残せばそれで良かった。わざわざ花を買ってまで回りくどい形でメッセージを残す必要はない」


「何が言いたいのよ」


 尖った声で突き放しながら、累は心のどこかで説き伏せられるのを待っていた。

 この罰から解放されるのを期待するように。累は奏の次の言葉を待った。

 一度瞬きをすると、奏の黒い瞳が累を映し出した。


「来更さんは、きっと村主さんを気遣ったんです。村主さんの下駄箱に残したメッセージが他の誰か……あなた達を苦しめていた誰かに見られてしまうことを恐れた。そのメッセージが、あなたの立場を危うくするものだったからです。来更さんは考えて、一見その意味が隠される方法で真意を伝えようとしたんじゃないですか。それが花に意味を託すという方法だった」


 花であれば、他の誰かに見られても真意が他に漏れることはない。万が一花言葉に辿り着いても、累が考えたように告発の意味ととるだろう。事情を知っている者であればなおさらだ。

 言い募る奏が累に向かって尚も続ける。


「クッキーを捨てられて、来更さんは悲しかったでしょう。だけどあなたが置かれている状況も分かっていた。真実のあなたを理解している。それは期待であり、希望であると、村主さんにだけ分かる方法で伝えたかった。記名がなくても、アネモネの意味が憂いを含んでいても、あなたなら本当の意味に辿り着いてくれと、そう信じて」


「もういいわ」


 奏の言葉を遮って、累はベンチを立った。

 迫り上がる感情に耐えられなくなって、晴れ上がった空を見上げる。


 有。今、どこにいるの。


 幸せで、いるだろうか。目の奥が熱くなって、視界がぼやける。滲む世界に、有のあの日だまりのような温かい笑顔が見えた気がした。

 春の風に初夏の匂いが混じる。あの頃と同じ匂いに、累は始めてあの日に郷愁を感じていた。


「ありがとう」


 ぽつりと呟くと、背後で固まっていた子どもたちの気配がほっと緩んだ。

 彼らの語った世界が真実か否か。そんなことは、結局のところ有にしか分からない。

 それでも、長い長い年月、凝って重しになっていたあの夏の記憶が、ほんの少しだけ印象を変えたのは確かだった。


「戻りたいなぁ」


 口からこぼれた言葉は、本心だった。

 あの酷い、鬱屈した時代に。有がいた、あの頃に。もう一度戻れたら。


「やり直せなくてもいいから、戻りたいわね」


 そんなことは願わなくても、いつだってもとの時代に連れ戻されたのに。

 今何故か、累の心は穏やかな、そして寂しい願いでいっぱいだった。

 どこか優しげな理人の声が、累の背中に進言する。


「やり直せなくていいなら、今から歩き出せば良いんです」


 振り返ると、二人の子どもが累をまっすぐに見つめていた。

 そっと微笑んで、理人が言う。


「戻っても戻らなくても。今度こそ来更さんを探して彼女の期待に応えれば良いんです。そうして周りの人を大切にして、たった一度きりの、取り返しのつかない人生に執着してください」


 それはまるで託宣のような言葉だった。

 何度も何度も人生を繰り返す自分に向かって、たった一度きり、とはなんの比喩か。

 計り兼ねて、それでも全てを分からなくていいような気もして、累は肩を竦めるに留めた。

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