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「アネモネよ」
累が明かすと、理人が僅かに眉を上げて反応した。
意味深なその花が気になって、累はその場でスマホを取り出すとアネモネについて調べみた。
アネモネは、キンポウゲ科イチリンソウ属の多年草で、ギリシア語で風を意味するアネモスに由来するという。和名は牡丹一華、花一華など。そして、
「花言葉は、『見捨てられる』、『見放される』」
累の言葉に、奏がぎょっとしたように顔を上げた。
あの日の累も、下駄箱の前で同じ衝撃を受けていた。
「花の持つ意味を知って、私にはそれが有の残したメッセージだと分かったの」
──裏切り者。
それが、有の気持ちだ。なぜそんな婉曲な方法を選んだのかは知らないが、その花は間違いなく、有が累を告発するためのものだった。
「世界が崩れるような絶望感を味わったわ。あんなに酷いことをしたのに、それでも私は、きっとどこかで有の優しさを期待していたのね。有ならきっと許してくれる。苦しかった気持ちを理解してくれる。そんな風に思って」
馬鹿にしている、と累は吐き捨てた。そんな期待は有の尊厳をあまりに低く見積った甘えだ。
「突き放されるまで、気づきもしなかった。どれだけ有によりかかって、どれだけ有を傷つけて。恨まれて当然だわ」
ごめん、だなんてどの口が言えるというのだ。一番酷い仕打ちをしたのは、累自身なのに。
「有とはそれきり、どの人生でも出会ったことはないわ」
息を飲んで瞬きする奏の瞳から、小さな白い涙の花が転がり落ちた。
風が優しく三人を撫でて通り過ぎる。
地面に散った花びらが小さな渦を巻いていた。
ふと、理人が丁寧な仕草で、自分の膝の上に落ちた小さな白い花を拾い上げた。
指先でつまんだ花を、陽の光に透かすようにして目を細める。
「本当にそうかなぁ」
花に問いかけるような理人の言葉に、累は眉をひそめた。
「どういう意味」
説教でもするつもりか。何度も人生を繰り返した、文字通り、生きて来た年数も経験も遠く及ばない、この自分に?
思わず皮肉に苦笑した累に目を向けると、理人が手にしていた花を差し出した。
「この花、何ていう花か分かりますか」
突きつけられたのは桔梗の花をすぼめたような小さな花で、珍しい花なのか、累は見たことがなかった。
答えられずにいる累に微笑んで、「これはスターチスという花です」と理人が教えた。
「よくドライフラワーなんかにされる、紫やピンク、黄色のふさふさした花があるでしょう。あれがスターチスです。スターチスは花より顎が発達した植物で、あの鮮やかな花のようなものは花ではなく顎なんです。花はこれ。派手な顎の中ではささやかすぎて、知らない人の方が多いかもしれません」
何を言いたいのか、意図するところが分からぬまま累は理人の説明を聞いていた。
理人を見上げる奏も、怪訝な表情で彼を見ている。
「スターチス全体の花言葉は、『変わらぬ心』、『途絶えぬ記憶』、そして『驚き』です。だけど紫の顎を持つスターチスなら『しとやか』『上品』、ピンクなら『永久不変』、黄色なら『愛の喜び』『誠実』と、別の意味を持ちます」
「別の……」
口の中で繰り返した累の言葉に、そうです、と理人が頷いた。
「花言葉は、神話や信仰によって解釈が異なるそうです。一つの花に複数の意味が込められているし、同じ種類の花でも色が違えば意味も変わる」
スターチスの花を自身の方へ引き寄せながら、理人が続ける。
「アネモネの花言葉の中には、確かに『見捨てられる』、『見放される』という意味があります。だけど村主さん。白いアネモネにはまた、別の意味が託されているんです」
「……え?」
意味。違う意味、だって?
理人のまっすぐな瞳が、戸惑う累を見据えている。
「白いアネモネの花言葉は、『真実』、『期待』、『希望』です。来更さんは、あなたを信じると、そうメッセージを残したのではないですか」
心臓を突き飛ばされたような衝撃に、累は一瞬、呼吸することを忘れた。
「そ、そんなはず……」
うわずる声が春風に掻き消される。
そんな都合のいいことが……。
提示された答えに縋るには累はあまりにも長い間、自分を責め続けていた。
「そんなの、分からないじゃない。有は白いアネモネの花言葉を知らなかったのかもしれない。単に『見捨てられる』という意味を込めたのかもしれない。だってそっちの方が理に叶うもの」




