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遠くで鶯の鳴く声がする。春を謳うそのさえずりが、なんだか切なく胸に響いた。
「ところで、お名前を伺ってもいいですか」
再び累を捉えた理人の瞳は、もう一瞬前の憂うような光を消し去っている。
累が名を名乗ると、理人も改めて草音の名で自己紹介をした。
「僕としては始めてあなたとお話しすることになるので、先にお尋ねしておきたいのですが、僕らはいつもどんな話をしていましたか?」
単刀直入に理人が問う。累にとって重複する話題は避けようという心づかいのようだ。
促されるまま、累は今まで出会って来た奏と理人について思いを巡らせた。
「そうねぇ。まぼろし病とは何かとか、どんぐり病とは何かとか。この病に対処法はないって話もしたわね。あとは、九々重がどんな一族で外野とは何か、とかそんな話が多かったかしら」
どの情報も、一度で仕入れたものではない。
何度も出会ううちに少しずつ足されていった情報だ。
「そういえば、あなたたちのなれそめについては、聞いたことがなかったわね」
ふと思いついて、累は理人に尋ねた。
「あなたと奏ちゃんて、どういう関係なの?」
兄妹ではない。恋人でもなさそうだ。では一体どんな縁があって二人でいるのだろう。
僅かに逡巡する間を置いて、理人が答えた。
「友人ですよ」
「そうじゃなくて」
明らかにはぐらかした理人に向かって、累は唇を突き出して不服を表現した。
聞きたいのは、もっと根本にある由来だ。
「何で九々重であるあなたの旅路に、識者でもない奏ちゃんが同行してるのかって聞いてるのよ。あなたはともかく、彼女は普通の家の子でしょう。どんなきっかけがあって、どういう理由で二人でいるようになったのか聞かせてよ」
食い下がる累を、理人がまっすぐに見つめる。
「だから、友人なんですよ」
それが理由だ、と理人が告げる。
それ以上は説明する気がないようで、理人がにこにこと次の話題を待つような顔をした。
こうと決めたら曲げないのは理人だって同じじゃないか。
頑固な九々重を前にして、累はこっそりため息をついた。
「質問を変えるわ。あなたにとって、奏ちゃんてなんなの」
三度、「友人だ」とはぐらかされるのを承知の上で尋ねる。
言葉を吟味するように首を傾げた理人が寄越したのは、しかし累が想像していたものとは違う答えだった。
「奏は──あの人は、僕を人間の側に繋ぎ止める楔です」
言いながら、理人が自分の右腕に視線を落とす。
その腕が時々引き攣るようなぎこちなさを見せることに、累は気がついていた。
「僕は九々重と九々重の間に産まれた子どもです」
ぽそりと呟くような声で理人が語る。
「血なのか、育ちなのか。僕はまぼろし病のこととなると、探究心が疼いて、知識欲が勝って、どうにも夢中になりすぎるきらいがあるんです。そういう時は、時々そこに人間がいることを忘れてしまう。病にばかり夢中になって、実際に目の前で罹っている人の苦しみを忘れてしまうんです」
研究者としてはそれでいいのかもしれないが、人間としては欠けている、と理人は自嘲した。
ひらひらと静かに舞う桜を眩しそうに見つめて、理人が続けた。
「だけど奏は違う。奏は人の痛みを自分のもののように感じる心を持っている。病よりも、まずそこにいる人の気持ちに共鳴するんです。僕にとってそれは、人間らしさの指針であり、救いでもあります」
春の日差しに溶けるような穏やかなテノールが、ふと笑みを含んだ。
理人の視線を追って目をやると、小道の向こうから奏が小走りにやって来るのが見えた。
どこかほっとしたような表情で近づく奏を眺めながら、理人が聞こえよがしに言う。
「まあ、振り回されていることに違いはないです。前はこんな風じゃなかったんだけどな」
「どういう意味」
しっかり聞こえた様子で、理人の前に立った奏が不満そうな声で問い質した。
笑顔のまま、理人が答える。
「出会った頃の奏はもっと思慮深かったし、遠慮があったし、考える前に行動するとか、約束したのに待ち合わせ場所にいないとか、無茶とか我が侭とか言わなかったなって意味」
立石に水のごとく揶揄を繰り出されて、奏がむう、とむくれた。
怒ったような視線が、しかしふいに僅か下に落ちる。
累が何か思うよりも早く、目敏く気づいた理人が素早く付け加えた。
「前の方が良かったなんて言ってないよ」
間違えないで、と念を押した理人を見つめた奏が、何故だか少し泣きそうな顔をした。




