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「ハァーイ!」
京の都に桜が吹雪く、小春日和。
会社の昼休みを利用して散歩に出た村主累は、桜並木の向こうからやって来る一人の少女を見つけると軽く手を上げて呼びかけた。
うっすらとそばかすの浮く頬に、黒い瞳、色づいた唇。鎖骨の辺りまで伸びた黒髪は癖のままゆるやかに流れていて、時折通り過ぎる春風に攫われては、ふわりと広がる。派手な顔立ちではないが、透き通るような存在感のある少女だ。
身につけているのは黒と見紛う濃紺の制服で、くびれのないワンピースデザイン。白い丸襟に紺色の細いリボンをちょうちょ結びにしていて、膝下までの長めの丈と黒タイツ、裾まで並ぶ銀ボタンがどこかレトロな印象を醸し出していた。
自分がこれくらいの頃はどんなだったろうと思い返すと、野暮ったい田舎娘が脳裏に浮かんで苦笑が漏れた。
少女ははじめ、呼びかけられたのは自分ではないと思ったらしい。
こちらを見もしない彼女に向かって、累は再度手を振った。
「おーい、奏ちゃん! 蒼衣奏ちゃん!」
フルネームを呼ぶと、少女の肩がびくりと跳ねた。
前方の累を確認すると、少女……奏が怪訝そうに眉をひそめる。
当然だ。累は奏をとく知っているが、彼女はこちらを知らないのだから。
承知の上で、それでも累は笑顔のまま奏に近づいた。
「いやあ、久しぶり! じゃなかった、初めまして? どっちでもいいか。変わらないわねー。元気にしてた?」
奏の細い肩をばんばん叩いて親しげに話を進める。
自分より一回りは歳上のキャリアウーマン風美人(自称)の累に面食らった様子で、奏が目をまんまるに見開いてこちらを見上げた。
「ああ、分かるぅ。その戸惑い! 毎度毎度すっかりおなじみ! でも懐かしい。会えて嬉しいわ」
怒濤のように懐古の言葉を述べる累に気圧されながら、奏が必死に両手を突き出して距離を取った。
「ま、待って。待ってください。おば……お姉さん、誰ですか」
一瞬、おばさん、と言いかけて改めたことには目を瞑ろう。
感慨深く奏を見下ろすと、累はにっこりと笑ってみせた。
「私? 私は村主累。まぼろし病の患者よ」




