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まぼろし病と患者達  作者: 風島ゆう
人魚姫症候群
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 何とかしなければと思う心とは裏腹に、ルイスはそれから数日、藤花とも樹ともまともに話をする機会に恵まれなかった。

 時節通りの流行病が勢力を増したせいで診療が立て込んだのだ。

 病院に泊まり込むこともあるくらいで、理人や奏と言葉を交わすことすらままならなかった。


 冬の空に星が美しく瞬く夜。

 やっと一区切りついた仕事を置いて、ルイスはくたくたの体で自宅に戻った。

 引き戸を開けて玄関に入ると、上がり框に座った奏が両足をぶらつかせていた。


「おかえりなさい」


 意外そうに目を見張りながらルイスを労った奏は、見たことのないライトグレーの制服を着ていた。

 プリーツのついたワンピースの上から襟元まで詰まった丸首のジャケットを合わせるスタイルで、首回りに覗くブラウスの白い襟にはダークグリーンのリボンが留められている。

 制服ばかり何着も着回す奏は、見る度に異なる制服を身につけていた。


「どこかにいくの?」


 尋ねたのは、奏が厚手のダッフルコートを羽織っていたからだ。

 時刻は二十時を過ぎようとしている。こんな時間にどこに行くというのか。

 ルイスの問いに、ぴょん、と框から飛び降りて奏がはにかんだ。


「そろそろ次の場所に移動しようって、理人が」


 旅立つのか。


 移動し続ける九々重が一カ所に留まるのは、今回のように不測の事態が起きた時か、そうでなければそこにまぼろし病がある時だ。

 ただし識者の間には、最初に発見した者がその病に関わる一切を取り仕切るという暗黙の了解がある。

 これは数少ない病に対して識者達が症例を取り合い、または方針を巡り衝突することを防ぐためのルールであった。


 ルイスの病には、ルイスがいる。理人は領分を弁えたのだ。


「そうか。寂しくなるね」


 それは本心だった。


 一緒に食事を取ったのはほんの数日前だが、もうずいぶんと昔のような気がする。

 これから自分はたった一人で自らの病と向き合っていかなくてはならないのかと思うと、身の締まる思いと同時に寂寥感が胸を占めた。


 しんみりとした空気をに身を浸していると、閉めたばかりの引き戸ががらりと開けられた。

 顔を出したのは樹だ。

 玄関先でルイスの背中とぶつかりそうになって、ぎょっとしたように足を止める。


 咥え煙草の樹の顔は心無しか青ざめて見えた。ルイスを見上げて、それから奏の姿を認めると、樹は踵を返してその場から立ち去ろうとした。


「樹くん」


 とっさに腕を掴んで引き止める。こんな風に憔悴した樹を見るのは初めてだった。


「ちょっと待って。どうしたの」


「どうもしない」


 ぶっきらぼうに答えた樹がルイスの手を振り払う。


「どうもしないって顔じゃないよ。しかも煙草臭い。君、どれだけ吸ったの」


 樹は葛藤の分だけ煙草が増える。自分の中のどうにもならない気持ちを吐き出すように紫煙を吐くのだ。

 服に染み付いた苦悩の匂いに良くない予感がして、ルイスは眉をひそめた。


「藤花さんのこと?」


 思いついて尋ねると、気配だけで樹が嗤った。


「察しが良いな」


 がしがしと前髪を搔き毟って、樹がはあ、とため息をつく。


「悪い。来るつもりじゃなかった。考え事をしながら歩いていて気がついたらここにいたんだ」


「それはいいけど」


 どうしたの、と再度問う。背後の奏は息を潜めて空気になっている。

 開け放したままの引き戸から満天の星空を見上げると、樹はしばし沈黙した。


「あの人が」


 藤花を指して、樹が言った。


「あの人が、結婚するって」


「──え?」


 唐突に明かされた事情に対して、ルイスはとっさに返す言葉を見つけられなかった。

 白い息とともに、樹の背中が言葉を吐き出す。


「あんたと同じ歳の男で、あんたと同じセンセイで、婿に入って家を継いでくれるって。誠実そうな、良い人だと言っていた」


「ちょ、ちょっと待って」


 片手で額を押さえながら、ルイスは樹の言葉を遮った。


「待ってくれ。僕が知っているのは数日前に院長から聞いた、近いうちに藤花さんが見合いをするということまでで……。それが、どうして」


「見合いならもう済んだ」


 きっぱりと言い捨てた樹がルイスを振り返る。

 鴉の濡れ羽色に似た黒い瞳が、動揺に揺れたままルイスを見上げた。


「つい昨日のことだったそうだ」


「そんなはずない。だって今、医院は病人で溢れかえってる。見合いなんてしてる暇──」


 本当に? 突如として沸き上がった疑問に、ルイスは言いかけた言葉を吞み込んだ。


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