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「僕の病は、おそらく新種のまぼろし病だと思う」
淹れ直した茶を人数分配りながら、ルイスは話を切り出した。
「自覚症状が出たのは二年ほど前だ。──を、」
愛を、と言いたかった声を潰して、泡が口から吐き出された。
シャボン玉のような虹色の泡を見て、奏が理人にしがみつく。
反射で彼女をかばうようにしながら、それでも理人はルイスから目を逸らさなかった。
「ごめん」
ひとしきり泡を吐いてから、ルイスは呻いた。
「つい、気が緩んで」
藤花のこと。樹のこと。外野を求めるしきたり。まぼろし病。それから、九々重の狗。
いろんなことが一度に起こって、いつもは慎重に避ける言葉を無防備に口走ってしまった。
目の前で、ふつ、ふつ、と泡が消えていく。
まるで叶わない想いのようだとルイスは思った。
席を立って、自室へと続く襖を開ける。
文机に出してあった和綴じのノートを取って戻ると、理人の膝の上にそれを置いた。
「発病を自覚した時からつけている記録だ。僕の病は、ある特定の条件を含んだ言葉を口にしようとすると言葉が泡に変わるものだ。最初はたった一言を封じられただけだった。今では派生する言葉全てが泡になる」
取り上げられたのは、愛を語る言葉だった。
自分の想いも、人の想いも、愛や恋に関わる言葉はことごとく泡になって消えてしまう。
「口に出す言葉だけでなく、書く言葉も駄目になった。ペンが先から泡になってしまうんだ。無理に書こうとすると指先まで泡立って、指が無くなっちゃいそうだったからやめたよ。メールやパソコンも、同じ理由で打てなくなった。その記録を見れば、いつ頃、どんな言葉が使えなくなっていったか分かるはずだ」
理人が両手でノートを広げた。ページを繰るうちに、やがて目を輝かせ始める。
新しい知識を得て悦んでいるのだ。
食い入るようにノートを読みふける理人を見て、ルイスはちょっと笑った。
この子は根っからの識者だ。
「見せようか」
そんな言葉が口をついたのも、きっと同じ研究者の血が騒いだからだろう。
顔を上げた理人の前でノートをめくると、ルイスは白いページに人差し指を置いた。
藤花の顔が頭をよぎる。この言葉と彼女とは、ルイスにとって切り離せないものらしい。
指先を動かすと、ぱちぱちと弾ける音とともに小さな泡が生まれた。じわじわと溶けるような熱さが痛みとなってルイスを阻もうとする。
次第に大きくなる泡がふわふわと辺りに漂っては、ぱちん、と消えた。
理人の瞳が瞬きもせず、ルイスの指先に見入っている。
指先が熱い。胸を焦がす想いの熱さと似ている。
ひと際大きな泡が宙に浮かんで、ルイスの頬を撫でるように過ぎていった。
恋 し い、と。
書き切る前に、強い力で手を掴まれた。
「馬鹿っ!」
怒鳴られて、はっとする。奏が今にも泣き出しそうな顔をして、ルイスを睨みつけていた。
「病を探求したいからって自分を大事にしないなんて、ただの馬鹿だ!」
捕われていた探究心がしぼんでいく。代わりに罪悪感が胸を占めて、ルイスは後悔した。
「ごめん」
謝ったのは理人だ。ルイスと同じように、呪いが解けた後のような気まずそうな顔をしていた。
気圧されて、ルイスも謝罪の言葉を口にする。
ぎゅう、と強くルイスの手のひらを握り込んだ奏が、吐き出す息とともにその手を離した。
気遣いの眼差しを奏に残したまま、理人が口を開いた。
「だけど今ので、ルイスさんの病が何なのか分かりました」
「え」
驚くルイスに向かって、理人がきっぱりと断言する。
「これは『人魚姫症候群』だ」




