27
若い子どもたちとの食卓は賑やかだった。
病は罹ると暗く沈んでしまうが、こうして回復すれば明るさを取り戻す。ほっとしたようなその明るさを見るのが好きで、だからルイスは医者の仕事が好きだった。
「そうだなぁ」
外野になった経緯を聞かれたルイスは、久しぶりに昔のことを思い出していた。
「僕が実際にまぼろし病の患者を目にしたのは一度きりだね。秋口に体中が紅葉のように色づいて、体温は燃えるように熱く、そのくせ狂ったように外に出たがる患者だった。病床に縛り付けるようにして看病し続けたけど、冬を迎えると枯れ木のように衰弱して死んでしまった」
「『秋狂い』ですね」
理人の間の手にうん、と頷いてルイスは続けた。
「後になってそれがまぼろし病だったと知って、対処法を目にした時は驚いたよ。まさか、落ち葉の中に埋もれてしまえばよかったなんて」
走り出すままに見守り、求めるままに落ち葉に埋もれてしまえば、あの患者は助かったのだ。
秋を愛し、秋に愛され、秋に抱かれることで癒される。そういう病であった。
「完治するかどうかは五分五分です。次の秋にまた発病して、半永久的に病をぶり返すケースもある」
「それでも生きていられただろう」
苦笑して、ルイスは茶葉の入った急須にポットの湯を淹れた。
無知は罪だ。
方法があったのに、知らなかったせいで死なせてしまった。
とう、と注がれる白湯を眺めながら、理人が呟くように言った。
「……そうですね。助けられるものなら助けたいと願う気持ちは、識者も同じです」
顔を上げて、理人の瞳がルイスを見つめる。
「それで、あなたの病は何なんですか」
息が止まった。
こんなところで核心を突かれるとは思わなくて、思わず手元が狂う。
急須で湯を弾いてしまって、ルイスは慌ててポットから手を離した。
「大変」
手早く布巾で辺りを拭き清めたのは奏だ。
事前に理人から耳打ちされていたのか、奏の態度は落ち着いていた。
「どうして」
動揺に暴れる心臓を何とかなだめて、理人に問う。
「いつ、気がついた?」
理人の前でそんな素振りを見せた覚えはない。そもそもこの病はある条件下でのみ発動する病だ。慢性的に症状が出ているものではなかった。
ルイスの問いかけに、理人が答える。
「昨晩、日付が変わる頃に」
「なんだって」
それはルイスが泡を吐いた時刻だ。
あの時、襖を挟んだ隣の部屋で、理人はルイスの異変に気がついていたというのか。
「僕は声を、出したかな」
「いいえ」
首を振って、理人がルイスの推測を否定する。
「匂いですよ」
言ってから、理人が口角の端を上げて笑った。
「あなたも外野なら知っているでしょう。僕は草音理人(、、、、)だ。『竜の禊病』に罹った男ですよ」
「──ああ」
そうか。そうだった。
理人の名が識者達の間で記憶されているのは、何も若すぎるからというばかりではない。
その存在の奇異さ故であった。
草音の家では、今から十余年も前にまぼろし病の患者を出している。
まだ幼かったその患者は、海辺で遊んでいる最中に突然発病したという。
最初に気がついたのは母親だった。浜辺でバーベキューの支度をしていて、ふと見た息子の背中に鱗が広がり始めるのを目にしたのだ。
幸いにもというべきか、不幸にもというべきか。母親は九々重の識者であった。
彼女は一目で息子が竜の禊病に罹患したことを知り、同時にそれが即座に死を招く病であることを理解した。
竜の禊病は、発病するとあっというまに全身が鱗に覆われてしまう。
鱗に包まれた後は魚になって海に還るのだとか、竜になって空に飛んで行くのだとかいう伝説もあるが、実際のところは体の内側まで広がる鱗に喉を塞がれ、窒息するように息を引き取るのだ。
もって、三日三晩がいいところだと聞く。
あまりにも速い進行に、対処法は見つけられていなかった。
ただ、どこかの文献にたった一行、「火傷の痕には鱗がつかない」と書いてあったのを、その母親はとっさに思い出したのだという。
機転というよりは凶行に近かっただろう。
母親はバーベキュー用に火をつけていた炭を素手で掴むと、走って行って子どもの背中にその火を押し付けた。
彼女がどこまで結果を予測していたのかは分からない。だが結果として、鱗は焼かれることで子どもの体を蝕む事をやめたのだ。
その子は一命を取り留め、九々重は不治の病であった竜の禊病に一つの対処法を見出した。
一方で、生きながらえた子どもとその家族は数奇な運命を辿っている。
公共の場で行われたこの対処は子どもの悲鳴とともに多くの人の注目を集めていて、九々重とそれを庇護する者達の尽力も虚しく事件沙汰になってしまった。
母と子は、ほとぼりが冷めるまで離れて暮らさなければならなかったという。
一連のことは新しい対処法とともに全国の識者に共有されたが、しばらくしてこの情報が一部更新された。
竜の禊病を生き延びた草音の子が、まぼろし病を嗅ぎ分ける能力を得たというのだ。
「九々重の狗──」
畏敬を込めて囁かれるその呼び名を口にすると、奏が嫌そうに眉を顰めた。
理人の方は気にした様子もなく、ルイスに向かってはっきりと頷く。
「そうです。病の名残か副作用か、僕にはまぼろし病の症状が出ている間、その匂いを嗅ぎ分ける能力が備わった。かなり距離があっても分かるんです。隣の部屋の異変に気がつかないはずがない」
明かされたからくりに呆然となって、ルイスはしばし言葉を失った。
蓋も閉められなかった急須から、浸かり過ぎた茶の香りが立ち上っていた。




