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まぼろし病と患者達  作者: 風島ゆう
人魚姫症候群
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 翌日。少しずれ込んだ昼休憩を迎えて、ルイスは診療所の外へ出た。


 病院に立ちこめる独特の匂いは好きだが、ずっと籠っていると新鮮な空気を吸いたくなる。

 肺一杯に冷たい空気を吸い込むと、頭が冴えて来るような気がした。


「……寒」


 首元を過ぎる風に首を竦めて、羽織っていたジャケットの襟を搔き合わせる。

 空を仰ぐと雲がたれ込めていて、雪でも降りそうな雲行きだった。


「センセイ」


 室内に戻ろうときびすを返したところで、声をかけられる。

 見ると樹がやはり寒そうに身を縮めながらこちらに向かって来るところだった。


 樹はルイスを「センセイ」と呼ぶ。友人とはいえ歳が離れているし、名前で呼ぶのは照れくさいのだそうだ。


「樹くん。今帰り?」


「そう」


 ルイスの問いかけに短く応えて、樹がにやりと笑ってみせる。


 樹には午前中、奏を連れて駅に向かってもらっていた。

 コインロッカーに突っ込んだままだという二人分の手荷物を取りに行ってもらうのがその目的で、非番だと言う樹に車を出してもらったのだ。


 樹は快諾してくれたし、奏も特に抵抗は示さなかったが、道中二人きりになるのでどうしたかなと気になっていたところだ。


「大人しく車に乗ったし、聞き分けよくしてたぜ」


 ルイスの心配を読んだ様子で、樹が先回りする。

 そうか、と頷いて、ルイスは樹をねぎらった。


「ありがとう。助かったよ」


 ひらりと手のひらをこちらに向けて、樹が「いいよ」とジェスチャーする。

 その姿にルイスはふと、もしかしてこの友人は、自分の杞憂を払うためにわざわざここへ寄ったのではないかという気がした。


「いい奴だなぁ、君は」


「なんだよ。気持ち悪いな」


 感嘆すると、あからさまに眉をひそめて樹が嫌がった。

 そこへ、医院の裏手から人影が現れた。藤花だ。


 そういえば今日は朝から顔を見ていなかった。

 声をかけようとしたところで目が合って、ルイスは思わず息を呑んだ。

 思わぬ遭遇にやはり息を呑んだ藤花の目元が、泣き腫らしたように赤くなっている。


 何事か言いかけて、藤花が俯いた。

 きつく唇を噛んで耐えるような仕草に、何かあったのだと察するのは容易かった。

 俯いたまま小さく会釈して、藤花が逃げるようにその場を立ち去る。


「樹くん」


 とっさに樹を振り返ると、黒い瞳がはっとしたようにルイスに向けられた。

 戸惑う樹の表情を見て、彼が原因ではないのだと悟ると、ルイスは口調を強めた。


「樹くん、君が追わなくてどうする」


「俺を見て逃げた」


 樹の声に、初めて聞く怯えの色が滲んでいた。

 無理もない。ルイスの目にも、藤花が樹を見て逃げたように見えたのだから。


「それでも君が行かなくてどうする。君の他に、誰が藤花さんの言葉を聞いてやれるんだ」


 藤花の気持ちを一つ一つ掬い上げて、耳を傾けてきたのは樹だ。

 今までも。たぶん、これからも。

 しかし、樹はなかなか藤花を追いかけようとはしなかった。


「俺じゃなくても──」


 言いかけて、樹が口を噤んで目を逸らす。それより先は口にしたくなかったのだろう。

 ルイス(あんた)がいる、とは。口が裂けても。

 だからこそ、ルイスは自分よりほんの少し背の低い友人を覗き込んで圧した。


「僕が追ってもいいのか」


 ぎらり、と樹の瞳が光ってルイスを見上げる。


「僕が慰めてしまってもいいのか」


 重ねた挑発に、樹がどん、とルイスの胸を拳で打った。

 そのまま拳で押しのけるようにして、樹が藤花の消えた背中を追って走り出す。


 はあ、と息を吐いて、ルイスは胸をさすった。

 急場しのぎの手は打てたと思うが、それにしても藤花の身に一体何があったのだろう。

 あっという間に見えなくなった二人の影を目で追うように佇んでいると、ふいに声をかけられた。


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