死亡フラグ男と「先に行け」の男
俺の名前はトミー・ライアン。二十歳。
戦争漫画『アイアン・フロント』に出てくる新兵だった。
最後の一番の記憶は、出撃前夜の酒場だ。
一コマ目。俺は戦友に言った。
「この戦いが終わったら、故郷の恋人のマリーと結婚するんだ」
二コマ目。戦友のジョセフが「いい話じゃないか」と笑った。
三コマ目。翌朝の戦場で、俺は敵の爆撃に巻き込まれた。瀕死の状態で、ジョセフにマリーへの婚約指輪を渡して、息を引き取った。
天の声が脳裏に見せてくれた映像では、ジョセフも脇役だったらしいが、彼には名前があった。俺は「新兵A」だった。
あの台詞を言って生き残った奴を、俺は見たことがない。でも、分かってほしい。あの状況になると、実際に言いたくなってしまうんだ。
バトルロワイヤル五日目の夕方。
俺は、渓谷にかかる吊り橋の前で、三十分ほど立ち尽くしていた。
長さは百メートルほど。深い霧のせいで、向こう岸は見えない。板は古く、縄は軋み、足元は霧に覆われた谷底だ。幅は人ひとり分しかない。
引き返す手もあったが、後ろの森には、昨日から凶暴な熊がいる。
前世で瞬殺されたモブが、バトルロワイヤルで熊に襲われて脱落。情けなさすぎる。それだけは、どうしても避けたかった。
「トミー殿、そろそろ渡るであります」
肩の上で、軍帽をかぶった白い鳩が言った。
『突撃! ドタバタ第八中隊』の公式マスコット、伝書鳩のポッポ軍曹。全九巻。毎巻、戦場から故郷へ手紙を運んで読者を泣かせた……と、本人は言っている。
軍曹。俺より階級が上だ。鳩なのに。
「高いな」
「高いであります」
「橋もボロすぎる。渡り切るまで、持つとは思えない」
「では、熊のいる森に戻るでありますか?」
「熊も怖い」
「自分も怖いであります」
進むも地獄、戻るも地獄。
「新兵の宿命であります」
この、なんの役にも立たない相槌が、俺は結構好きだった。
「ところでトミー殿。能力、まだ一回も使っていないであります。使えば熊にも勝てるかもしれません」
「使うのが怖いんだよ」
「確認するであります。トミー殿の能力は【帰ったら結婚するんだ】」
「何度聞いてもひどい名前だ」
「死亡フラグを口にすると、身体能力が上がる。『帰ったら結婚する』は最大級。『帰ったら一杯やろうぜ』は中級。『妻の手料理をご馳走するぜ』は最弱」
「妻の手料理は弱いのか?」
「世の妻たちには、内緒であります」
ただし、強くなっている間は、あらゆる攻撃が急所に当たりやすくなる。強ければ強いほど、危ない。
前世の死に方に見合った能力、らしい。つまり、少し強くなる代わりに、前世と同じ死に方へ少し近づく能力だ。
「熊の一撃を急所に食らったら、即脱落だろうが」
「確かにそうであります」
俺は覚悟を決めて、橋に足を乗せた。
ぎしっ。
板が鳴った。ぎしっ、ぎしっ、ぎしっ。思っていた以上に揺れる。
半分ほど渡ったところで、軍曹が低い声を出した。
「トミー殿、前方、人影であります。一名」
深い霧の向こうから、道着に鉢巻の大男が、こちらへ歩いてくる。さっきから揺れが妙に大きかったのは、このせいか。向こう岸からも、人が渡ってきていたのだ。
太い眉。四角い顎。丸太のような腕。いかにも「主人公の仲間の、頼れる兄貴分」という風貌だった。肩の上では、炎の塊のような生き物が「だぜ!」と叫んでいる。
「やばい、強そうだ」
「強そうであります」
「でも、後ろは熊だ」
「熊であります」
橋のちょうど真ん中で、俺たちは足を止めた。
男は、ごくりと喉を鳴らした。顔が引きつり、足が笑っている。
……あれ。もしかして、ビビってる?
「お、お先にどうぞ!」
先に口を開いたのは、向こうだった。声は野太いのに、微かに震えている。
「え」
「橋が狭いからな! 譲り合いは大事だ! こんな狭くてボロい橋で、戦いなんてできるわけないからな!」
確かにその通りだ。戦闘になったら、お互いの身よりも先に、橋が持たない。
だけど、待てよ。そう思わせておいて、すれ違いざまに仕留める気じゃないのか。
俺のポケットには、木を研いで作った小型の杭が何本かある。これをすれ違う時に首元に刺せば……。でも、死に際に暴れられたら、橋が……。
「いや、そちらこそ、お先にどうぞ」
「いやいや」
「いやいやいや」
攻撃するべきか否か、答えは出ないまま、譲り合いは続いた。
「トミー殿。あちらも、きっと同じことを考えているであります」
軍曹が、耳元で囁く。
「そうだろうな。だがな、軍曹。こういうのは、先に仕掛けた方が返り討ちに遭う」
そうなのだ。新兵A。雑魚敵。チンピラ。モブが先に殴りかかり、主人公が一撃で返り討ちにする。それが、俺たちの業界の常識だ。俺たちほど、それを知っている人種はいない。
「鉄平! 先手必勝だぜ! 行けだぜ!」
男の肩の炎が叫んだ。
「馬鹿言うな、ガッツ丸! 先に手を出した奴は死ぬんだ! それに、この橋で戦いなんかできるか!」
「だぜ!?」
男は、俺に向き直って、胸を張った。
「俺は岩城鉄平! ゾンビ漫画『栃木アンデッド』の、仲間Bだった! 十八だ! 君は?」
「……トミー・ライアン、二十歳。新兵Aだ」
「Aか。Bの俺より、一つ格上だな。年も上だし」
「出番の数は、ほぼ同じだったと思うがな」
「そうか……」
なんだか、妙に話しやすい。
そのとき、強い風が吹いた。橋が、ぐらりと大きく揺れた。
「うわあああ!」
「おおおおお!」
二人で縄にしがみつく。心臓が、口から出そうだ。鉄平の顔は、完全に青ざめていた。
「トミーさん、ここは一つ提案なんだが、お互い手は出さず、安全に渡り切ることを優先しないか?」
「……良い提案だ」
この言葉に、嘘はないように感じた。
「あの、鉄平君。高い所が苦手なのに、どうしてこんな橋を?」
「あちらの岸で、虎に追われたからだ。霧で見えないだろうが、木の影にいる」
「虎だって!? こっちの岸には、凶暴な熊がいるぞ」
「なんだって!?」
「鉄平のバカっ! なんで教えるんだぜ! このまま行かせて虎の餌食にすれば、参加者を減らせたのに!」
「トミー殿も同じであります。熊の餌食にしてしまえば良かったのに、お互いバカ正直であります」
「うるさい! 空を浮ける君たち精霊に、今の俺たちの恐怖が分かるか!」
「そうだそうだ!今は駆け引きなんてする余裕はないのだ!」
軍曹とガッツ丸が、やれやれという顔で、揃って首を振った。
「これだから瞬殺モブは……であります」
「だぜ」
前方は虎、後方は熊。どちらも勝てる気がしない。
いや、待てよ。
「鉄平君。この窮地を切り抜けるまで、協力しないか?」
「協力して、虎か熊を倒せるのか?」
「分からない。でも、お互いの能力を教え合えば、戦略が立てられる」
「鉄平! 誘いに乗るなだぜ! 能力を知られたら、不利になるんだぜ!」
「分かってる。でも、他にいい案があるのか、ガッツ丸?」
「そ、それは……」
ガッツ丸は、黙った。
「いいだろう。ただし、まずは君からだ」
「俺の能力は、【帰ったら結婚するんだ】」
「は?」
「だから、【帰ったら結婚するんだ】だ」
「ふざけているのか!」
「冗談じゃない! 死亡フラグを口にすると一分間強くなる能力なんだ。ただ、強くなっている間は、攻撃を急所に食らいやすくなる」
鉄平は、しばらく俺を見つめた。
「……強くなる代わりに、死にやすくなるのか」
「次は鉄平君の番だ」
「俺の能力は、【ここは俺に任せて先に行け】だ」
「ふざけた名前だな」
「君に言われたくない!」
鉄平は、咳払いをして続けた。
「能力名を叫んだ後に、俺に任せて、先へ進んだ者が多いほど、俺の身体能力が上がる。そして、敵とみなした相手の注意を、俺に引きつけられる。ただし、仲間がいて初めて意味がある能力だ。一人では何の役にも立たない」
「それ、さっきの俺の能力の弱点を、全部潰せないか?」
「……潰せるな」
俺たちは、顔を見合わせた。
俺の弱点は、攻撃が急所に当たりやすいこと。ならば、敵の注意が鉄平に向いている間は、攻撃を食らう心配がない。鉄平の弱点は、仲間がいなければ強くなれないこと。ならば、俺が先に行くたびに、強くなれる。
「鉄平殿の弱点と、トミー殿の弱点が、ちょうど埋まるであります」
「俺たち、最強のコンビかもしれないぞ」
「……まあ、理屈の上では、そうだな」
そのとき、霧の向こうから、獣の低い唸り声が聞こえた。
「橋の上で話している場合じゃないぜ」
「どっちの岸に行く?」
「熊側の方が、少しだけ近い」
鉄平は、もう限界、という顔で言った。
橋を渡り切り、俺は熊の岸へ降り立った。
鉄平は、地面に膝をついて、大地に頬ずりをしていた。
「地面だ……。ありがとう……」
「戦いは、これからだぞ」
作戦は簡単だ。鉄平が前に立って、熊の注意を引きつける。俺は先に行って、背後に回り込む。能力が発動している間は、熊は鉄平しか見ない…はず。その隙に、俺が急所を突く。
「ちょっと待て。先に行って、戻ってくるのでありますか?」
「一度先に行きさえすれば、条件は満たすだぜ!」
「理屈なら、そうであります」
抜け穴を突くのは、いつの時代も得意技だ。
森の入り口に立つと、熊が現れた。
三メートルはある巨体。黒く濡れた毛並み。鋭い爪。凶悪な目が、俺たちを睨みつける。
「思ったよりでかいな」
「でかいぜ」
鉄平は、深呼吸をして、一歩前へ出た。足は、まだ笑っている。
「いくぞ、ガッツ丸」
「おうだぜ!」
「ここは、俺に任せて先に行けッ!」
鉄平が、叫んだ。
俺は、頷いて走り出した。熊の脇をすり抜け、森の奥へ。そのまま十メートルほど走って、立ち止まる。
振り返ると、鉄平の体が、一回り大きく膨らんでいた。
筋肉が盛り上がり、道着が悲鳴を上げる。熊の目が、鉄平だけを見ていた。
「効いてる!」
「トミー殿、次であります! 熊の背後から、能力を!」
俺は、深く息を吸った。そして、一番強い言葉を、口にした。
「俺はこの戦いが終わったら、故郷のマリーと結婚するんだ!」
体の奥から、熱が噴き出した。視界が、鮮明になる。足が軽い。手の杭が、驚くほど軽く感じられた。
「最大級、発動であります! 急所への被弾リスク、最大でありますよ!」
「分かってる!でも、今は…」
熊は、鉄平に襲いかかった。
鉄平は、両腕でその爪を受け止めた。ずん、と地面が沈む。足が震えている。顔は真っ青だ。それでも、熊の目を、真っ直ぐに睨んでいた。
「ぬおおおおお! 鉄平、耐えるんだぜえええ!」
「ガッツ丸、静かにしろ!」
俺は、熊の背後に、音を立てずに回り込んだ。
杭を握り締める。狙うのは、首の付け根。そこが、一番の急所だ。
踏み込む。跳ぶ。杭を突き立てる――。
「うおおっ!」
鉄平の足が、ずるりと滑った。
熊の注意が、鉄平から、ほんの一瞬だけ外れた。
「トミー殿、危ないであります!」
熊が、振り向いた。
爪が、俺の喉元に迫る。能力の効果で、急所へ吸い込まれるように。
死ぬ。
新兵Aの人生が、頭の中を駆け抜けた。マリーの笑顔。ジョセフの声。
「させるかァァァ! ここは俺に任せろォォォ!」
鉄平が、再び叫んだ。
再び、熊の視線が鉄平に引き戻される。爪は、鉄平の肩を裂いた。光の粒子が、勢いよく噴き出す。
「鉄平君!」
「構うな! やれえええ!」
俺は、杭を、熊の首の付け根に突き立てた。
ずぶり、と鈍い手応え。
熊が、咆哮を上げた。巨体がのけぞり、そのまま、どさりと地面に倒れ込む。
静寂が、戻った。
俺たちは、しばらく動けなかった。
鉄平は、仰向けに倒れたまま、荒い息を吐いている。肩のあたりから、アニマが漏れ出していた。
俺は、尻もちをついたまま、震える手を見つめた。
「……勝った、のか」
「勝ったであります。おめでとうございます、トミー殿」
「やったぜ、鉄平!」
鉄平が、ゆっくり起き上がった。
「……君が動いてくれなければ、負けていた」
「いや、鉄平が引きつけてくれなければ、死んでいた」
二人とも、ぷっと吹き出した。
笑いは、しばらく止まらなかった。
日が、落ちかけていた。
橋の向こうの霧が、夕焼けに染まっている。
焚き火のそばで、俺たちは並んで座っていた。ポッポ軍曹とガッツ丸は、少し離れたところで、何やら愚痴を言い合っている。
「なあ、トミー」
「ん?」
「前世で、君は、新兵Aだったんだろう」
「ああ」
「俺は、ゾンビ漫画の仲間Bだった。空手部の主将をしていた俺は、漫画の第一話目で、大量のゾンビが街に溢れている中で、主人公の後ろで『ここは俺に任せて、先に行け』って言って、敵に突っ込んで、二コマで終わった」
「やっぱり、あの台詞は死亡フラグだな」
「ああ。……でも、俺は、あの台詞を言ったことを、後悔してないんだ」
鉄平は、焚き火を見つめた。
「あれは、俺なりの、仲間への想いだったから」
俺は、何も言わなかった。
前世で、俺は「新兵A」だった。それでも、ジョセフに指輪を託した最後の言葉は、嘘じゃなかった。
「トミー」
「なんだ?」
「俺たちは、最後の一人しか、主役になれない」
「……分かってる」
「だから、いつかは戦うことになる」
「ああ」
「でも、今日は、本当に助かった。ありがとう」
鉄平が、手を差し出した。
俺は、その手を握った。大きくて、分厚くて、まだ、少し震えていた。
「次に会ったら、敵同士だ」
鉄平は立ち上がり、この場を去ろうとした。
「待ってくれ、鉄平」
「なんだ?この場で決着をつけたくなったのか?」
「違う。もし良かったら、このまま一緒に行動しないか?」
「何だって?」
「俺たちの能力は相性が良い。一緒に行動すれば生存率も上がる。どうせなら最後の二人まで生き残ってから決着をつけよう」
「ははは。こんな世界で仲間か。悪くないな」
「じゃあ鉄平…」
「あぁ、死亡フラグ同盟結成だ」
鉄平がゴツゴツとした手を差し出す。
俺はその手をぎゅっと握り返した。
その手はとても頼もしく思えた。
しかし、いつかはこの人も倒さなければならない。
なんて厄介な世界なんだ。




