黙れ!ゴンザレス
第五話 黙れ、ゴンザレス
女子高生を取り逃がしてから、丸一日が経った。
俺様の名は、ゴンザレス。荒野の覇者だ。
山荘を出て、女を見失ってから、しばらく雪山を歩いていると、気づけば景色がジャングルに変わっていた。この世界は、地面のつなぎ目が、どうも雑にできているらしい。
湿った空気。人の顔ほどある葉っぱ。やたらでかい虫。自慢のモヒカンが、湿気でしんなりしている。
「兄貴ィ、腹減ったぜぇ」
「食べ物ならその辺にいくらでもあるだろうが、木の実とか果物とか」
「俺は肉が食いてーんだよぉー。ジャングルのくせに牛も豚もいねぇ」
「ジャンルに牛がいるか馬鹿っ」
肩の上で、ドクロが舌打ちした。
黒マントに、赤く光る眼窩。世紀末バイオレンス漫画『鉄血の華』の公式マスコット、ドクロ兄貴。全十二巻、全巻に登場。ただし、毎回、主人公にボコボコにされる役である。
「にしても、昨日の小娘を逃がしたのは痛かった」
「へへっ、兄貴ィ、あいつ、可愛い顔してやがったぜぇ」
「そこじゃない」
ゴンッ。
兄貴はすぐに俺の頭を殴る。
「いいか。お前は、自分の能力を最大限に発揮する前に、逃げられたんだ。次は、必ず使え。……ただし」
「ただし?」
「その前に、まず、黙れ」
……黙る。
それは俺様にとって、最も難しい課題だった。
そのとき、兄貴の眼窩が、ぴたりと止まった。
「待て。前方、人影だ」
ジャングルの切れ間に、背中を向けた男が一人立っていた。
金髪。ダメージジーンズ。手のひらサイズの四角い機械ををかざして、「圏外かよ〜」と呟きながら、きょろきょろしている。
圏外って何だ?
こいつは真っ先にやられるタイプの奴だな。背中がガラ空きだ。
いや、ここに集められた奴はみんなそうか。
兄貴が声を殺した。
「いいか、ゴンザレス。あいつはお前に気付いていない。静かに近づいて、後ろから一撃で仕留める。それだけでいい。簡単だ」
「任せてくれぃ、兄貴ィ」
俺様は、息を殺した。
ミシッ。ガサッ。バキッ。
一歩ごとに、枝が折れ、葉が鳴る。二メートル近い巨体に、金属のトゲ。静かに歩くには、向いていないにも程がある。
「(……うるさい)」
「(兄貴、これでも頑張ってるぜぇ)」
幸い、金髪は気づいていない。「電波ねぇ〜」と、まだ機械を振っている。
あと五歩。四歩。三歩。二歩。
俺様は、拳を振りかぶった。
一歩。
今だ。
「ヒィィィヤァァァ! ヒャッハァァァー!」
……あ。
ジャングルの鳥が、一斉に飛び立った。
金髪が、振り向いた。
目が合った。
俺様は、拳を振りかぶったまま、固まった。
「……え?」
「俺様はぁ! 荒野のぉ覇者ぁ、ゴンザレスだぁ! 俺様の能力はぁ、――」
ゴンッ。
兄貴の拳が、側頭部に入った。
「いてぇ! 兄貴ィ!」
「能力を言うなと、何回言った!」
金髪は、一瞬ぽかんとして、それから、みるみる青ざめた。
「出た……変な奇声……絶対に死ぬやつだ、これ……!」
彼は、くるりと背を向けた。
「ホラーの鉄則その一! 奇声を聞いたら走れ!」
猛ダッシュだった。判断が異様に速い。
「おい、待て――」
「追うな。お前のノロさじゃ追いつけない。無駄な体力を消費するだけだ」
兄貴が俺様の頭にしがみついて、ポカポカと殴り始めた。
「今のは! 背後から! 襲えただろうがぁ! 何で奇声を上げるんだ!」
「つい、いつもの癖で、兄貴ィ、すまねぇ……」
「しかも、毎回、能力を言おうとするな! 俺が何回止めたと思ってる!」
「だって、名乗りには、能力を言うのが付き物だと思って……」
「付かん! 敵に能力を教えて、何の得がある!」
「えーと……カッコイイ……」
ポカポカポカポカ!
そんなに痛くはない。ただ、うるさい。
兄貴は、肩で息をしながら、俺様を睨んだ。
「……決めた。今日から、黙る練習をするんだ」
「黙る?」
「そうだ。お前は、登場すると必ず奇声を上げる。それが、お前の最大の弱点だ。声さえ出さなければ、お前は、このバトルロワイヤルで誰よりも強い。……たぶん」
「たぶん?」
「お前の能力が、使えさえすれば、の話だ」
「兄貴ィ、俺様の能力って、確か――」
「言うな!もう特訓は始まってるんだ」
ゴンッ。
「……よし。そこの木の前に立て。声を出さずに、三十秒、立っていろ」
「三十秒ですかい。楽勝だぜぇ、兄貴ィ」
俺様は、木の前に立った。
一秒。二秒。三秒。
唇を、ぎゅっと結ぶ。モヒカンが、ぷるぷる震える。
四秒。五秒。
喉の奥で、何かが暴れている。
「…………ヒ……ヒ……」
「我慢だ」
「ヒィ……」
「我慢だぞ」
六秒。
「ヒィィィヤァァァ!」
ゴンッ。
「六秒、持ちやしたぜ兄貴ぃ」
「六秒で喜ぶな、短すぎるわ」
二回目。
俺様は、そこらに生えていた大きな葉っぱを、口に咥えた。これで、声は出ない。完璧な作戦だ。
十秒。十五秒。
鼻の穴が、ひくひくと膨らむ。呼吸のたびに、「フシュー、フシュー」と、巨大な牛のような音がジャングルに響いた。
「鼻息がうるさい」
「ふご(無理だぜぇ)」
「口を開くな」
二十秒。
兄貴が、俺様の耳元で、小声で言った。
「いいぞ。あと十秒だ。……我慢だ、我慢だ」
「(ふぐぐぐぐ……!)」
全身が、小刻みに震える。額から、汗が滝のように流れる。
あと五秒。四秒。三秒。
そのとき、鼻の頭に、一匹の蝶が止まった。
「……ふ」
「待て」
「ふ、ふ」
「待て待て待て」
「ハッックションィィィヤァァァ!」
「くしゃみに奇声を混ぜるな!」
ゴンッ。
三回目。
兄貴が、そこらに垂れていた蔦を、俺様の口にぐるぐると巻きつけた。
「これなら、声は出ん」
「んんん(さすが兄貴ィ)」
十秒。二十秒。……いける。
いけると思った、その瞬間。
「んんん、んんんヤァァァ!」
蔦の隙間から、こもった奇声が漏れた。ジャングル全体に、くぐもった「ンヤァァァ」が響き渡る。木の上で寝ていた猿が、驚いて落ちてきた。
「口を塞いでも出るのか!」
「ふごご(面目ねぇ)」
四回目。
蔦も、葉っぱも、もう要らない。ただ、心を無にする。ただ、心を無にする。
無になれ。俺様は、石だ。木だ。ただのモヒカンの置物だ。
一分。二分。
……不思議な感覚だった。
体の奥が、じわりと熱い。全身の傷跡が、ほんのり赤く光っている気がする。足元の草が、俺様を中心に、ざわりと揺れた。
これが悟りというやつか。
「……おい」
兄貴の声が、いつになく低かった。
「ゴンザレス。そのまま、動くな。喋るな」
三分。
「……それだ。その感覚を、覚えておけ。お前の力は、そこにある」
……よく分からないが、兄貴が真剣な声を出すと、少し、怖い。
そのとき。
ガサッ。
茂みの向こうから、見覚えのある金髪が、ひょっこり顔を出した。
「あれ? 静かになってる」
金髪の男は俺様をじっくりと観察してくる。
「全然動かなくなってる。絶対にじっとしてられないタイプだろ、コイツ。もしかして、死んだ?」
さっきの男だ。戻ってきやがった。
「ちょっと、見てみようかな。怖いし、戻ってきたらマズイって分かってても、来ちゃうんだよなぁ。触ったら何かあるかもって思うと、触らずにはいられないんだよなぁ…」
一人でぼそぼそと言いながら近づいてくる。
「ホラーで、一番死ぬやつだな」
兄貴が耳元で囁く。
金髪は、手に持っていた機械のライトを点けて、そろそろと近づいてくる。
俺様は、動かない。石だ。木だ。モヒカンの置物だ。
「……あれ。動かないな。さっきまでは奇声あげて襲ってきてたのに」
つん、と、俺様の腕を指でつついた。
つん。つん。
耐えろ。耐えろ俺様。今はただのモヒカンの置物なんだから。
「……やっぱ動かないな。モヒカンの、ここ、どうなってんだ」
金髪の指が、モヒカンの先端を、すっと撫でた。
「……くすぐってぇ」
「え」
「ヒィィィヤァァァ! ヒャッハァァァー!」
「うわああああ、やっぱ生きてたぁぁぁ!」
金髪は、今度こそ、振り返りもせずに走り去った。
ジャングルに、本日五度目の奇声が響いた。
ドクロが、ゆっくりと、俺様の頭にしがみつく。
ゴンッ。ゴンッ。ゴンッ。
「へへっ、兄貴ィ、俺様、やりましたぜぇ。三分以上黙れましたぜぃ」
「問題は! 誰かが現れた瞬間なんだよ!それに、あの近づいてきた時になんで攻撃しなかったんだよ!絶好のチャンスだったろーが」
「いや、俺はただのモヒカンの置物で…」
「バカバカバカバカっ」
ポカポカポカポカ。
……明日は、誰かが現れてからの練習だ。
俺様は、ぼんやりとそう思いながら、葉っぱの隙間から見える、空を見上げた。




