世紀末風の男
第四話 世紀末風の男
足音が、部屋の前で止まった。
ガチャ、ガチャガチャ。
ドアノブが乱暴に回される。押し付けた机が、ぎしりと軋んだ。でも、開かない。
私は部屋の隅で膝を抱え、火かき棒を胸に抱いて息を殺した。お願い、諦めて。そのまま帰って。
「……ニコ」
「静かに。まだ、扉の外にいるよ」
ガチャ、ガチャ。ガチャ。
音が、止んだ。
助かった?
そう思った瞬殺、ドガァァァン!という音と共に、扉が爆ぜた。
木片が降り注ぎ、机が壁まで吹き飛ぶ。粉塵の向こうに、巨大な影が立っていた。
「ヒィィィヤァァァ! ヒャッハァァァー!」
耳をつんざく奇声。
二メートル近い巨体。天を突くモヒカン。袖のない革ジャンには、金属のトゲがびっしり生えている。丸太みたいな腕には、無数の傷跡。
私は、少年漫画をほとんど読んだことがない。それでも、この人は知っていた。
世紀末みたいな世界で、変な奇声を上げて、わけの分からない短い悲鳴を上げて死ぬ人。登場は数コマなのに、誰もが知っている。モブ中のモブ。
怖いはずだった。なのに、最初に浮かんだ感想は、これだった。
――本当に、こんな人がいるんだ。
「俺様はぁ! 荒野のぉ覇者ぁ、ゴンザレス様だぁー。俺様の能力はなぁ――」
「おいコラァ」
男の肩のあたりで、低い声がした。
黒マントを羽織った、小さなドクロのマスコットが浮いている。眼窩は赤く光り、口には牙。いかにも悪役、という顔つきだ。
「能力まで喋る気か、このボケがぁ!」
ゴンッ。ドクロが、男の頭を殴った。
「あー……そうだったぜ、兄貴ィ」
「バラしたら不利になるだろうが! 戦闘の基本だぞ!」
……この人たち、何しにここへ。
男はぽりぽりと頭を掻き、私に向き直った。その目が、私の全身を舐めるように動く。
背筋が、凍った。
「おぉー、よく見たら若くて良い女じゃねぇーかぁー」
あの夜と同じ目だった。
「たっぷり可愛がってやるぜぇー!」
大きな手が、私に伸びてくる。
寒気と嫌悪感が全身を駆け巡る。
「いや……!」
バチン!
見えない壁に弾かれて、男の腕が跳ね上がった。
「なんだぁ?」
男が、自分の手を見つめる。
触れられてない。傷ひとつない。でも、あの夜の記憶が、一気に押し寄せてきた。雨の匂い。手首を掴まれた感触。声が出なかった喉。
胃の中のものが、込み上げた。
「うっ……」
私は、その場に吐いた。
「うわ、汚ねぇ!」
男が、露骨に顔を歪めて一歩引いた。
その瞬間、ニコが叫んだ。
「灯ちゃん、まずい! 今、下心が消えた!」
ドッ。
横から、巨大な拳が飛んできた。
視界が白く弾けた。壁に叩きつけられる。肋骨が軋み、肺から息が全部抜けた。腕から、光の粒が煙のように漏れ出していく。
「あ……う……」
「まずいっ。アニマが流れてる! 灯ちゃん、聞いて!」
ニコの声が、必死だった。
「相手に下心を持たせないと、バリアが働かないんだ」
下心。
私が、一番嫌いなもの。
「汚ねぇなぁ。さっさと終わらせるか」
男が拳を振り上げる。
死ぬ。もう一度、死ぬ。
考えて。考えるんだ。この人は、さっき、私を見て、何を考えていた?
私は、震える手で口元を拭った。そして、顔を上げた。
涙が、勝手に流れていた。それを、そのままにした。
「……お願い、やめて」
自分でも驚くほど、小さくて、か細い声が出た。
「あなた、強いんですね。……私、怖くて、動けません」
男の拳が、ぴたりと止まる。
「……へへっ」
口の端が、ゆっくりと吊り上がった。
「やっと分かったかぁ? そうだ、俺様は強ぇんだ。逆らわなきゃ、可愛がってやるぜぇ」
嫌悪感で、全身の皮膚が逆立った。最悪だ。こんな人の機嫌を取るなんて。でも、同時に確信した。
バリアが、戻った。
男の下心が、戻ったんだ。
私は、傍らの棚に手を伸ばした。指先に、金属の台座が触れる。重たい間接照明。
「……ごめんなさい」
「あぁ?」
私は、渾身の力で、それを投げつけた。
ガンッ!
照明が、男の額に直撃した。
「ぐおぉぉっ!?」
男が頭を押さえて、悶絶する。指の間から、光の粒子が、ぶわっと噴き出した。
「あ……」
私は、ぽかんと見つめた。
「ニコ、あの光の煙は何?さっき私の体からも出てたけど」
「アニマだよ。この世界の生命エネルギーだね」
ニコが、肩の横で説明してくれる。
「アニマは生前の血液と同じような役割をしているんだ。今回の参加者はみんな霊体だから、血が流れてなくて、代わりにあのアニマで動いているんだ。アニマが減れば、動けなくなる。ゼロになったら、脱落だ。でも時間の経過で回復もするから安心して」
「……なんか、ゲームみたい」
こぼれた言葉は、思ったより冷静だった。
血が流れるような残酷な殺し合いなら、全く戦える気がしなかった。
だけど、これなら戦える。倒せるかもしれない。
ゲームだと思い込むんだ。
でも、同じ瞬間に、気づいてしまった。
この人は今、下心があるから、私に触れられない。でも、追い詰められて、本気で怒ったら? 私を、ただ殺そうとしたら? その時、バリアはもう、働かない。
「てめぇ……やりやがったなぁぁぁ!」
男の顔から、ニヤつきが消えていく。額に血管が浮いていた。
「ヒィィィヤァァァ!」
奇声とともに、男が飛びかかってきた。拳が、壁を砕き、床を踏み抜き、ベッドを真っ二つにする。でも、そのどれもが私には届かない。弾かれる。弾かれる。
でも、苛立ちが募っていくのが、はっきり分かった。
このままじゃ、下心より怒りが上回る。
「ニコ、逃げよう!」
「うん! 扉の方へ!」
私は、床を蹴った。
壊れた扉を抜けて、階段を転げ落ちる。後ろから、地鳴りのような足音が追いかけてくる。男の手が、私の肩を掴もうとして、また、弾かれた。
良かった。まだ、下心は残っていた。
「待ちやがれぇぇ!」
でも、男の足は、遅かった。
私は、山荘の玄関を蹴破って、雪の中へ飛び出した。吹雪が顔を叩く。それでも、足を止めなかった。
走る。走る。走る。
何時間も休まずに、息が切れても、脇腹が痛くなっても。
どれだけ走ったのか、わからない。
吹雪の音が、いつの間にか消えていた。足元の雪が、石畳に変わる。気づけば、中世みたいな石造りの街並みが、目の前に広がっていた。
私は、路地裏の壁に背中を預けて、そのままずるずると座り込んだ。
人の気配は、ない。
追いかけてくる足音も、聞こえない。
「……逃げ、られた」
全身が、がくがくと震えていた。呼吸が、まだ荒い。でも、生きている。
「すごいよ、灯ちゃん」
ニコが、ふわりと私の頬に寄り添う。
「自分で考えて、自分を守ったんだ。ちゃんと、戦えてたよ」
涙が、またこぼれた。でも、さっきまでの涙とは、少し違った。
今度は、逃げられた。
私は、自分を守れた。
そう思うと、胸の奥に、小さな熱が灯った。
でも。
私は、拳を握った。
守るだけじゃ、だめだ。あの人は、きっとまた来る。
次は、もっと強い人が来るかもしれない。
「ニコ」
「うん」
「私、戦う方法を、考える」
私の中で、何かが、確かに変わっていた。




