一文だけの被害者
高台で脳裏に見せられたのは、小説の一ページだった。
白い紙に、黒い文字が並んでいる。その中の、たった一行。
『三人目の被害者、雨宮灯十七歳は、犯人に襲われた末に殺害されていた』
それだけ。
痛かったことも、怖かったことも、誰にも届かなかった声も、全部「襲われた末に」の中に押し込められていた。私の最後の夜は、一文で終わっていた。
私の今までの人生は全てこの一文のためだけのものだったの?
「……ひどい」
声が出た時には、天の声はもう続きを話していた。百人でバトルロワイヤル。最後の一人だけが主役になれる。
周りの人たちは、拳を握りしめたり、泣いたり、膝から崩れ落ちたりしていた。鎧を着た男の人は「二コマ」だったらしい。私は一文。比べるものじゃないけど、誰の人生も、あんまりだと思った。
殺し合い。
その言葉で、私の膝の力が抜けた。無理。絶対に無理。もう怖い思いは、二度としたくない。
『三、二、一』
視界が真っ白に弾けて、私の意識は、そこで途切れた。
次に目を開けると、本当に真っ白だった。
雪だ。足首まで埋まる雪と、横から叩きつけてくる吹雪。制服のスカートが一瞬で凍りつきそうなほど、風が冷たい。
「さ、寒い…!」
叫んでも、風にかき消される。立っていたら凍る。歩かなきゃ。でもどっちへ。
そのとき、吹雪の切れ間に、小さな明かりが見えた。
山荘だ。
丸太でできた大きな建物で、窓に暖かい色の灯りがともっている。私は転びそうになりながら、雪をかき分けて走った。
扉を開けて、中に転がり込む。
暖炉に火が入っていた。ソファ、毛布、木のテーブル。誰もいない。でも、さっきまで誰かがいたみたいに、温かい。
扉を閉めて、背中を預けて、ようやく息ができた。
「……助かった」
そう思って、ふと気づいた。
吹雪の山荘。無人。暖炉。
「ミステリーだと、こういう山荘って、絶対に誰か死ぬやつだ……」
自分で言って、自分で怖くなった。自分はまさしく、そのミステリー小説の中で亡くなったのだから。
毛布を頭から被って、暖炉の前で膝を抱えた。
「……やだ。やだよ」
あの夜の雨の匂いが、まだ体の芯に残っている。背後から近づく足音。手首を掴まれた感触。喉が凍ったみたいに、声が出なかったこと。死んでも消えてくれなかった。
「大丈夫だよ」
すぐそばで、声がした。
顔を上げると、丸い光の玉が、ふわふわと浮いていた。太陽をそのままデフォルメしたような、金色のまんまるな体。ほっぺには赤い丸、頭には小さな雲の帽子。
「ボクはニコ。サポート精霊だよ。灯ちゃんの担当なんだ」
「……ニコ?」
見覚えがあった。小学生の頃、朝ごはんの時間にテレビで見ていた。
「もしかして、『おはよう日本晴れ』の、お天気の……」
「そう! 放送二十年、毎朝『今日もいい天気』って言ってたんだ。知ってるんだね」
「もちろん知ってるよ。毎日観てたから」
目の前にいるのは本物のニコだった。
「僕のこと知ってるってことは、灯ちゃんの小説を書いた作者が、『今日もいい天気』が放送されているのと同じ時代の日本を舞台にしてたんだね」
ニコは、ぽわんと窓の外を見て、少し気まずそうに言った。
「えっと、今日の天気は……吹雪、かな」
「……いい天気じゃないね」
「うん。ボクは予報するだけで、天気は変えられないんだ。ごめんね」
その声が、あまりにも優しくて。
気がついたら、涙があふれていた。
「ニコ、私、こわい」
「うん、怖いよね」
「こわいよ。殺し合いなんて、できない。あんな思い、もうしたくない。私、ただ、普通に生きたかっただけなのに」
ニコは何も言わず、私の頬の横にぴたりと寄り添ってくれた。ほんのり、温かかった。
私が泣き止むまで、ずっと、そばにいてくれた。
「落ち着いた?」
「……うん。ごめんなさい」
「謝らなくていいんだよ。灯ちゃん、いい名前だね。吹雪の中で、あの山荘の窓の灯りを見つけたのも、きっと偶然じゃないよ」
「……そうかな」
「うん。それでね、灯ちゃんに、大事なことを伝えなきゃいけないんだ」
ニコが、きりっと表情を引き締めた。
「灯ちゃんの特殊能力が決まったよ。ボクには灯ちゃんの能力しか見えないけど、これはきっと、力になる。発表するね」
「……はい」
「【下心お断り☆バリア】だよ!」
「…………」
「…………」
「……え、名前、それ?」
「うん。名前は、ボクが付けたんじゃなくて、自動で決まるんだ」
涙が、ぴたりと止まった。
こんなに真剣に聞いていたのに。もう少しどうにかならなかったのかな。
「でも、効果は本物だよ」
ニコは丁寧に説明してくれた。
この能力は、私に「かわいい」とか、そういう下心を向けた相手の攻撃を、すべて無効にしてくれる。拳も、刃物も、魔法も。下心がある限り、その人の攻撃は、私に届かない。
「これは、灯ちゃんの前世から生まれた能力なんだ。『身を守りたい』っていう気持ちが、そのまま力になったんだよ」
私は、言葉が出なかった。
あの夜、私が一番ほしかったもの。誰にも触れさせない、誰にも傷つけさせない力。
でも、その力を動かすのは、私が一番忌み嫌うものだった。
「……皮肉だね」
「うん。ボクもそう思う」
ニコは、ごまかさなかった。
「嫌だよね。でも、それで守られるのは、灯ちゃんだよ。使えるものは、使っていいんだ」
私は、ゆっくりうなずいた。
「ただし、条件があるよ」
ニコが続ける。
「下心のない相手には、バリアは発動しない。だから、相手が攻撃が当たらないことに対してイラついたり、怒ったりして、下心がなくなった場合には攻撃を受けてしまうことがあるんだ」
「……無敵じゃないんだね」
「うん。でも、何の力もないよりは、ずっといいよ」
そうだ。何もなかった、あの夜よりは。
私は、毛布をぎゅっと握った。
「ニコ。私、勝ちたいって思えないんだ」
「うん」
「誰かを倒すとか、主役になるとか、全然わからない。でも、もう一回死ぬのは、もっと怖い」
ニコは、ふわりと笑った。
「それでいいんだよ。まずは、生き残ることだけ考えよう。灯ちゃんは、一人じゃないから」
私は、立ち上がった。
膝はまだ震えている。呼吸も浅い。それでも立てた。暖炉のそばに、鉄の火かき棒が立てかけてあるのが目に入った。武器は現地調達、と言われたことを思い出して、おそるおそる握る。重い。使い方も、わからない。
山荘の中を隈なく物色して、武器になりそうな物を周りに置いて、二階の個室の扉には机を押し付けて開かないようにしてから、ベッドへ潜り込んだ。
不安と恐怖は一向に無くならない。
お父さんとお母さんに会いたい。
そう思い続けているうちに、自然と微睡んでいった。
この山荘に潜んで三日が経ち、私とニコはすっかり仲良くなり、この世界の生活にも慣れてきた。
山荘にはしっかりと食料が備蓄されていて、当面の生活には困らないだろうと安心し始めていた。
それでも夜はやっぱり不安になる。
毎晩、私は寝落ちするまで、ニコとくだらない、元いた世界の話をした。
この日も、いつもと同じように寝落ちする。
どれぐらい寝たか分からないが、ドガァンという轟音で目が覚めた。
明らかに誰かが侵入してきた音だった。
「誰か入ってきたね」
ニコが起き上がった私の肩に乗る。
ついに始まったのかと思うと、全身に恐怖が絡みついてきたように感じた。
自然と心拍が上がり、それに比例して呼吸が浅くなる。
誰かがドスンドスンッ、と階段を踏み鳴らす音が迫ってくる。
「一人みたいだね」
ニコが、小さな声で言った。
「うん」
「灯ちゃん、無理はしなくていいからね、もし戦えないって思ったなら、隙をついて逃げるんだよ」
私は火かき棒を、ぎゅっと握りしめた。
大丈夫。私には、ニコがいる。
守ってくれる能力もある。
もう、一文では終わらせない。




