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男性がそれを拾おうと背中を向けた、その瞬間。
やつはポケットに忍ばせていたスタンガンを彼に押し当てた。そしてひるんだ隙に体当たりをし、男性は線路へ投げ出された。電車が来たタイミングと重なったのは、不運としか言いようがなかった。
事件が報道されると、多くの議論が巻き起こった。中でも多かったのは「周囲の人たちは傍観していただけだったのか。被害者が亡くなったのは彼らの責任でもあるのではないか」というコメントだった。
看護師なのに、誰ひとり救えなかった。自分のせいで将来有望な男性をひとり亡くしてしまった。事件以降、叔母は自分を責め続けた。最期までずっと。
母は彼女を気遣い、一緒に住むことを提案したが受け入れることはなかった。彼女もまた、気を遣っていたんだ。インターネット上で憶測が憶測を生み始めたからだ。現場にいたらしき人が「遠目だったからよく分からなかったけど、亡くなった男性はある女性を助けようとしていたみたい」と書き込んだ。すると、「誰? 写真ないの?」、「もっと詳しく教えて。女子高生とか?」などといった、個人情報に踏み込むコメントが出てくるようになった。つまり、俺たち家族へ風評被害が及ぶのを恐れていたんだ。
この程度ならなんてことないと思っていた。決定打となった一文は他にある。
——みんな若い女の人を想像しているだろうけど、亡くなった男性の方が確実に若かった。
それはSNSで瞬く間に拡散され、叔母の耳にも入ってしまった。心当たりがあったのか、投稿者は職場の同僚ではないか、と疑った。承認欲求を満たすためだったのか、恨みがあったのかは分からないが、叔母は人間不信に陥り退職を余儀なくされた。それからというものの、職場を転々としながら休職と復職を繰り返すこととなった。
母は当然心配した。心労が積み重なっていたことだろう。夜遅く、父と言い争う声が聞こえてきた。
俺は野球に集中した。好成績をあげれば励みになると信じていた。今まで助けてもらった分、支えなければ。あの時は、全てを野球に賭けていた。だから、目標としていたQ大学からスカウトされた時は涙が出るほど嬉しかった。そこは多くのプロ選手を輩出している。本当に実現するかもしれない。抽象的なイメージが色と形を象ってきた。
その矢先、怪我をした。肘の疲労骨折で何か月も休んだ。崩れ落ちていった。何もかも。
俺は久しぶりに叔母のところへ行った。報告したんだ。ダメだった。あれだけ応援してくれたのに、申し訳ない。
彼女はもぬけの殻同然、うわの空だった。元に戻ってほしくて、諦めずに通いつめた。そのうち憎くなった。あの事件を起こした犯人が。
なんとか情報を聞き出そうとした。犯人の少年はどんなやつだったのか。特定して復讐しようとは思っていなかった。せめて知っておきたかっただけだった。
そしてある日、叔母は観念したように口を開いた。ひき逃げが起こる半年前だったと思う。
「ハーフっぽい顔をしていた。瞳の色は暗い緑色。見間違いでなければ、うなじに火傷を負った跡があった」
全身の血が心臓へ集まるのを感じた。
全ての条件に当てはまる人物はたったひとり。
巴海沙だ。
まさか、校舎裏で会ったあの少年が犯人だったとは。




