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入職して三年目の時、生活福祉課にケースワーカーとして配属された。精神を病んで辞めていく職員が多くいる中、毎日生活保護を必要とする人々に向き合ってきた。怒鳴り声や脅迫めいた言葉を浴びながら。これが私に対する罰だと思ったから。見て見ぬフリをしてしまったこと、仲間を止められなかったことへの。
気を紛らわすため転職サイトを開く。トップページに並ぶのは、スーツを凛々しく着こなす女性の写真と「自分らしい働き方が必ず見つかる」といった謳い文句。しかし、それより惹かれるのは「経験、年齢不問の求人数は業界最大級」の文字の方だ。きっと大丈夫。職種を選ばなければ、民間企業で働いたことのない私でも雇ってくれる会社はあるはずだ。朝が来る度、自分に言い聞かせている。こうでもしないと、深い皺とクマが目立つ初老の男性の「長年働いた職場がつぶれてしまい、働き口が見つからない」という発言が蘇ってきそうだった。シミの着いたジャージは体格に合っていなかった。腰を据えて長く働くことを望んで就いた職。なのに、こんな形で失いそうになるなんて。
最終的に救われたのは、時効まで逃げ切った犯人たち。「P市死亡ひき逃げ事件の真相」の告発からの七日間、各報道番組は同じ字面と事故映像を繰り返していた。専門家は「車はかなりのスピードで走っていた。酒を飲んでいたせいで歩行者を視認しても制御できなかったのではないか」と当たり前のことしか述べず、P県警の記者会見ではなんとしてでも被害者遺族の無念を晴らしたいといった気概が伝わってこなかった。
そして時効が成立した日、その事件はニュースのラインナップから静かに消されていた。
心の隅で、解放されるのではないかと期待していた。時効が成立すれば、この事件は過去のものになる。もうどうすることもできない。だから赦されてもいいのではないか、と。時間の経過は自分自身でつけた足枷を外す最後の手段であってほしかった。
画面の右下にある時計が九時ちょうどに切り替わる。すると、数回のノック音と母の声が聞こえてきた。
「佐環、ご飯は食べた?」
私が実家に戻ってきて以降、彼女は決まった時間に様子を窺いに来る。
「……適当に食べるからいい」
「昨日から何も口にしてないでしょう? マスコミはもう来てないから安心して」
「分かったから放っておいてよ!」
大人気なく声を荒らげてしまった。ドアの外の気配は音もなく去った。
本当は実家に帰りたくなかった。地元に嫌な思い出があるからではない。母に会いたくないのだ。幼い頃から母親譲りの容姿は美人だと持て囃された。当時はそれが嬉しかった。だけど、一方で父が貶められていると感じてしまい、複雑な気持ちにもなった。
もっとも、不倫の末に産まれた子どもだと知った時はこの顔に傷をつけてやりたかった。
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「お父さんはどうしてお母さんと結婚したの?」
「そうだなー。几帳面で優しくて、気遣いができるところかな?」
「へぇー。じゃあ、どこで出会ったの?」
「仕事場だよ。お母さんはお世話になってる会社の秘書をやっていたからね。次第に仲良くなっていったんだ」
「そんな毎日通ってたの?」
「毎日ってことはなかったよ」
「なのに仲良くなったの?」
「会う度にあいさつとか世間話とかしていたから。積み重ねだよ」
「ふーん、なるほどね。じゃあ次の質問」
「おいおい、まだ続くのか?」
「もちろん。家に着くまで!」




