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呼吸が浅くなる。かかってくる電話を全て無視し、マンションからなるべく遠いホテルを予約した。この場所から離れなければ。さもないと、次は何をされるか分からない。万が一顔写真が流出していたらなおさらだ。過去の経験が警告している。頭で考えるより先に体が動いた。
鉛のように重いスーツケースを引きずって部屋を出た。駅周辺に停まっていたタクシーに乗り込み、ホテルへ向かう。その途中メッセージアプリを開き、僕たちの置かれている状況を追った。情報元は「P市死亡ひき逃げ事件の真相」というアカウントからだった。
——十年前に起きたP市死亡ひき逃げ事件。未解決事件として風化されつつあるこの事件。あの時起きた出来事を、私たちは知っています。ひき逃げ犯の車や容疑者の声も聞いています。それなのに、当時の私たちは通報しないで見て見ぬフリをすることに決めました。その私たちとは、耳塚伊吹、大鼻勝矢、久目颯、手柳佐環、古味山嗣乃の五人です。
ガクンッと全身に衝撃を受けた。シートベルトが首に食い込む。目を開けると、フロントガラスの向こうで倒れた自転車を起こす男性が軽く頭を下げていた。自転車を押して足早に歩道へ避けていく。
「大変申し訳ございません、お客様! 大丈夫でしたか? ケガなどありませんか?」
シートの間から運転手が焦った顔を出し、繰り返し謝罪を述べる。
「大丈夫です。あの、それより急いでいるので」
「すみません。そうですよね。申し訳ございません。自転車が急に飛び出してきたものですから……。なるべく早く着くようにいたします」
声は尻すぼみに小さくなっていった。早く着きたいという気持ちもあったが、まじまじと顔を見られたくなかった。
改めてスマートフォンを開く。全員に向けて素早く文字を打った。
——みんな、とにかくどこかへ避難して! ホテルでもどこでも。自宅にいては危険だ!
例のアカウントが暴露したのは本名だけではない。すでに僕たち五人の顔写真も投稿していた。
ゆっくりと瞼を閉じ、奥歯を噛んだ。受け入れなければいけない現実を前にして無力感が込み上げてくる。信じていた仲間から裏切られたという失望感ではなかった。微睡の中で見た必死の形相。これは起こるべくして起こってしまった結末だった。
画面を上へスクロールした。ぼんやりとした暗闇が画面を縁取っている。そこへ影と車が猛スピードで入り込んできた。
——冷やかしだと思われたくないため証拠の動画を上げます。これは被害者が車に轢かれた直後の映像です。偶然現場近くに居合わせていたある人物によって撮影されました。前方へ飛んだ影は被害者で、それに続くのが犯人たちの車です。しかし、カメラはすぐ地面へ向いてしまい、車種を特定するには時間が短すぎます。ただ、事故が起きた決定的な証拠としては十分なはずです。
忘れるはずがない。正真正銘、伊吹が取った映像。消したはずのデータが残っていた。隙を見てデータを抜き取ったと考えるのが自然だ。
記憶の底を掘り返す。心当たりのある人物は、たったひとり。
——白々しい。
僕のメッセージに最も早く反応を示したのは嗣乃だった。これまで滅多に発言してこなかった彼女の言葉が意味深に聞こえた。
「……お客様、お客様」
「え?」
「到着しました」
運転手の呼びかけで我に返る。スモークガラス越しに目的のホテルがそびえたっていた。
灯りをつけないまま部屋の壁にもたれかかる。暴露されてから数時間、ネット上での話題は、ひき逃げ事件より僕たちの人物像に関心が集まっていた。
——嗣乃、白々しいってどういうこと?
——そのままの意味。




