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「安心して。あなたの予想は当たってる。私、ずっと疑問だった。冷静で優しいあなたが、なぜ頑なに動こうとしないのか。その根本的な理由を知りたい。私からは誰かを守ろうとしているようにも見えてる」
「……結論から言うと、執拗な嫌がらせを受けたことが原因。医者からは失感情症って診断された。始まりは父の逮捕だった」
「ちょっと待って。お父さん、逮捕されたことがあるの?」
「うん」
「もう解決したの? 気持ち的に整理がついているかっていう意味でも……」
「うん。大丈夫」
「ならいいんだけど」
彼女はあっさりと事実を認める僕を見て戸惑っている様子だった。
今となっては受け入れられている。ネットで検索すれば分かることだし、十年以上前の出来事だ。父のこと以上にショックだったのが、周囲の変わりようだったということもある。
僕は過去を話し出す前に少量のコーヒーを口へ含んだ。
▽▲
父親が逮捕されたのは梅雨が明け、夏本番を迎えようという頃。当時、僕は小学四年生だった。
学校から帰るといつもと家の空気が違っていた。いつもだったら「ただいま」と言うと母が「おかえり」と返事をしてくれるはずなのに、それがない。代わりに聞こえてきたのは女性のか細い声。
母だ。
いけないと思いながらリビングのドアの隙間に耳を押し当てる。体中から出る汗は止まらない。この年の最高を記録した日照りの下を歩いてきたから、喉がすごく渇いていたのに、水を飲みたい欲求を忘れるくらい夢中になっていた。分かったのは、母が誰かと電話をしていること。短い間を空けて何度も「はい」「すみません」を繰り返していること。
「失礼します」と聞こえたきり静かになった。ドアのすりガラスから見える影は動かないまま。僕はドアノブをそっと下げた。
「ただいま」
幼いながら精一杯、いつもの声で言った。
「おかえり……。いつ帰ってきたの?」
目を合わせることなく「ついさっき」とだけ返し、自分の部屋へ行こうと体の向きを変えた。すると母は僕の片腕を掴み、正面を向かせた。目線に合わせるようにしゃがみ込んで「しばらくおじいちゃんたちの家で暮らしなさい」と。顔は青白く、目は充血していた。
詳しい事情を知らないままそこで大人しく生活した。出された宿題をきっちり済ませ、ゲームは一時間程度に抑える。元々感情の起伏は豊かな方でなかったし、親の言うことに反発するような子ではなかった。そのことが彼らを余計に心配させた。
笑わないのは家庭内の環境が良くなかったからではないか。あれほど結婚はよせと反対したのに。
本人たちは聞こえていないと思っていても、子どもの僕には全て筒抜けだった。
何日か経った日、リビングで宿題をしていたら祖父が正面に座った。
「勝矢はお父さんのこと好きか?」
「うん。好きだよ」
「そうか。……お父さんはな、いけないことをしてお巡りさんに捕まったんだ。でも大丈夫。すぐに戻ってくるから」
祖母はソファを挟んで彼の背後に立ち、物言いたげな口をどうにか閉じていたのを覚えている。
正式な罪状は公務執行妨害。交通違反を取り締まっていた警察官を突き飛ばしてしまったらしい。
噂は瞬く間に広がった。当然、同級生たちにも。
父の逮捕から約一週間経過したある日のこと。下校しようと、靴に指をかけた。
「うわっ!」
指先に刺のようなものが当たった。びっくりして素早く指を引っこ抜くと、靴は茶色くて不気味な何かと共に床へ散らばった。しゃがんで見ると物体の正体は全て昆虫の死骸だった。
「聞いたか今の叫び声?」
「うん。やっぱりあいつ人間だった」
「いやまだ分からん。ビビってる顔してねーもん」




